019
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「そのお顔……何かあったんですか?」
御所の入り口に車を回していたフェイ・チェンシーが、上官の顔を見て思わずそう漏らした。白い制服は黒く汚れ、顔には痣をつくり、唇は切れて赤い血が滲んでいる。
あまりにも痛々しい姿だった。
「気にするな、それより今日の予定は全て白紙にしてくれ。僕の下宿先に帰るぞ」
「わかりました」
気が立っているな、と思った副官は、素直にそう言って車を草薙四郎の下宿差に向けた。
四郎の下宿先は士官用の宿舎ではなく、となる女性が一人で暮らしている“日本家屋”の一室を間借りしている。
この日本家屋を切り盛りする女将は、日本経済界のさる有力者の令嬢であり、政界や軍部に顔が利くことから、この女将の気に入った人物だけを、この日本家屋に住まわせて面倒を見ることを生き甲斐とした変わり者であった。
日本家屋の中にある、とある柱時計が“一刻”を指したまま止まっていることから《一刻荘》とも呼ばれている。
数多くの政治家や将官を輩出していることから、出世コースに乗るための最短ルートであると考える者も多く、連日この一刻荘に入居したいと願い出る者が断たないが、入居を許されるものは千人に一人とも万人に一人ともいわれていた。
京の都をゆっくりと走り《一刻荘》に車が到着すると、後部座席に乗った四郎は、運転席に座るフェイに向けて口を開いた。
「お前も、今日はゆっくり休んでくれ。明日から艦隊の編成に向けて各部署や各地を回ることになる。英気を養っておけよ」
「わかりました。それでは明朝お迎えに上がります」
車が行ってしまうと、四郎は懐かしい《一刻荘》の門を跨いだ。
長い石畳、獅子脅しの音、古く丈夫な家屋、檜の匂い立ちこめる三和土、全てか懐かしく感じられた。
この日本家屋の敷居を初めて跨いだのは、四郎が八歳の頃だった。
自身の後見人である徳川國臣に軍人になる旨を伝え、その決心が揺るぎないものであることを認めさせると――徳川國臣は八歳になったばかりの四郎をこの《一刻荘》につれて行き、女将である玉緒今日子に頭を下げた。
「どうか私の教え子の息子だったこの草薙四郎を、ここで預かってはもらえないだろうか?」
当時中将の地位にあり、いずれ元帥になるであろうことは間違いないと目されていた《帝国宇宙軍》きっての宿将が、深々と頭を下げて願いでいた。
「國臣さん、この家には私が気に入った人しか入居させない決まりだって……知っていて言っていらっしゃるんでしょうね?」
「無論だ」
徳川國臣は頷いた。
「私とて、あなたの母に気に入られてここに下宿させてもらっていた」
「そうでしたね。でも……士官学校の入学は十二歳からのはずじゃ。例外はあるだろうけど……それだってこんな小さな子供――出自が出自だし、入学したところでひどい目に合うだじゃないんですか」
この時、草薙頼時が起こした“クーデター未遂事件”は国中の皆が知るところとなっていた。そしてその息子であり、頼時の忘れ形見である四郎にも当然のように誹謗中傷の目が向き、心無い言葉が投げつけられることも少なくなかった。
そのため、人の目につかない山の奥――“鞍馬寺”で静かな生活をおくってくれればと願った徳川國臣だったが、その願いが叶うことはなく、運命は四郎を過酷で残酷な環境へと送り出そうとしていた。
「坊や、軍人さんになるのはもう少し大きくなってからでもいいんじゃないかしら? もう少し……お山のお寺で静かな生活をしたほうがいいと思うわよ」
どうせ一時の感情、自分の出自を知らされて少しばかり気が急いただけだろうと判断した玉緒今日子は、徳川國臣の隣で一生懸命に正座する幼子を優しく見つめて、宥めるように言った。
しかし、この幼子から帰って来た反応は、玉緒今日子が予期しないものだった。
覇気の籠った瞳を大きく見開いて、拳を強く握った幼子が、畳に頭を擦りつけるように深々と下げた。
「どうか……僕をここで引き取ってください」
決意の籠った良い声音だった。
「自分は将来《大日本帝国》を背負って立つ元帥になる男です。必ずや、この《大日本帝国》と天皇陛下の為にお役に立つ、立派な軍人になって見せます。だから……どうかお願いいたします」
どれだけ頭の中で練習を重ねてきたのか、こんな幼子が口にしてしまうには重々しく、そして物のしい言葉に、玉緒今日子は自分の目が曇っていたことを、そして幼子だと侮り最初から色眼鏡で見ていたことを反省した。
わずか齢八にして、この子はすでに武士であり、軍人であると悟った玉緒今日子が、深々と頭を下げる草薙四郎を見て頷く。
そこには、かつて玉緒今日子が僅かな恋心を抱いていた相手――草薙頼時の勇ましい姿が重なって見えた。
「頭を上げてください」
ゆっくりと頭を上げた四郎を見て、玉緒今日子が口を開く。
