001
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「人類が西暦と呼ばれる襤褸布を脱ぎ去り、《統合暦》と言う新しく仕立てた礼服を身に纏って、早百五十年――人とは、かくも愚かなものだとは思わないか、ヨナ?」
宇宙戦艦《クロケア・モルス》の第一艦橋――
両手を少し広げた状態で目を瞑っている、長身の美しき青年がいた。
《月同盟軍》の宇宙艦隊司令官ユリウス・ハイペリクス・カエサル大将は、突然宇宙の息吹を感じたかのように閉じていた目を開いて、隣に立っている自身の副官に尋ねた。
尋ねられた司令官の副官であるヨナ・ウルバヌスは、どこか超然としている自身の上官を見つめ、何と言葉を返した良いのかと窮した。
ユリウス・ハイペリクス・カエサルは、長い黄金の髪の毛を宇宙空間で遊ばせながら、美貌と呼んで尚を言葉の足りない精悍な顔と、翡翠を埋め込んだかのように美しい双眸を持っていた。均整の取れた鍛え抜かれた肉体の上に、黒地に金の刺繍が施された壮麗な軍服を纏い、赤いマントを羽織っている。装飾の施された袖の先、まるで神の手によって創り上げられたかのように美しい手と指を真っ直ぐに副官に向けて、言葉に窮した副官の返答を待っていた。
その悠然とした姿は古い歴史に刻まれた英雄のようで、泰然自若を体現したかのような立ち振る舞いは、見るものを惹きつけて離さないカリスマ性を存分に放っている。超然として尚、傲岸不遜と言っていい覇気のある顔立ちは、かつて古い地球の歴史に存在した神話の中の登場人物ようでさえあった。
反面、ヨナ・ウルバヌスは浅黒い肌に灰色の髪をもった青年士官であった。人懐っこそうな顔立ちに、少年時代の面影を幾分か残した青年であったが、年齢は十八になる。階級は中佐であり、この年齢にしては出来過ぎと言っていい階級を与えられていた。
小柄でありながら鉄塊のように鍛え抜かれた肉体を持ち、白兵戦では負けなしを誇る非常に優れた闘志でもある青年士官は《ラグランジュ4》――《L4》に建造された資源採掘用コロニー、今は無き《コロニー・ブルガン》の出身だった。
《コロニー・ブルガン》は《統一連合国政府》、そして《月同盟》のどちらにも所属していない中立コロニーを目指していたが、実質的な支配は《統合軍》に握られていた。
コロニー内では、常に統合軍と独立を目指すレジスタンスによる激しい争いが繰り広げられていた。
少年期のヨナは、《統合軍》の圧政や弾圧と戦うレジスタンスの少年兵としての日々を過ごしていた。少年は物心つく前に《統合軍》によって父と母を殺され、その後レジスタンスによって育てられ、そのまま少年兵として育てられた。そして少年が八歳の誕生日を迎える頃、激化するレジスタンスの抵抗に痺れを切らせた《統合軍》によって、少年の故郷は壊滅の危機に瀕することになった。
《コロニー・ブルガン》は《統合軍》の手によって無残にも宇宙の藻屑となるはずだった。
しかし、一つのコロニーを壊滅に追い込むまでのあまりの暴虐と、そして《第二次宇宙戦争》以後、《統一連合国政府》と《月同盟》との間で交わされた《統合国憲章》――《月同盟》では《ハインライン憲章》と呼ばれる“条約”に明確に違反したとして、武力介入を決断した《月同盟》によって、《コロニー・ブルガン》は壊滅を寸前で間逃れた。そして、そこで死ぬはずだった数百万人の《コロニー市民》は、命からがらの身一つで故郷を後にした。
過酷を極め、焦土と化した戦場で、最後まで懸命に闘い続ける少年兵のヨナを救ったのが、当時少佐の階級で部隊を率いていたユリウス・ハイペリクス・カエサルだった。
「私の元に来いよ、少年――運命を掴ませてやる」
少年はその日――自ら手で運命を勝ち取り、新しい人生を手に入れた。そして少年がその生命の全てを賭して守り抜き、生涯付き従うと心に決めた上官を、少年自らの手で掴みとったのである。
《コロニー・ブルガン》を巡る《コロニー市民》と《統合軍》との争い、そして《月同盟》による武力介入、そして《コロニー・ブルガン》を放棄したコロニー市民の亡命を《月同盟》が受け入れ、《統合軍》との間に一応の停戦を迎えるまでの一連の事件を――《ブルガン戦線》と呼ぶ。
