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春桜  作者: 久瑠矢簗枝
無垢で無知な桜
4/7

リトルベル



 五月二日。私立御車(みくるま)高等学校遠足日。天気は晴れ。まだうっすらと、空に星の残光がちらほらと見える。静かな一日の始まりだ。早朝の肌寒さがサクラの肌を震わせる。


 散りかけの、いつもの桜並木の河川敷を通り、学校へと急ぐ。学校に近づくとちらほらとジャージ姿の生徒たちが見えた。同じ服装の人間がぞろぞろと学校の門へと吸い込まれてゆく。サクラもその集団に同化し、学校へと入る。


 さほど広くない校庭に全校生徒が集まる予定だ。サクラも校庭へすぐにむかう。足の裏側からざらざらと擦れる音がする。校庭の砂はコンクリートの上だと滑りやすい。


この遠足は、毎年全校生徒強制参加で行われる。よほどの理由がない限り、参加を拒否することができない。なぜこんなものを毎年、しかも学校が力をいれて行っているのだろうか。それはこのあとの校長の話で分かる。


「静かに班ごとにならべー」


 控えめだが遠くへ広がる男の先生の声がする。けだるそうにぞろぞろと生徒たちは固まり始めた。


 サクラは自分の学年の列から薔子(しょうこ)をみつけると、リュックサックの肩かけを持ち直し駆け足でむかった。ふたつ結びのお下げが揺れる。


「あら、サクラじゃない。遅刻するものだと思ってたわ」


 意外そうな面持ちで腕組をしながら薔子は出迎えた。整え過ぎていないショートカットに端整な顔立ち。それにあつらえたかのように、控えめのアンダーリムの眼鏡がよく似合っている。


「あれ、今日はコンタクトじゃないんだ」

「まぁ山登りしてる時に落としたらたまったもんじゃないから」


 緩やかな速度で会話をしながら適当に列に並ぶ。御車高校の生徒数は多くない。一年から三年、全校生徒をすべてあわせて三百人程度だ。以前は倍近くの生徒が通っていたそうだが、こんな辺境な町にも少子化の波は押し寄せてきているらしい。三つ子山の(ふもと)近くにただ住宅が並ぶだけの町なのに、現実という波は悲しくも内陸まで浸食してくる。


 こじんまりとした校庭にこじんまりとした人の羅列が整然と並ぶ。


 サクラと薔子は二人で地べたに座っていた。クラスごとにまとまり、班で集まって並ぶということは、あと二人足りない。班は男女二人ずつの四人だ。あたりを見回しても二人の影は見つからなかった。


「しょうちゃん、男子ふたりは?」

「……あぁ。あのバカと優男? 優男は知らないけどバカならそこらへんに転がってるでしょ」薔子はけだるく欠伸をする。

「転がってるって、石ころじゃないんだし……。河原(かわはら)くんはまだ来てないのかな?」

「ふぅ。優男っていうかヤギ男よね、あいつ」

「かもねぇ~」


 薔子の欠伸がうつったのか、サクラも大きく口を開けて欠伸をする。


 ふたりでうつらうつらと眠そうにしていると、頭上から落ち着いた声がかけられた。


「やあ、春日井さん、吉野さん。はやいね」


 見上げると、はにかんだ河原大和(かわはら やまと)がいた。

 朴訥とした好青年、というのがサクラの第一印象だった。左目が少し前髪で隠れている、中性的な顔立ちだ。争いを好まない性格に勘が良く、男女ともに好感を持たれている。見ているだけで幸せになれる、と密かに女子の間で人気があるらしい。薔子がそう言っていた。