「いいでしょう。あなたは私が責任を持って預かり面倒をみます」
そうして四郎の《一刻荘》への下宿が決まった。そして士官学校への入学後、正式に《帝国宇宙軍》に入隊するまでの僅かな時間をこの《一刻荘》で過ごすこととなった。
そして今、その場所に帰って来た。
「四郎さん、おかえりなさい――って、その顔を……どうしたの?」
廊下を走って玄関にやって来た玉緒今日子が、三年ぶりに帰って来た四郎を見て、口元に手を当てた。
青みのある黒髪を一つにまとめた奥ゆかしそうな女性で、着物の上に割烹着を纏っていた。
「あらあら、こんなに怪我して」
玉緒今日子が四郎に近づいて血の滲んだ唇を撫でる。まるで喧嘩をして帰って来た我が子を眺めるような優しい眼差しだった。
「そう言えば……士官学校時代の四郎さんは、毎日こんな感じだったわね。懐かしいわ。おかえりなさい。四郎さん」
「ただいま、今日子さん」
四郎は穏やかに言った。
「今日のお夕飯はご馳走ですよ。四郎さんの好きなトンカツに、唐揚げに、焼き魚に、お刺身に、ポテトサラダに、浅利のお味噌汁。そうだっ、四郎さんまた出世なさったんでしょう?」
「どうしてそれを?」
《宇宙ステーション》から地球に降りる際、《一刻荘》にしばらく厄介になる旨を伝えたが、その理由は伝えなかった。
まさか今日子が四郎の腰に差した“靖国刀”を見て将官に出世したと判断したとも思えず、四郎は首を傾げた。
「ああ、これも忘れてたわ。今、犬養君が来ているの」
「犬養さんが?」
一国の首相を“君”付けしながら、今日子は「いけない」と口元に手を当てて見せる。そんな仕草をしているとまるで女学生のようでだった。
四郎がこの一刻荘に預けられてから、もう十年の歳月が流れたというのに、この玉緒今日子という女性は、まるで一つの歳もとっていないのでは錯覚させるほど、その若さと美しさを保ったままでいた。
「奥の茶室で待ってもらっているから、四郎さんも早く行って挨拶をなさって」
四郎は言われるままに茶室へと向かい、障子の扉を開いて中に入った。
畳の上で正座を組んだ大日本帝国の内閣総理大臣が、ようやく帰って来た――今は無き友人の忘れ形見を瞳の中に映して、そっとお茶を啜った。
「四郎、帰ってきたか」
厳格な声が茶室を打って響いた。
「お久しぶりです――内閣総理大臣」
四郎はその場で敬礼をした。
「ここではいい、普段通りにしろ。まぁ、座れ」
四郎は言われるままに座り、現内閣総理大臣――犬養武と向かい合った。白いものが混じった髪の毛を全て後ろになでつけ、逞しい髭を蓄えた壮年の男性だった。
紋付袴を纏った、まるで文豪のような趣や雰囲気の犬養が、四郎を見て頷いた。
「お前のその傷……話は聞いたぞ」
「はい」
四郎はなんて言っていいのか分からずに、ただそう返事をした。
「お前もあまり無茶ばかりやるなよ。その齢で准将なんて階級は……本来ありえないんだからな。些細なことでの命取りになりかねんぞ」
「わかっているつもりなんですけどね」
四郎はバツが悪そうに頭をかいた。
「まぁ、良い。今日はお前の昇進を祝いに来たというわけじゃない。私の方から話しがあってきた」
これは良くない話だなと思いながら、四郎は犬養が本題を切り出すのを待った。
「お前、政治家にならんか?」
「は?」
突然の提案に、四郎はなんて言葉を返せばいいのか分からず、間抜けな声を上げてしまった。
犬養は喉を鳴らして続ける。
「私が面倒を見ている選挙区に一つ空きがあってな……今、候補を探している。お前なら容姿もそこそこ悪くないし、それなりに弁も立つ。弱冠十八で准将にまで昇進した若くて才能のある男だ。政治家になるには打ってつけだ。どうだ?」
四郎は悪くない自分の評価に思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「いえ、僕なんか国民に歓迎されませんよ。クーデター首謀者の息子ですし、コロニーを一つ潰した時なんか、マスメディアに徹底的にこき下ろされています。それに弱冠十八で准将ではなく、特務准将です。お飾りの将官ですよ」
「細かいことは良い。国民はそんな些細なことは気にせんよ。お前には物語がある。国民は悲劇的な英雄を求めるものだ。お前はそれに合致する。当選は確実だろう」
犬養は四郎の政治家として資質に太鼓判を押してみせた。
「この国に不満がるのなら政治家になれ。政治家になって国の中から変えていけばいい。国を変えたいのなら、軍人ではなく政治家になるべきだろう」
「犬養さん」
四郎は犬養の胸の裡を理解して表情を歪めた。
徳川國臣同様、犬養武もこの異例の速さで出世を続ける若き将官の将来を不安視しているのだろう。
そのことは、四郎も十二分に理解できていた。
