表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/9

並んで食べる、昼休み~春のお弁当~



 中庭の奥のベンチに腰を下ろすと、木陰の空気がひんやりと肌に触れた。

 葉擦れの音がして、遠くで誰かが笑っている。

昼休みの学園は、どこか気が抜けている。

 僕は弁当袋を膝の上に置き、口を開いた。


「今日は、ここでいいですか」


「ああ」


 短い返事。

 カイルさんはすでにベンチの背に片腕を回し、外套の裾を整えている。

昼食に対する熱意は、相変わらず表情に出ない。

 弁当箱を二つ、並べる。

 いつものことだ。

 一つは自分の分。

 もう一つは――言うまでもない。


「……今日は何だ」


「春キャベツのやわらか炒めと、ポテトサラダと水底根の団子焼きです」


「ふうん」


 興味があるのかないのか、分からない声。

 けれど、弁当箱の位置をわずかに自分のほうへ寄せる仕草は、もう見慣れていた。

 ふと、足音が近づいてくるのが聞こえた。


「あ、いらっしゃいました……!」


 聞き覚えのある、少し息を弾ませた声。

 顔を上げると、レリーナさんが中庭の小道を小走りでやってくるところだった。

 両手には、白い布に包まれた弁当。


「ウィン先輩、カイル先輩、」


「こんにちは」


「……来たのか」


 カイルさんの声は相変わらず素っ気ない。

 けれど、レリーナさんは気にした様子もなく、ベンチの前でぴたりと足を止めた。


「……あの」


「はい?」


「今日は、その……ご一緒しても?」


 言葉の最後が、少しだけ揺れる。

 断られる可能性を、ほんの少しだけ考えている声だった。


「もちろんです」


「……座れ」


 二人分の返事が、ほぼ同時に重なった。

 レリーナさんは、ほっとしたように笑い、僕の隣――ではなく、少し間を空けて腰を下ろした。

 控えめで、でも離れすぎない距離。


「ここ、落ち着きますね」


「そうだね」


「ウィン先輩のお気に入りなんですよね」


 どうして知っているのだろう、と思ったけれど、否定するほどのことでもない。

 レリーナさんは自分の弁当を膝に置き、ふと視線を下に落とした。


「……あれ?」


「どうかした?」


「お弁当箱、二つ……ですよね」


 確認するような口調。

 僕は頷いた。


「はい。二つです」


「……ですよね」


 一瞬、納得したような顔をしてから、今度は弁当袋の横を見た。

 そこに置いてあったものに、視線が止まる。


「……カトラリーは」


「はい」


 僕は、袋の横ポケットから包みを取り出した。

 中身は、スプーンとフォークのセット。

 一つ。

 二つ。

 そして――


「……三つ目」


「はい」


 レリーナさんの目が、少しずつ大きくなる。


「……え?」


「どうした」


「い、いえ……」


 言葉を探すように視線が泳ぎ、やがて僕の顔に戻ってくる。


「あの……」


「はい?」


「その三本目は……」


 僕は、少しだけ間を置いてから答えた。


「レリーナさん用です」


「……え?」


 今度こそ、完全に固まった。


「……わ、私、ですか」


「はい」


 レリーナさんの反応は予想以上だった。


「……え、あの……」


「?」


「……ええと……!」


 レリーナさんは両手で口元を押さえ、肩は小刻みに震え始める。


「……どうした」


「カイル先輩……!」


「何だ」


 助けを求めるように視線を向けられ、カイルさんは一瞬だけ眉を寄せた。


「……意味が分からん」


「そ、そうですよね……!」


 でも、嬉しさは隠せていない。

 目がきらきらしている。


「……ウィン先輩」


「はい」


「私……ここに来るって、言ってませんでしたよね」


「ええ」


 だからこそ、三本目を用意した。

 来ない可能性も、もちろんあったけれど。


「……なのに」


「はい」


「……用意、されてる……」


 ぽつりと落とされた言葉は、驚きと感動と、少しの興奮が混ざっていた。

 カイルさんが、低く鼻で笑う。


「……騒ぎすぎだ」


「騒ぎますよ……!」


「意味が分からない」


「分からなくていいです……!」


 レリーナさんはそう言い切ってから、改めて僕のほうを向いた。


「……ありがとうございます」