「おはよー。河原くん」

「おはよう吉野さん。眠そうだね」

「まぁねぇ~」


 呑気に朝の挨拶をしていると、きーんとかすれた甲高い音が耳を襲う。マイクの電源が入れられたようだ。


「ちょうど始まるみたいだね、間に合ってよかった」


 ほっと一息吐いた大和に、薔子は三年生の列を指さした。


「間に合ったついでに、あのバカをこっちに引きずってきてくれる?」


 その指の先には、笑い声が湧いていた。



「だから先輩、やっぱ僕、先輩のことが好きみたいだ。笑ってしまうよな、こんなに博愛主義者を気取ってても好きなんだ! 先輩は言った。ホトトギスの花言葉は“私は永遠にあなたのもの”。だから僕は言う! 鳴かぬなら! 僕が鳴こう! ホトトギス!」

「花言葉? 花言葉なの? やっぱりあなたは花なのね。あなたが鳴くのなら私は羽ばたくわ! Fly again!」

「ふっ、先輩にはflowerのほうがお似合いさっ」



男女ふたりの売れない漫才が繰り広げられているようだった。周囲はふたりの勢いとノリに笑いながら野次をとばしている。到底理解できるような内容ではなかった。笑っている生徒も勢いに乗せられているにすぎない。


 それをはたから見る大和は冷静でいて、関わりたくなかった。


「……いきたくない」





*********************************





「――えぇ~であるからして、信仰の表れとして登山を行っていたことに由来します。山はちょっとした不注意で命に関わるほどの危険な状況に陥ってしまいます。なので気を引き締めると同時に、己の安全を図る力を鍛えるといった狙いも、私たちにはあるわけです。そもそも山岳信仰は自然崇拝の一種で――」


 くすんだ低音の声がマイク越しに校庭に響く。校長の長い長い話が続いていた。ゆっくりとした語調が眠気を誘う。よくもこんなつまらない話を長々とできるものだ。


 校長の催眠誘話が終わると、観光バスで大津山へと向かう。学校まで迎えに来ているバスへとクラスごとに乗り込むために、先生に誘導されぞろぞろと生徒が移動し始める。


「ではみなさん、いきますよ」


 サクラのクラスも移動を始める。背の低いしわくちゃな顔をした女性が、黄色の小さい旗を挙げながら歩き出した。のろのろとした歩きがほのぼのとしていて可愛い。


 校門を出てすぐ目の前に、青の車体に白のラインがはいったバスが何台か並んでいた。さっそく乗り込もうとクラスメイトに続きサクラはバスに一歩足を踏み入れるが、入り口のそばに立っているバスガイドに肩をつかまれた。


「あっ、お待ちください。二年三組の七班の皆さんは違うバスです」

「えっ?」


 そこには二人のバスガイドがいた。丸々とした女性と清潔感を漂わす長髪の女性がふたり。黄色の制服にペレー帽のような帽子が可愛らしい。にこにこと清潔感のある女性は続けた。


「座席数と人数の都合で、七班の皆さんだけ一年生の四号車になっているんですよ。ほかの皆さんはもう向かわれたようですよ?」


 そう言われて後ろを振り向くと、同じ班員である三人の姿はなかった。


「あ、あれ?」

「四号車の担当は私ですし、一緒にいきましょう。探しましたよ~」


 バスガイドに促されるまま、サクラは四号車へと向かった。


「……にやり」




「――まったく。バスを間違えるだなんで天然もいいところよ。梅ちゃんの話聞いてたの?」

「おっかしいなぁ。ぼーっとしてたのかな」

「はは、誰しもぼーっとしちゃうときはあるよね」

「ふっ。僕にだってぼーっと呆けてしまう時がある。そう、自然と頭の中に浮かんできてしまうあの子のことだ。あの子のことをついつい考えてしまうと外界のことなどどうでもよくなってしまう。サクラくんの気持ちは痛いほどよくわかる! 考え想うだけで虜になってしまうあの(とろ)ける笑顔……。ああ! なんてブリリアントなんだ!」

「わかるのはあんたのバカっぽさよ」



 バスの最後列。心地よい振動とともにバスに揺られ、大津山(おおつやま)へと向かう。

 


