01 始まりは花畑から
(ここは天国かな?)
視界一面の花畑だった。
白や黄色、赤やピンク。色とりどりの美しい花が、丘に沿って咲き乱れている。
風が吹けばサワサワと花々が踊り、胸いっぱいに息を吸えば、鼻腔一杯に甘い香りがした。
(いやぁ見事な、お花畑だな)
背後には、丘の上にそそり立つ大きな木。木漏れ日が、足元をキラキラと瞬かせている。
「にゃ!」
足元を見ると、自分の手が猫の手になっていた。咄嗟に出た声も「にゃ」である。
そっと手の平を見てみれば、柔らかそうな肉球。
「うーにゃー」
(綺麗なピンクだなぁ)
と、どうでも良い事を考えていたが、自らを見下ろす。
四足で立ち、尻の方には尻尾がユラユラと揺れている。
周囲の草花の背丈は高く感じるし、身体全体で風がそよぐのを感じる。
顔の横にあるヒゲの感覚が半端なく敏感だ。
(これって、猫になってるよな……)
どうやら猫の姿をしているようである。
それにしても夢にしては、何かとリアルだ。
(ええ? どうなってるの?)
しばし考えるが、猫の頭の構造のせいなのか悩むのが面倒に感じた。
(まぁ、深く考えるのはやめよう。夢なら楽しまなきゃね~)
本来の性格も後押ししたようだ、呑気にも現状を楽しむ事にする。
虫を追いかけたり花の匂いを嗅いだり、しばらくはウロウロしながら遊ぶ。
三半規管の性能が違うようで、慣れるまではフワフワと浮遊感があった。
慣れと同時に、独り遊びにも飽きて来た。
眼前の巨木を見上げ、座り心地の良さそうな枝を見定める。
「うー、にゃ!」
全身のバネを使い飛びあがり、爪を掛けて軽々とよじ登ることができた。
(さすが猫だね)
自分でも呑気だと呆れているようだ。
その場でクルクルと回り、枝の座り心地を確認してから丸くなる。
(まぁ焦っても仕方ないよねぇ)
「ふああ、ああ」
(口でっか!)
イメージ的には、頭半分開いて口が開いたように感じた。
もう一度丸くなって目を閉じる。そよ風が心地良い。
しばらくウトウトとして、本格的に眠りこけたころだった。
「ペロ……ペロー?」
遠くから何かを呼ぶ、可愛らしい声が聞こえてくる。
耳がクルックルッと動き、周囲を探る動きをしていた。
「あれ、木に登れるようになったの?」
声の主は木の下に来て、樹上の猫を見上げている。
10歳くらいの、愛くるしい女の子だった。
黒髪を左右に分けて縛っており、髪留めに淡い色の玉が付けられていた。
いわゆるツインテールだ、些細な動きや風で揺れている。
色白な顔に大きな眼。虹彩は赤い色だ。
赤い目は、空想の映画の世界やアニメの中でしか見たことが無い。
現実には初めて見たが、不自然さなど微塵もなく美しかった。
微笑む女の子の、淡い桜色の唇がとてもキュートだ。
着ている服はどこか独特で、異国情緒を醸し出している。
凝った織り方の織目模様をした、淡いブルーのワンピース。
(というか、ペロというのはボクのことか……)
長々と少女を見詰めて、思案してしまっていた。
「帰りましょう」
沈黙を破ったのは彼女の方で、どうやら自分がペットなんだと理解できた。
降りようかと悩んでいたら、その子は音も無く浮いた。
枝の高さまで来ると、ペロを撫でながら抱きあげた。
愛らしい笑顔と淡く赤い虹彩に見とれていた、しかも彼女は浮いて来た。
驚いて身体が固まってしまっても仕方がない。
「登ったけど、降りるのが怖かったの?」
慌てて固まった姿を、クスクスと笑われた。
「にゃあにゃあ……」
(可愛い君に、見とれてたんだよ)
言葉が通じたのだろうか? ペロを愛おしそうに抱きしめる少女だった。
ペロは、抱っこされながら、丘を下り森の木のアーチをくぐる。
木漏れ日が小路を照らしていた、まるで絵画のような光景だ。
「ブフーブフー」
少女の耳元に鼻息がかかる。
「くすぐったいよ~」
彼女は笑いを堪えられず、思わず声を上げて笑ってしまった。
「うにゃあ、うにゃあ」
可愛い女の子に抱っこされて、興奮してるわけではない。と言い訳する。
(これが家?)
開けた場所に出ると、この世の物とは思えない太く立派な木が立っていた。
枝振りもかなり広がっている。
(すごいなこれ)
その大樹をくり貫いて部屋になっている、小さめの扉と窓が付いていた。
玄関の横から木の壁の周囲に沿って、階段が組まれている。
2階もあり登れるようだった。
好奇心が湧き身悶えてみたが、しっかり抱かれたまま玄関をくぐった。
(中は意外に広いなぁ)
床は小さく砕いた石のタイルが、モザイク柄に敷かれている。
(何か絵のような紋様のようだけど……家具があって判らないや)
玄関脇には薪ストーブ、調理用の流し台と土釜がある。
その上には、不思議な形をした大きな鍋が乗っていた。
使い方の見当も付かない器具や、壷などの入った棚。
棚には小さな引出しが沢山並んでいた。
(古い薬局で見たような薬棚だな)
天井には、さまざまな草木が吊るされ、干されている。
奥にはロフトが見え、窓際には小さ目な寝台。
隣にはこちら仕切るように設置された、1メートルくらいの低めの箪笥。
その上には籠が乗っていた。
ペロの好奇心は家中を探索したいと訴えていたが、食欲を誘う香りに空腹なのだと気がつかされていた。
食事は専用の椅子が用意されており、少女と同じテーブルで食べた。
薄い味付けの肉と、魚の干したのを出される。
ペロは順応能力が高かったのか、思いのほか美味しくいただけた。
(他に家族は居ないのかな?)