「いえ。良かったら手を伸ばして?」


「はい!」


 僕は、弁当箱の蓋を開ける。

 中には、春キャベツのやわらか炒め。

 甘みが出るまで火を通した、淡い緑。

 その隣には、粒を残したポテトサラダ。

 卵焼きは少し厚めで、水底根の団子焼きは、香ばしい匂いを残している。


「……美味しそう」


「では、いただきます」


「……」


 三人で並んでお昼を食べる。

 距離が、いつの間にか埋まっていることに、僕はまだ気づいていなかった。




 弁当箱を開ける、ぱち、ぱち、と小さな音が続いて、レリーナさんのお弁当が目に入る。

 白い箱の中に、きっちりと収まった料理たち。

 色の配置まで計算されたようで、思わず姿勢を正したくなる。

 小さく巻かれたローストチキン。

 ハーブの香りを閉じ込めたまま、艶がある。

 隣には、薄切りの野菜を重ねたテリーヌ。

 ゼリー寄せの透明感が、日差しを反射している。


「……きれいだね」


「そ、そうですか?」


 レリーナさんは、少し照れたように弁当箱を見下ろした。


「料理人が作ったものなので……私は、詰めただけなんです」


「自分で詰めたの?レリーナさんが?」


 ご令嬢であるレリーナさんが、お弁当を詰めるなんてびっくりだった。

 確かに、放課後は一緒にお菓子を作っているけど。


「レリーナさん、詰め方が丁寧で上手だね」


「ありがとうございます……」


 褒められ慣れていないのか、声が少し高くなる。

 カイルさんが、ちらりと横目でその弁当を見た。


「……気合い入ってるな」


「そ、そうでしょうか」


 僕も自分のお昼に戻る。

 湯気はもう立っていないけれど、春キャベツのやわらか炒めは、まだ香りが残っている。

 火を入れすぎないようにした分、色がきれいだ。


「……あ」


「どうかした?」


「キャベツ、春のですね」


 言い当てられて、少し驚く。


「分かる?」


「はい。甘い匂いがします」


 レリーナさんは、身を乗り出すように覗き込んだ。


「こちらは……ポテトサラダ?」


「はい。少しだけ粒を大きめに残して」


「……好みです」


 好み、という言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「卵焼きも、厚いですね」


「焼きすぎると固くなるので」


「……水底根の、これは?」


「団子焼きです」


 説明するたびに、レリーナさんの反応が一段階ずつ大きくなる。


「……すごい」


「普通だよ」


「普通じゃありません」


 即答だった。


「弁当……食うぞ」


「どうぞ」


 カイルさんの口の中に、水底根の団子焼きが一つ消えた。


「あっ」


「?」


「それ、カイル先輩の分ですよね……」


「当たり前だろ」


 当然だ、という顔。

 そして、何事もなかったかのように咀嚼する。


「……いいですね」


「何がだ」


「ウィン先輩のお弁当、毎日……」


 羨望が、声にそのまま出ている。


「……羨ましいです」


「そうか」


「そうです」


 レリーナさんは、じっとカイルさんを見つめた。


「ずるいです」


「何が」


「……全部です」


 意味が分からない、という顔をしながらも、カイルさんは食べるのを止めない。


「……レリーナさん」


「?」


 僕は、三本目のカトラリーを差し出した。


「少し、どうですか」


「え……」


「よかったら、味見程度でも」


 一瞬、固まってから、ぱっと表情が明るくなる。


「……いいんですか」


「はい」


「……では」


 慎重に、水底根の団子焼きを小さく切って、口に運ぶ。


「……」


「……」


「……!」


 目が、また大きくなる。


「……美味しいです」


「よかった」


「……すごく」


 言葉を探すように、何度も頷く。

 その様子を見て、カイルさんがぼそっと言った。


「……騒ぎすぎだ」


「騒ぎます」


「……そうか」


「はい」


 きっぱり。

 三人分の影が、足元で少し揺れる。

 ベンチの上の距離は、気づけば最初より近い。


「……次は」


「?」


「……私も、簡単なものなら作れると思いますか……」


「うん。いいと思うよ」


「……教えて、いただけますか」


「もちろん」


 その返事を聞いた瞬間、カイルさんがわずかに眉を動かした。

 