 サクラたち七班の四人はバスの最後列の席に座っていた。他の生徒は一年生なのでなんともいえない居づらさがあったが、一年生も上級生が後ろに座っているというだけで圧迫感のようなものを感じているだろう。


ざわざわと、せわしないような、落ち着かないような、わくわくするような雰囲気がバスの中を漂っている。一年生の遠足というものはちょっとした楽しみを期待してしまう。仲良くなったばかりの友達と遊びにいくような感覚だ。普段の強要された授業から解放され、日常が非日常に変わる。そこに新しさを感じるような刺激を、無意識に人間は求める。


「はぁ、一年生はいいわよね、若くって」


 しかしそれは、まだ新しい環境に慣れ始めたばかりの一年生のことだった。


「なに、しょうちゃんババくさいよ?」


 肩をおとしている隣の薔子を横目に、サクラはリュックサックからペットボトルを取り出す。


「若々しい雰囲気にあてられちゃあババくさくもなるわよ。山登りとか面倒でならないわ。行事っていうものは特別性があるから楽しいものなのだろうけど、普段の生活に慣れ染まっちゃった私たちからしたら余計なことするなって感じね」


 薔子は窓際に肘をつき、頬杖をつきながら流れる風景を定まらない目で眺める。


「――っぷは。そうかなぁ。私は親友を作るきっかけだと思うよ!」

「はいはい。親友なんてきっかけでつくれるもんじゃないわよー」抑揚のない声で薔子は言った。

「えー。それでも私は頑張るよ!」


 はぁ、とため息をつく薔子。どうやら本当にめんどくさくてやさぐれてしまっているようだ。小さく脇をしめて握りこぶしをつくっているサクラとは対照的だ。



「みなさ~ん、おはようございます」


 透き通る声がバス内に広がった。前方に四角形のマイクを携えたバスガイドが毅然と佇んでいる。目をキッと見開き、笑窪(えくぼ)をつくっていた。自信に満ち溢れた様子だ。


「あっ、なんかお話が始まるね」

「私、本読むから。着いたら教えて」

「えー。車の中で読書は酔っちゃうよー?」


 バスガイドの挨拶に対し、生徒も挨拶を返す。


「はい、ありがとうございます。本日、皆様御車高校様をご案内させていただく役員を、僭越ながら簡単に紹介させていただきます。添乗員の野口奏太(のぐち そうた)さん」


 前方の席にいる長身の男がこちらをむいて立ち、はにかんで片手をあげた。父性をふんわりと漂わせる爽やかな笑顔に、一部の女生徒の黄色い声が聞こえる。


「運転手の木野好太一(きのよし たいち)さん。そして私、ガイドの金田と申します。今日一日、よろしくお願い致します」


 ぱちぱちぱち、とまばらで元気のない拍手を送る。ガイドの金田のはっきりとした声は、生徒たちの意識を一瞬で集めた。不思議と引きつけられる声だ。自然におろした長い髪ときりっとした表情、それでいて清潔感を感じる雰囲気。はやくも一部の男子はそわそわとざわつき始めた。


「皆さん眠くないですか? 私は結構朝に弱いタイプで、まだまだお布団の中にいたい気分です。これから山登りだと思うと、ちょっと陰鬱とした気分になっちゃいません?」


 だよねー、とぽつぽつと声が聞こえる。金田の意外とフレンドリーな語調に、雪解けのような緩やかな雰囲気が広がる。


「みなさんは飯盒炊飯の後に大津山に登るんですよね。お腹が落ち着いてから登るようにしてくださいね?」


 ニコッとはにかむ金田。一瞬の間の後、男子たちの揃った返事が繰り出される。


「むっは! なんと愛らしくそれでいて美麗な笑顔なんだ! 黄色の制服に包まれた清楚、自信満ち溢れる容姿、そして(いたずら)に小悪魔を連想させる悪戯な瞳! 僕はもう悪魔に魂を狩られてしまったのか!?」