その争いが一応の決着を迎えた後、ユリウス・ハイペリクス・カエサルは戦場で助けた少年を引き取り、《月同盟》の《軍アカデミー》へと入学させ、そして自身の従卒とした。
ユリウスによって“ウルバヌス”という姓を与えられた少年は、こうしてヨナ・ウルバヌスとしての人生を歩むこととなった。
《軍アカデミー》に入学したヨナの成績は主席級であり、その後《月同盟軍》に所属してからも戦歴は華々しかったが、それでもこの若き副官は自分が最年少で宇宙艦隊の司令官へと上り詰めたユリウスの副官を勤められとは思っていなかったし、自惚れてもいなかった。
そもそも自身は前線に出向き敵と正面切って戦うようなタイプの兵士であり、このように後方に位置して艦隊全体の指揮をとるような士官や幕僚ではないと思っていた。
一体何故、この上官が自分のような男を重用し、傍に置いておくのだろうかといつも不思議に思いながらも、不思議とこの青年士官はこの境遇に居心地の良さを感じてもいた。しかし、このように上官に質問をぶつけられるときだけは別だった。
ヨナ・ウルバヌスはすでに居心地の悪さを感じ、自身の語彙の少なさと知識の乏しさを呪っていた。
「閣下の御言葉の意味が自分にはよく分かりません。人類が愚かであると自分には言えませんが……自分が愚かだということは理解しております」
副官の答えに宇宙艦隊司令官は虚を突くかれたように瞳を丸くして、そして屈託なく笑った。
「いや、済まない。私は少々、私の副官を困らせ過ぎてしまうようだ」
「ご期待に添えなくて申し訳ありません」
ヨナは楽しげに笑っている上官に頭を下げた。
現在、戦艦《クロケア・モルス》の第一艦橋にはユリウスとヨナの二人しかいない。
球体をした第一艦橋は司令官のための艦橋である。
戦艦《クロケア・モルス》は戦闘時に第一艦橋のハッチを開き、真下にある第二艦橋と接続することで、艦全体のコントロールを可能にする“可変艦橋システム”を搭載している。
ユリウスは球体のスクリーンに映し出された宇宙空間の星図を眺め、美しすぎる手を広大にして無窮の宇宙空間に向けた。
「宇宙はこんなにも広大だ。この先どれだけ人類が増えたようと、この宇宙は十分すぎる資源と空間を与え続けてくれるだろう。それなのに、なぜ我々人類はこうも争い続ける? かつて古い地球の時代、人々は資源や土地を求めて争いあった。しかし、この宇宙時代はどうだ? 資源と土地の問題は解消されたのだ。それなのに、なぜ人は争い続ける? 何が、人類を闘争へと駆り立てるのだ?」
ユリウスの熱のこもった演説に言葉を挟むことなく、ヨナは上官の次の演説を待った。
ユリウスがスクリーンに向けて手を振ると、星図にいくつも図と文字が現れた。
“月”と“地球”、そして“五つ”ある各《ラグランジュ点》の詳細な星図だった。
「月と地球、そして五つの《ラグランジュ点》を含めた“七つポイント”を、我々《月同盟》と《統合政府》が奪い合い、争い合っている。現在、我々《月同盟》は“月”と“二つ”の《ラグランジュ点》を、そして《統合政府》は“地球”と“三”つの《ラグランジュ点》を抑えている。ポイントは3―4で劣勢だが、この情勢をどう見る?」
スクリーンに映し出された星図にそれぞれの陣営の旗が掲げられ、現在の宇宙の情勢が分かりやすく色分けされた。
「はい。閣下は現在の互いポイント数が3―4、我が《月同盟軍》が劣勢であるとおっしゃられましたが、しかし自分はそうは思いません」
話が哲学めいたことから戦略戦術レベルにまで絞られると、若き青年士官は途端に覇気をもって説明を始めた。
「確かに《統合軍》は地球を含めた“四つのポイント”――我々《月同盟軍》から見て“右翼”と“左翼”にあたる《L4》と《L5》、そして月と地球の裏側に当たる《L3》の宙域を支配しています。しかし、月と地球との最短距離である《L1》は、我が《月同盟軍》が所有しております」
ヨナが指定したポイントにカーソルが灯った。
「この《L1》を我が《月同盟軍》が所有している限り、《統合軍》は月面の侵攻に《L4》と《L5》の迂回路を使わざるを得ず、軍の編成に大幅な遅れとなります。巨大な軍を動かす上で、この遅れは致命的であり、統合軍が《L4》か《L5》に大部隊を集結せている間に、我々《月同盟軍》は《L1》から軍を派遣することが可能であり、結果月面への侵攻を未然に防ぐことが可能です」