「犬養さんの前でこんなことは言いたくはないんです……、政治家になっても、この国を変えることはできないと思います。そもそも、かつての“間接民主主義”だった時代ならともかく、現在の“立憲君主制”の《大日本帝国》で、さらには《四大帝国》が地球を統べる今の現状では……それは難しいでしょう?」
「そんなことはない」
犬養は四郎の言葉を強く否定して首を横に振った。
「今も、この《大日本帝国》は間接民主主義をしっかりと継承している。その証拠に、今も“両院議会”が開かれ、国民の代表者たる我々議員が、議論を尽くして法案を通して採決している」
「ならば、どうして我が国は、今も戦争状態を続けているのですか」
四郎も言葉を強くして言う、
「国民の半数以上――いえ……もっと多くの国民が、現在の戦争状態に反対をしているはずです。それなのに我が国は戦争を止めることができず、未だにGDPの多くを軍事に費やしている。議会が本当に国民の声を聞き、それを実行に移せるというのなら、この矛盾はなぜ起きるのでしょうか?」
四郎は現状の議会を厳しく追及し、犬養は言葉を呑みこんで四郎の言葉の続きを待った。
「理由は簡単です。議会の上位に軍部があり、軍部の上位に《宮内庁》を含む《御前会議》があるからです。それも……天皇陛下のお心を蔑にした」
四郎は最後の部分を怒りと憎しみをこめて言った。
「結局のところ、《五摂家》が統べる《御前会議》によって決められた指針や方針を元に、軍部や議会が動かされているだけなんですよ。議会なんて、国民たちが不満をぶちまけるためのガス抜きの場です」
犬養は悲しそうな目で四郎を見つめた。
「確かにお前の言葉は正しいのかもしれん。だが、議会というものが開かれているおかけで、この国が完全な軍事国家にならずに済んでいること言うことも、忘れないでほしい」
「分かっています。生意気なことを言って申し訳ありません」
四郎は頭を下げて謝罪した。
そして、再び持論を口にした。
「議会が一定の抑止力になっているのは認めます。しかし、たとえ《五摂家》や《御前会議》が戦争を拒否したところで、現状この戦争という名のゲームから下りることはできません」
四郎は自分の思索を披露するかのように、自分自身でもまだ完全に結論の出ていない議論を口にした。
「我々の生存圏、そして経済活動には、《月同盟》との戦争が深く組み込まれ過ぎているんです。この“人材”と“物資”と“資源”を費やした“大量消費という名のゲーム”がなければ、《四大帝国》は早晩立ちいかなくなるでしょう。それに、仮にどこかの国が一抜けをしたなら、その国が他の“プレイヤー”によって支配され、新しく支配したプレイヤーが我々のやっていたゲームを続けるだけのことです。だから、我々は勝ち続け、プレイヤーであり続けるしかないんですよ」
「……かもしれんな」
犬養は大きなため息を吐いて見せた。
「全く、恐ろしい世界になったものだ。戦争を続ける以外に、国家が存続し、繁栄する方法がないなんてな。《月同盟軍》との戦争は激しくなりそうか――近々大きな侵攻があるんだろう?」
「ええ、僕もそれに加わる予定です」
「そうか、お前がついに艦隊を指揮するまでになったのか?」
心苦しそうに言って、犬養は四郎を瞳の中に映した。
「四郎、お前が何を思って《帝国宇宙軍》で戦い続けるのか……私には分からん。ただ、間違ってもへたな気は起こすなよ」
「父のようなですか?」
「滅多なことは言うな」
犬養は叱りつけるように言った。
「すいません」
四郎は素直に謝った。
この父の友人だった男に叱られることは、昔から悪い気はしなかった。 そしてその父の友人であり、四郎ことを親身になって考えてくれる数少ない人物に向けて言葉を続けた。
「犬養さん、一つだけお願いがあります」
「お願い……だと。何だ?」
「この《大日本帝国》を――天皇陛下を国家の元首とし、象徴とする、“一君万民”の国家で在り続けさせてください。この国がそうであり続けるのなら、僕は天皇陛下の一振りの刀であり続け、戦場で戦い続けることができる」
犬養は細い目を見開いて信じられないと目の前の少年を見つめた。
まるで、今は無き友人が目の前にいるかのようだった。
かつて共に学び、共に国家の繁栄を誓い、共に天皇陛下に忠誠を誓った友が、乗り移ったかのようだった。
頼時――心の中で犬養武が亡き友に呼びかける。
お前の息子は逞しく育ったぞ。
お前によく似た男になったぞ。
犬養はそのことを喜ぶ共に、心の底から恐れを感じた。
いつかこの少年が道を誤り、父と同じ修羅の道を歩むのではないかと思うと――犬養はそれが不安で仕方なかった。
犬養は四郎を真っ直ぐに見つめて、自分に言い聞かせるように約束をした。
「約束しよう。現在、過去、未来において――この《大日本帝国》は永劫に天皇陛下を国家の元首、また象徴とし続ける、唯一無二の国家であり続けると。今ここで、私が約束をする」
「ありがとうござます。これで僕は心置きなく戦うことができる」
四郎は深々と頭を下げた。