「あはは、無駄という意味の徒と、悪戯をかけてるのか。確かにかわいい人だね」


 金田は続けた。


「今日皆さんが登る山、大津山は、標高六百六十メートルと、高尾山よりちょっと高いけど

比較的高くない山です。しかし、一歩山道を外れ獣道に迷うと、隆々とした険しい地形が姿を表します。登山の際はお気を付けください。――そんな大津山ですが、山頂付近に近づくと、古ぼけた祭壇とともに壮麗な景色を見ることができます。大津山にはその昔、山岳信仰というものがありました。その名残として、山の各所に祭壇がみられます。二年生のみなさんは知っていると思いますが、一年生のみなさんは山岳信仰についてご存じですか?」


「校長がなんかいってたけどわかんね。あれじゃね? 炎で大の字に焼くやつ」

「違くね? みんなでぞろぞろと行列つくって山登るやつじゃね?」


 一年生の適当な問いに、金田は含み笑いをしながら流暢に続ける。ヒーリングボイスというものだろうか、自然と耳に馴染んでくるような声だ。


「ふふっ。山岳信仰とは、山に住んでいた狩猟民族たちが、自分たちの住まう山の厳しさに対して、恐れながらも敬う感情を持ったところに起源します。山の厳しくも雄々しい姿に圧倒され畏敬の念を感じた人たちは、山岳地に霊的な力があると信じ、自分たちの身を引き締めるためにも山を崇めようと考えました。だらしない自分たちを律するためですね。山は危ないですから」


 へーとサクラは感嘆の息が漏れた。一瞬の油断が、命取りになるということか。


「山岳信仰は地域によって様々な形があり、日本では神様が鎮座する場所だと信じられています。真言宗開祖、空海が高野山界隈に金剛峯寺を、天台宗開祖、最澄が比叡山に延暦寺を開いたことにより、山への畏敬の念はさらに深まっていきました。仏教の教えでも、世界の中心には須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられています。――大文字焼きは正式には五山の送り火といって、ある死者の霊をあの世へ送り届けるための行事ですね。――大津山には、当時の祭祀が行われた名残を見ることができます。祭壇があるといいましたが、みかけたら時代の違いを感じながら山を登ってみてください。普段の生活で得ることのない良い緊張を感じられ、身が引き締まると思います」


 校長より圧倒的に聞きやすく、抑揚のついた飽きさせない語調。

 自然と真面目になっていた金田の顔は、今度はふっと力が抜け、明るい顔に切り替えられた。


「――さてさて、小難しい話はここまでにして。みなさん、到着までまだしばらくかかりますが、元気ですかー!」


 四角形のマイクを片手にぐっと拳をあげる金田。

 うぇーい、と微妙にテンションの高い声が上がる。


「実はこのバス、カラオケボックスの機能がついているんです! 誰か歌いませんか~?」


 そして、大津山に到着するまでの間、バスの中はカラオケ会場となった。





 その後のバス内カラオケで意外な偶然に気づいた。最後列から前方一列まえ、右側、サクラと薔子の前の席。そこに見知った、否、二度目ではあるがその姿は初めて見る二人がいた。


 腰までまっすぐに伸びたしなやかな髪。どこか高潔さを感じさせる雰囲気を有した自然な猫目。腕を組み、菊重(あきしげ)かなたは座席にふんぞり返っていた。


 その隣、菊重かなたとは対照的に存在が静かでいて、無表情な三村紫穂がちょこんと座っていた。漂白剤をまぶしたような白い肌は相変わらず艶やかで、雪を連想させる。


 なぜふたりの存在にカラオケが始まってから気づいたのかというと、


「ねぇねぇかなちゃんかなちゃん。一緒に歌おうよー」

「あーら、自分のへたくそさを自ら露呈するために私と一緒にわざわざ歌うの? よろしいですわ、私の美声を聴いて自分のへたくそさに身もだえるといいわ!」


 といったようなやりとりが多々あったからである。相手をけなし、自分を賛美するようなことをいいつつも、なぜか一年生の間では菊重かなたというものは人気を博していた。引っ張りだこである。