ヨナは星図に《統合軍》の侵攻路や《月同盟》の防衛線、互いの補給線などを記しながら簡潔に説明した。
「そして何より、我々が所有する“月の裏側のポイント”、《L2》――《オルフェウス》が落ちない限り、我々はいくらでも反撃の準備を整えることができるでしょう」
副官は月の裏側の“ポイント《L2》”を拡大せてみせた。
《L2》は《月同盟軍》の軍本部が置かれた《月同盟軍》の大本営であり、心臓である。そして、ただの軍事的な拠点というだけでなく、かつて《宇宙開発機構》に加盟していた“三社”が本社機能を置く“軍産複合の宙域”だった。《L2》の宙域と、その宙域に建造されたコロニー群、《月同盟軍》本部の全てを指して――《オルフェウス》と呼んでいる。
「さらに我々が《オルフェウス》から睨みをきかせている限り、《統一連合国政府》は太陽系の外に出て行くことができません。これは資源の確保という点で我が軍に大変有利に働きます。今現在両軍の状態が拮抗していたとしても、十年後二十年後にはその拮抗は間違いなく崩れているでしょう」
「だが拮抗した状態が崩れるというのは、いつの世も大きな混乱を産み落とすものだ。そう、ちょうど積み上がった搭を下から崩してしまうかのように。崖から落ちるとき、道連れに先を歩く者の足にすがりつかないとも限らないだろう?」
ユリウス・ハイペリクス・カエサルは額に美しい手を当てて口を開く。
指と指の隙間から煌めく翡翠の双眸が深淵の宇宙を見つめていた。
上官の要領を得ない指摘を受けた副官は、さらに説明を続けた。
「確かに、大きな混乱が生まれることになるかもしれません。しかし宇宙における戦術の要、宙域戦闘の主たる《パンツァー・ヘッド》の製造技術と量産ラインの確立は、我が《月同盟》が圧倒的に優位を保っています。各宙域での戦闘では“ポイント”を奪うには至ってはいないものの、十分な戦果を発揮しているのではないでしょうか?」
「《パンツァー・ヘッド》の技術は、近いうちに《統合軍》も《月同盟軍》と並ぶだろう。それに量産ラインはすでに確立されている。あとは実験機や試験機をロールアップし、大量生産のラインに乗せることができれば、《パンツァー・ヘッド》での差は我が軍の有利たりえない。それに資源に関しても地球は広大であり、未だ肥沃だ」
ユリウスは美しい青い星を焦がれるように見つめた。
「その点に置いても、残念ながら我々が戦況を有利に進めるというほどの差はないだろう。そして私の見立てでは、この拮抗状態は後十年や二十年続かない。互いに惰眠を貪るだけの獅子ではないだろうな」
「それは、数年の内に大規模な侵攻があるという意味ですか?」
ヨナは表情に緊張の衣を纏って尋ねた。
「――数年、か?」
ユリウスは自身に問いかけるように言った後、言葉を続けた。
「ヨナ、戦争に勝利する上で最も重要なこととは、一体何であるか分かるか?」
「優秀な指揮官、よく訓練された兵士、そして最新鋭の《パンツァー・ヘッド》でしょうか?」
「戦術レベルでの話ならばそれで正解と言えるだろう。だか戦略レベル――戦争を終結させるという意味では、その答は不正解だ」
「……では、一体?」
「お前は前線での戦いが長かったせいか、《パンツァー・ヘッド》を過信し過ぎる傾向にあるのだ」
「過信……ですか?」
「《パンツァー・ヘッド》など、所詮は戦術を有利に進めるうえでの“オプション”の一つでしかない。戦略的にはまるで影響を与えることはないだろう。せいぜい戦術的勝利を得るのが関の山だ」
先程から、しきりに二人の間で交わされる単語――《パンツァー・ヘッド》とは、宇宙戦争時代に開発された兵器であり、“全長十五メートル程の人型をした有人戦術兵器”のことを指す。
人類が《統合暦》を迎え、宇宙戦争時代に突入すると、兵器の性能は飛躍的に進化を続け、また進化した兵器を無効化する兵器も開発された。そして、宇宙での戦争における戦略と戦術が確立されていく過程で、中距離から近距離における艦隊戦が主流となり、最終的に潮流を獲得した兵器が、立体的な機動性に富み、柔軟な作戦対応力と汎用性をもつ“人型有人戦術兵器”――《パンツァー・ヘッド》だった。