2人きりの食事に、彼女は少しだけ寂しげだ。
お腹が膨れると、だらけるのは猫の特権である。
ペロがくつろいでいると、贅沢にもブラッシングをしてもらえた。
可愛い女の子のヒザの上で、全身を撫でられながらウトウトする。
「うにゃぁ」
(なに、この天国! 素敵すぎ)
(このまま眠ったら、夢から醒めて元に戻るのかなぁ)
なにか、惜しい気持ちもしている。
しかし、そうとはならなかった。
「すぴー、すぴー」
鼻を鳴らし籠の中に眠る、自分の姿を上から見ていた。
全体がクリーム色の毛で、靴下を履いたような茶色い手足。
耳と尻尾の先、そして顔の真ん中が同じく茶色だった。
初めて見る、石が光るランプと窓から差し込む月の光で割と明るい。
隣のベッドには、肩の長さの黒髪に、透き通るような肌の少女が眠っていた。
しばらく見惚れていたが、ふと我に返る。
(この能力は相変わらず健在か)
身体から離れ、浮いた状態だったが特には驚かない。
元居た世界でも、この現象は起きていたからである。
むしろ、この現象などと言わずに、能力として生活に利用していた。
(夢だと思い込もうとしてたけど、やはりそうじゃないみたいだな)
感覚や体感が訴えていた。
(となれば、ここはどこだろう?)
疑問が沸く。
(なぜ猫の姿に? この少女の名前は? どうしてパンツ履いてないの?)
疑問は次々と沸いてきた。
(うーん。まぁ、いいか……)
彼の得意な言葉で締める。お気楽主義は便利であった。
一般的に[幽体離脱]と呼ばれてる現象ではあったが、彼の場合少し違った。
自由に動け、軽い物なら触れて動かせてしまう。
(おしり冷やしたら大変でしょ?いろいろと)
ブランケットを掛けなおす、お尻に触らなかったのは、彼の理性の賜物だ。
周囲を見回し探検を開始する。
今の彼はモヤモヤとした煙のような存在で、身体を持っていない。
他の誰からも見えてないのは、前世で確認済みであった。
鏡や写真にも映らない。
(まず上に向かおう)
天井をすり抜け、2つの部屋を通り抜け屋上に出た。3階建のようだ。
屋上には、小さめの風呂桶のような物がある。
お湯汲みや排水はどうなってるのか、と疑問も湧くが後回し。
(しかし、この場所でお風呂は最高だな。露天風呂だよ)
しばし景色をたのしみ、さらに上へ。
(月が2つある)
普段、見慣れていた黄色い月と、少し小さめな青い月。
(あの月にはウサギが居ないな)
地球の月に似ていたが、違うようだ。
2つの月の光が合わさり、幻想的な光のイリュージョンを見せている。
ある程度の高さまで上がると、周囲の様子が判ってきた。
3方に山脈が連なり、1方向には平野が開けていて、平野の先には海があるような感じがする。
暗いうえに見える距離では無いようだ。
幽体離脱は、自由に動けると言っても、移動距離に制限がある……
(最初に居た、花畑に移動してみよう)
そこには、日中とは別の世界が広がっていた。
(うわぁ、なんだコレ)
キラキラと輝く植物や、夜に咲く珍しい花が視界に広がっている。
(これは良いデートスポットだな)
だが、自分が猫なのを思い出し、苦笑いしてしまう。
(デートしないし!)
そして、この能力は空を飛べるだけでは無かった。
地中にスルスルと、滑るように飛び込む。
地下には光が無い。
真っ暗な空間に、浮かんでる感じだった。
上を見れば地面は透けて、地上の光の当たってる部分が見える。
こんな光景は現実にはありえない、ペロだけの特別な景色だった。
(パンツ覗けるんだよねぇ)
幽体離脱は移動距離以外にも、時間の制限もあった。
体調にも左右されるが、おおよそ1時間。距離は最大で2キロ程度だ。
その限界を超えると、強制的に身体に戻る。
そして朝には、ひどい疲労感が待っていた。
精根尽き果て、1日中でも寝て居たい感じだった。
(猫なら寝てても、叱られないけどなぁ)
しかし、あの疲労感は味わいたくない。
(そろそろ戻ろう、ってあれれ?)
家の方を見ると、地下に空間があるのが見えた。
地面から上は、月の光で明るく見えてる。
その下に蟻の巣を横から見てるように、空洞があり全体に光が灯っていた。
驚くべき発見に興奮を覚える。
(うわ、探検したいなぁ。でもな……)
朝の疲労感のキツさを思い出す。
(続きは、明日にしよう)
明日もこの世界に居る事を、確信しているようだった。