 口をぽかんとあけ呆気にとられていたサクラにかなたは気づくと、さも当然のようにこう言った。


「あら、みじめな先輩野郎ではありませんか。一曲どうです?」


 天井からコードで繋がれたマイクをサクラにむけ、すました顔をする。悪気という悪気をまったく感じない顔だった。


「ふぇっ!?」

「まーたあんたか、後輩野郎。サクラをいじめるんじゃないわよ?」


 目線は本に落としたまま、薔子は言った。


「ふふ。あなたとの決着はいずれ、必ずつけますわ!」

「はっ。私に敵うはずないじゃない」


 二人は昨日と変わらず敵対していた。しかしそのたった一言の会話だけでもお互いを認め合っているような、唯一のライバルとの会話を楽しんでいるような、そんな感慨すらある調子だった。


 サクラは丁重にお誘いをお断りし、またしても呆気にとられた。


 不思議な感覚が、サクラにはあった。自分の中のなにかが取り残されたような、価値観を壊す衝撃、とでも形容すればそれは、サクラの胸中を表している。


 なぜあんなにも、と急にそこまで出かけていたものが突然消える。自分はなにを感じたのか、わかりそうでわからない。


 軽快な音楽とともに自称美声のかなたの声が旋律を奏でる。実際にその声は自称でもないような気がした。


 頭が白くなっていたサクラの耳に、一年生の会話が流れる。


「菊重はやっぱみてて清々しいよな。普通うざって思っても言わないじゃん? でもあいつ誰彼かまわず思ったこと言うよな」

「だよな。わかりやすいっていうか、素直っていうか、ひねくれてない、単純な感じ」





*********************************





 一人だけ違う世界に取り残されたような寂寥感を感じていてもバスは止まることなく、三つ子山大津山連峰の(ふもと)に到着した。


 三つ子山大津山連峰。三つの山が肩を並べて佇んでいる連峰。そのどれもが“大津山”という同じ名を持っている。そのためか、区別をつけるために俗称でそれぞれ別の名で呼ばれている。


 御車高校伝統行事、登山遠足。毎年学年ごとに違う“大津山”を登る。一年次はサヅチと呼ばれる、北に位置する大津山を登る。二年次は南のサギリ、三年次は西のクラトに登る。


 三つの山で囲うように、山麓には観光地が広がっている。一般に山登りの地として多少の人気はあるらしい。なにもない開光映町さきはえまちとは大違いである。


 山々の傾斜に沿って流れるように東に進めば開光映町が見える。そんな途轍もないほど距離があるわけでもない土地にサクラ一行七班は足をつける。


 少し顔をあげれば嫌でも森林が目につく。遠くを見つめなくとも山の圧倒的な存在感を感じられる。冷ややかな空気。静かな山。開光映町は都会というには田舎すぎではあるが、都会の喧騒とはかけ離れた静かな緊張感が肌に染み込んでくる。


 サクラは歩きながら考えていた。今回の遠足で親友を得ることはできなくとも、自ら自発的に行動して仲のいい人をつくることをしたい。することが目的。そのためには自らが率先して自発的に行動する必要がある。なのに(・・・)自然体である菊重かなたにはなにもしなくとも人が群がっていた。彼女はサクラにないものを持っている。嫌味を言いつつも嫌われることなく人を引き付ける力。


 羨ましい、と思った。


 私のように努力をしなくとも私の望んでいるものが手に入る。実際はそうではないのだろうけど、なにもないよりは、いい。


 どうやって生きてきたら、あんな風になるのだろう。


 なんとなく独りだということを感じて生きてきたサクラには憧れずにはいられなかった。その憧れも、純粋な羨望ではなく自分の醜い部分が見え隠れするものだということを理解していた。そしてそんな自分が嫌になる。


 努力をすれば変わることができるのだろうか?