《パンツァー・ヘッド》の基本的な設計思想は、宇宙開発の祖であるヴェルナー・フォン・ツェッペリンが、自身の起こした《ツェッペリン宇宙開発公社》と共に創り上げ、その設計思想を祖とした、基本理念や基本構造は、まさに革新的であった。
この“人型有人戦術兵器”は、《HEAD》――《Highly Etheryze Activation Drive》と呼ばれる特殊な“動力炉”を介して動く。
《HEAD》とは、現在の宇宙開発に欠かせない“エネルギー動力炉”のことを指す。
《エーテル》と呼ばれる“量子粒子”を特殊な動力炉で加速させることで得られるエネルギーは、これまでのエネルギー理論を覆し、永久に過去のものとしてしまうほどに革新的発見だった。
《HEAD》は“コロニー”や“宇宙戦艦”を動かす動力として開発が進められ、続いて小型化に成功した《HEAD》を搭載した《パンツァー・ヘッド》が誕生した。この高出力、高性能、高機動の“人型有人戦術兵器”は、現在の宇宙を舞台とした戦争では欠かせない兵器となり、全ての軍に実戦配備されている。
《第一次宇宙戦争》当初から、この《パンツァー・ヘッド》の数が戦争を左右するとまで言われたものだったが、しかしユリウス・ハイペリクス・カエサルは《パンツァー・ヘッド》に過度の期待はしていないようだった。
ヨナは返す言葉が見当たらずにいた。
「単純な話だ。戦争に勝利する上でもっとも重要なことは、ただ単純に“物量”である。数というのもに、我々は抗うことができないのだ」
「“物量”ですか?」
「そうだ。圧倒的な数は、それだけで強大な暴力だ。そして、もしも《統一連合国政府》が全兵力、全兵站、全補給をもって我が《月同盟軍》を侵攻するとなれば、我が軍は早晩敗北するだろう」
「そんな……まさか?」
ヨナは滅多に変えぬ顔色を蒼白とさせて言った。
「考えてもみるがいい。《統一連合国政府》の全人口は、彼らが支配する“コロニー”の人口を含めて“八十億人”を超える。それに比べて我が《月同盟》は“十五億”にも満たない。我々は数の時点で最初から敗北しているのだ。それでも今までかろうじて戦線を保ち、現在の拮抗状態をつくり上げて来られたのは――ロバート・ハインラインとヴェルナー・フォン・ツェッペリン、この二人の功績以外の何物でもない。“二つの大規模な戦争”を経て、地球と月の双方に厭戦機運が高まり、双方が戦争を忘れたがった。傷を癒す時間を欲したのだ。しかし、その“第二次宇宙戦争”から“五十年”の月日が流れ、再び戦争の機運は高まり始めている。私は、そろそろ歴史が大きく動き出すのでは常々考えいる」
「……歴史が大きく動く?」
ヨナは星図の描かれた球体のスクリーンを眺め、この宇宙の星図が大きく書き換わるようなことがあるのだろうかと不安になった。
「まぁ、些か大袈裟に言ってしまったようだな。私は軍人や武人であると同様に政治家でもあるものだから、時折こうして弁を振るいたくなるのだ。なまじ弁が立つというのも厄介なものだな」
ユリウス・ハイペリクス・カエサルは不意に微笑を浮かべてみせた。
「しかし、先ほど私が初めに尋ねた――“人は何故争いをやめないのか”、その言葉の意味をよく考えておくといい」
そう言って赤いマントを翻した宇宙艦隊司令官は、戦艦《クロケア・モルス》の“第一艦橋”と、幕僚や士官が座している“第二艦橋”を接続し、“第二種戦闘配置”の命令を下した。
「全艦警戒を怠るなよ。思わぬ遭遇戦というものもあり得る。情報士官は各艦との情報の共有に務め、些細な異常にも気を配れ。私はこれから各艦の提督達との軍議に向かう。その間の指揮はウルバヌス中佐に一任する。以上――」
まるで天啓を受けたかのように的確な戦術指揮を出す上官の姿を見つめながら、若き青年士官ヨナ・ウルバヌスは、自身が生涯を賭けて遣えると誓った上官であり、命の恩人でもあるユリウス・ハイペリクス・カエサルに、先ほど尋ねられた言葉の意味を考えていた。
「一体……何故人は争い合うのだろうか? ……きっと、それは自分には考えも及ばないことなのだろう。しかし、できることならば平和に暮らしたいものだ。自分も、そしてユリウス閣下も、平和のためにこの戦争に身を投じているのだから」
少年兵として過酷な戦場を生き抜いてきたヨナは、それでも純朴さや素朴さを忘れることなく、平凡にそう思うに至った。