 弁当を食べ終えるころ、風が少し強くなった。

 木の葉が擦れる音が、ベンチの背もたれの向こうから聞こえる。

 レリーナさんは、きちんとハンカチで口元を拭いてから、

 弁当箱のふたを閉めた。


「……ごちそうさまでした。ウィン先輩、ありがとうございました」


「いえ」


「本当に、美味しかったです」


 レリーナさんの様子が子どもっぽくて、思わず笑いそうになるのを堪えた。


「……ところで」


「はい?」


「今日は、迷わなかったんだね」


 言った瞬間、レリーナさんの動きが止まった。


「……え」


「ここまで、ちゃんと辿りついてるから」


「……そ、それは……」


 視線が泳ぐ。


「……努力しました」


「努力」


「はい。昨日、地図を三回見ました」


「ふふ、三回で足りたの?」


「足りませんでした」


「じゃあ、どうやって……」


 そこで、カイルさんが口を挟む。


「……案内板の前で立ち止まってた」


「見てましたね?」


「遠くからな」


「カイル先輩……ぜひ次は助けていただけたら」


 なぜかカイルさんが、ふい、とそっぽを向く。


「でも、たどり着けて良かった」


「……はい」


「すごいよ」


「……そうでしょうか」


「僕はすごいと思う。レリーナさん苦手でしょ?」


 そう言うと、レリーナさんは少しだけ胸を張った。


「……では、次はもっと自然に来られるようにします。次も、こちらでしょうか?」


「うん、そうしよう」


 即答だった。

 カイルさんが、短く息を吐く。


「……場所、固定か」


「お気に入りだから」


「……そうか」


 納得したのかしていないのか、分からない返事。

 そのとき、少し離れた通路を、上級生らしき二人組が通り過ぎた。

 一瞬、こちらを見る視線。


「……」


「……」


 何も言われない。

 けれど、見られた、という感覚だけが残る。


「……目立ってますか」


「え?」


「……私たち」


 レリーナさんが、小さな声で訊く。


「そんなこと、ないと思うけど」


「……そうでしょうか」


 不安そうに、視線を落とす。

 カイルさんが、少しだけ体の向きを変えた。

 

「……気にするな」


「はい」


「…….だけだ」


「……はい?」


 レリーナさんが首をかしげる。


「昼に、弁当食ってるだけだ」


「……そうですね」


 それだけのことだ。

 ただ、それだけが、少しずつ特別になってきている。


「……あの」


「はい?」


「明日も……」


「?」


「……来ても、いいですか」


 確認するような声。


「もちろん。さっき道の話したのに」


「……よかった」


 その返事を聞いて、

 レリーナさんは、今度こそはっきり笑った。


「……迷わないようにします」


「一緒にお昼食べよう」


「はい!」


「じゃあそろそろ行こうか」


 立ち上がるとき、

 少しだけ足元がふらつく。


「あ」


「大丈夫ですか」


「……うん。靴紐が」


「結んでやる」


 カイルさんが、平然と結びなおしてくれた。

 その距離感が、少し不思議で、少しだけ安心してしまう。


「……では」


「はい」


「また、放課後に」


「はい!」


「……」


 三人で、それぞれ違う方向へ歩き出す。

 数歩進んでから、なぜか同時に、振り返った。

 目が合って、誰も何も言わないまま、また前を向く。

 昼休みが終わる。

 けれど、このベンチの時間は、きっと、続いていく。





 午後の授業は、いつもと同じはずだった。

 黒板の文字も、教師の声も、特別変わらない。

 それなのに、どこか落ち着かない。

 理由は分かっている。

――視線だ。

 こちらを見て、すぐに逸らされる。

 目が合ったと思った瞬間に、急に会話が止まる。

 何度か続くと、さすがに気づく。

 ただ、心当たりはない。

 家政魔術部で何か失敗したわけでもないし、昼に騒いだ覚えもない。

――いや。

 昼だ。

 あのベンチで、カイルさんと並んで食べたこと。

 そして、途中から侯爵令嬢のレリーナさんが合流したこと。

 でも、それだけだ。

 僕からしたら、弁当を分けて、少し話をして、いつもより賑やかだった、というだけ。

 それが、そんなに珍しいのだろうか。


「……ウィン」


 前の席の生徒が、振り返ってくる。


「何?」


「今日さ」


「うん」


「昼……誰かと一緒だったよな」


 一瞬、何のことか分からなかった。


「ああ、うん」


「……そうか」


 それ以上は言わず、向き直ってしまう。

 何を確認したかったのかも、分からない。

 別の休み時間。

 廊下ですれ違った上級生たちが、

 小声で話すのが聞こえた。


「……家政の」


「だよね」


「でも、あの組み合わせ……」


 途中で声を落とされ、続きは聞こえない。

 名前も出ない。

 はっきりした内容もない。

 ただ、話題にされているらしい、という感触だけが残る。

――考えても仕方ない。

 そう思って、教室に戻る。



 一年生の棟は、ここから少し離れている。

 だから、レリーナさんの姿はない。

 カイルさんの姿ももちろんない。

 戦闘科もこの棟から離れた場所にある。

 昼に会えたのは、たまたま時間と場所が合ったからだ。

 休み時間に話せないのは、当たり前なのに、そのことが今日は少しだけ気になった。

 次の授業の準備をしながら、昼のベンチを思い出す。

 三人分の影。

 お弁当。

 カトラリーの数。

――あれも、別に……普通だ。

 多めに持っていっただけ。

 よくあることだ。

――よく、ある?

 一瞬、考えかけて、やめた。

 深く考えるほどのことじゃない。

 放課後になれば、部室で会う。

 それで十分だ。

 そう結論づけたところで、また視線を感じる。

 理由は、やっぱり分からない。

 けれど、不思議と嫌な気はしなかった。

 今はただ、静かなところに置いてきたはずの昼の時間が、思ったより遠くへ行ってくれない。

 それだけのこと。








 水底根はれん根です。

 迷子のレリーナちゃんを見て見ぬふりをした意地悪なカイルです。

 ウィンは今日もみんな一緒でるんるんです。


 葉月百合

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