 変わろうとする努力。それを今回の遠足をきっかけにしていきたい。とは思うが、努力して得た私を認められてもそれは“私”という、吉野桜の存在ではないような気がする。


 無い物ねだりをしているわけではない。そういう風に考えて努力をしない、していない自分は怠けているとは思うし、馬鹿で愚かだとも思う。


 でも、努力して得るものは、自分を偽る仮面だと思う。


「あいたあっ!」


 いつの間にかうつむいて歩いていたサクラは、東屋の柱に頭をぶつけた。笑い声がどっと沸く。


「まったく、なにをやってるのよ」呆れた声で薔子は腕を組んでいた。

「え、えへへへ……」苦笑いをしながらサクラは頭の裏をかく。

「サクラも歩けば棒に当たる、かしらね」


 周囲はあっけらかんとして笑っていたが、サクラの心は笑っていなかった。





 東屋に到着した次は、班で飯盒炊飯をする。王道を字で行く王道のカレー作りだ。材料は事前に班内で持ってくるものを決め、各々当日に持ってくる。調理用具は現地で貸出ができるので、それを借りる。


 担任である小梅先生の合図とともに、生徒たちは調理を開始する。


 そしてサクラ含む七班も調理を開始する。意外なことに、調理でやる気を一番出していたのは薔子だった。


「――まずは役割分担よ! サクラ! あなたはどんくさいから包丁持ったらダメ。どんくささで殺人をされたらたまったもんじゃないわ。火を起こして米を炊きなさい。河原大和! あなたはまずサクラの火起こしを手伝ったら鍋用の火を起こして水を沸かしなさい。そのままルーができるまで頼むわ。私は米や野菜を洗ったり下準備をするわ。つりばか! あんたは私と一緒に野菜を切りなさい」

「はっはっはっ! どさくさに紛れて二人で作業をしたいだな・ん・て。しょうちゃんはなんて大胆なんだ! 僕は幸せ者だなぁ!」

須冷賑(すれい しん)。この問題児は私が受け持つわ。ふたりの活躍に期待する。いざ開始!」


 春日井薔子本人曰く、“普通のカレーが食べたい”らしい。サクラは特に料理べたというわけではないのだが、どうやら中学校の時に苦い思い出があるらしい。それを語る薔子の表情をみてサクラは心中を察した。


 薔子と賑は(一方的に薔子が)いがみ合いながら野菜を切っている。サクラは炎に包まれた黒の兵式飯盒を、頬杖をつきながら眺めていた。ばちばちと、化学反応の音が炎を揺らす。


 大きくまとまり反り返った前髪、それが一本の釣り針にみえるからつりばかというあだ名らしい。結構ずれたセンスだなぁ、と思いながらぼーっとしている。


「いくら私がどんくさいからって、ただ見てるのも暇だなぁ」


 サクラのしたことといったら、薔子が洗米した米を容器に移し、大和が火をつけた焚き木に飯盒を吊るしただけだった。ほぼなにもしていないのと同義である。


 そういえばハルも大津山にきているんだったと思い出し、ガラパゴス型の携帯電話を取り出す。連絡を取ろうとするが、結局連絡先を聞いていないことに気づき、落胆する。


 結局私はなにもしていないのかと半ば自分に飽きれつつ遠くを見つめる。


 するとその目線の先には、なにやらご老人たちの集団ができていた。軍手をした手にはみなゴミ袋を握っている。サクラはその中に背の低い、白のパーカーに濃い赤の梅のような色――中蘇芳(なかすおう)という色のミニスカートを履いた人物を発見した。


 発見したと同時に目を見開いて驚いた表情をそのままに、サクラはその集団の中へ駆け寄った。



「おやおやおや、かわいい子だねぇ」

「今どきの若い子なのにボランティアなんて珍しいねぇ」

「はは、は……。そんなことないですよ――ってなんでお尻触るんですかぁ!」

「おひょひょひょひょ。若い子はもちもちで柔らかいねぇ」


 その人物は年配の女性ご老人からセクハラを受けていた。入れ歯が定まらずけたけたと笑いながら妙にいやらしい手つきで老人に身体をまさぐられている。三人がかりで。


「おーいハルちゃーん!」


 手を大きく振りながらサクラはハルに声をかけた。


「ふぁっ! ちょっそこは――サ、サクラ!?」


 ハルがサクラに気づくと、ご老人三人衆もサクラに気づいた。


「おやおやおや、こっちにもかわいい子がいるねぇ」

「今どきの子はおっぱいおっきいねぇ」

「おひょひょひょひょ。眼福眼福」


その三人の目付きは獲物を狩る女豹(めひょう)のそれだった。


「えっ。なになになんですかその手つき。ちょっと、じりじりこないでくださいこわいでキャー!」




*********************************




「あ゛あ゛あ゛あ゛。焚き火の温かさが身に染みるぅ……」

「あの人たちなんなの……。あっ飯盒が泡噴出した。ひっくり返さなきゃ」

「サクラ知ってる? 飯盒でお米炊くときって飯盒炊飯(はんごうすいはん)じゃなくて飯盒炊爨(はんごうすいさん)って言うんだよ」

「へー知らなかった。あっちっち」



 手袋を巻き、サクラは飯盒の取手を木の枝で持ち上げて火から離しひっくり返す。

 蓋と本体との間からほくほくと出ていた湯気が小さくなる。ほんわかと香るお米のにおいが鼻腔をくすぐる。なんとも胃をかき乱す香ばしい匂いだ。


 惨劇ともいえる地獄からの解放のあと、ハルとサクラは焚き木の前で暖をとっていた。どうやらハルはゴミ拾いのボランティア活動で参加している人たちと会話をしていたらしかった。あれが会話かどうかの真偽を問われると、甚だ会話という単語の意味をはみ出していると言える。コミュニケーションの一部だと思えばいいのだろう。


 お昼の時間も近いということで、休憩の時間らしい。一緒にお茶しようと誘われていた時に出くわしたようだった。


「ハルちゃんカレー一緒に食べる?」

「いや、人数分しかないだろうし先約がいるから遠慮しとく」

「そっか、ざんねーん」


 さほど残念そうな口調でもないサクラだった。


 午後はハルも山を登るらしく、もし山頂付近で出会えたら一緒に景色でもみようと約束し、別れた。炊きあがったごはんを片手に、サクラは班員のもとへと戻った。





 ハルは歩きながら真っ黒な詐欺師の言葉を思い出していた。


「山という場は殺人をすることにおいてとても有利な“条件”だ。自然という人間では扱いきれない凶器が――狂気とでもいえるが――、殺人という人の犯罪を包み隠してしまう。――転落死という不慮の事故。野獣に襲われ負傷する事故。故意的に“故意”というものをもっともつくりやすい場所のひとつだ。事件を事故に改ざんするためには様々な弊害というものがあるが、それらをうまく消してしまえば真実を隠すのは容易である。真実は自然という世界に隠されてしまうからな。人間は自然の神秘というものを常に追い続ける生き物だが、辿り着くことは永遠にできない。ひたすらに追うだけで人生は終わる。それだけだ」


 ただの言葉遊びに似ているがな、と益荒男(ますらお)は続けた。


 聞いていた当初は、自然を大事に大事にといっていながらも自然のルールから抜き出た人間がなにを自然の神秘だどうだと馬鹿にしていたが、こと殺人においては的を射ていると思った。


 サクラが食べるカレーになにかを混入すれば、殺人は行い易くなる。


 例その一。毒物を混入し毒殺を謀る。


 これはもっとも単純でいてもっとも危険性が高い。直接即効性の強い、カレーの成分に耐えうる毒を混ぜればほぼ確実に殺すことができるだろう。しかし、そのあとにカレーの成分を調べれば簡単に殺人の可能性が浮上する。警察の介入に弱いのが弱点だ。それを防ぐために、毒素を持つ虫や花をカレーに混ぜるという手もある。生徒の不注意やなにかの偶然でカレーに混ざってしまった、という人間界外での出来事を理由にするのだ。


“虫が勝手にカレーにつっこんできた”“入れたらうまそうな花だった”


 なんとも馬鹿らしい理由だが、そこに作為性を感じる人間は少ない。しかしこの場合だと、人間を殺すほどの致死量の毒を与えることは難しい。せいぜい良くて腹を壊す程度だ。



 例その二、きっかけをつくる。


 たとえばカレーに遅効性の下剤を混ぜれば、登山中に腹を下し、排泄するべく一人になったところを襲う。そうすれば毒殺より遥かに安全に事を済ませられる。しかし、この場合ランダム性が非常に強く、対象を尾行しなくてはならない。あまり現実的ではない考えだ。が、犯行のきっかけをつくるという考え方については毒殺よりも現実的だ。



 こんな風にすぐ手口を考えられるくらいには、やはり山という“条件”は恵まれている。


 先ほど言っていた先約との集合場所に到着した。登山道入り口から少し外れた、(しげ)みの深い雑木林。考え事をしていたからといって木に頭をぶるける馬鹿はしない。


 この山は妙な雰囲気を感じる。ここに到着するまでに、人工物らしき残骸をちらほらとみることができた。それらが不可思議な雰囲気を放っているかのように不気味さを持っている、とでもいえようか。ただの瓦礫のようなものがそこにあるだけなのに。


「びびってんのか~。おいおい、かわいいとこあるじゃねぇか。ひとりが怖いだなんて」


 田代華音与(たしろかねよ)――いや、金田の男勝りな声がバスガイドの姿とともに現れた。木の影に隠れていたようだ。声とは裏腹に、きれいな長髪が黄色を基調とした制服にとてもマッチしていて正直かわいかった。


「…………」

「なんだ。なんとかいったらどうだ」


 胸中で感じたことはもちろん言葉にしない。いったら絶対調子に乗る。絶対。


「しっかしバスガイドってーのはめんどくせぇなぁ。余計な知識がてんてんてんこのてんこ盛りだよ」


 金田はがさつに倒木に腰をかけた。せっかくの綺麗な容姿がもったいない。


「ですが姐さん、ちゃんとおぼえていたじゃないですか。さすがですね」


 ハルの頭上から声がしたと思ったら、そこには木に登って本を読みながら嵐野奏也(あらしのそうや)――野口奏太(のぐち そうた)が澄ました顔で佇んでいた。


「はん。半日であれくらいは軽いもんよ。――はぁい皆さん、山岳信仰については理解できましたかー?」


 わざとらしさを誇張し、手にエアマイクを持ってバスガイドを演じる金田。


「若干キャラがぶれていますね。まぁそんなおふざけはこのへんにして、今後の行動を確認しましょうか」

「おいラン、センが来てねぇぞ」

「彼は太めのバスガイドの方と食事中です」

「あ? 二年二号車のあれか……。妙に仲良くしてたと思ったが、なるほどそういうことか」


 そういうと、金田はおもむろに天を仰いだ。


「あいつにも、とうとう春がきたんだな……」

「とうとう彼にも、春がきたんですね……」


 しみじみとふたりは、成長する我が子が巣立っていく時のわびしさを感じているがごとく感傷に浸っていた。


「は?」


 ハルは置いてけぼりだった。





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