放課後の遠回りな好意たち~いちごの焼きタルト~
「ウィン先輩!エプロンは、こちらを着ていただけませんか!」
部室に入った瞬間、レリーナさんの声が飛んできた。
振り向くと、彼女は三枚のエプロンを抱えて立っていた。
エプロンには小さな刺繍が施されている。
レリーナさんは街に出かけたとき、僕とカイルさんと一緒に着るためのエプロンを買ってきてくれたらしい。
三枚のエプロンを大事そうに抱えて、少し照れくさそうにこちらを見ている。
「これを、みんなで一緒に着たくて……思わず買ってしまいました」
彼女の声と笑顔に、思わず心がふわりと温かくなった。
「……ありがとう。街まで行って、選んでくれたんだね」
そう言って手を差し出すと、レリーナは少しだけ驚いた顔をして、すぐに小さくうなずいた。
ためらうような間のあと、いちばん上の一枚が、そっと僕の手に渡される。
「はい。気に入っていただけたら、いいんですけど……」
布の感触が、思っていたより柔らかい。
それ以上に、その気持ちが、なんだか温かかった。
「うん。ありがとう。大事に使うよ」
そう答えると、レリーナはほっとしたように、ほんの少しだけ笑った。
「少しだけエプロン違うんです!」
「え、どれも同じデザインに見えるけど?」
「違います!紐の長さが」
「そこ?」
「はい、そこです」
真剣な目で見つめられると、逆らえない。
言われるままに受け取ると、低い声が横から響いた。
「……俺のは?」
突然現れたカイルさんが視線を落として、ぶっきらぼうに訊く。
レリーナは一瞬ためらったように息を吸い、慎重に手を差し出す。
「カイル先輩は、これです……」
その声は控えめで、小さく震えているようにも聞こえた。
僕には、彼女が遠慮しているのがよくわかる。
「……俺のまで悪いな」
カイルの声は淡々としていて、ぶっきらぼうだ。
だが、手はきちんとエプロンを受け取る。
布を受け取る彼の動きは、ぎこちなくも確かに丁寧だった。
レリーナはほっとしたように、ほんの少し笑みを浮かべる。
放課後の家政魔術部。今日作るのはいちごの焼きタルトだ。
王道で、見た目も香りも華やかだが、工程が多く、失敗しやすい。
机の上には、洗われたいちご、ボウル、計量器具、タルト型、麺棒がきれいに並んでいる。
レリーナさんがぱん、と手を叩く。
「ではお言葉に甘えて、私が役割を決めさせていただきます。まず、私が計量といちごの下処理をします」
「僕は?」
「先輩は、全体を見てください」
「つまり……」
「口出し係です」
レリーナさんが誇らしげに言う。
「何もしないより気疲れする役だな」
カイルさんがふっと笑った。
彼は生地担当になった。
計量が始まる。砂糖を量るレリーナの手元は、慎重を通り越して緊張感が漂っていた。
「……百グラム……百十」
「ちょっと待って」
「今のところ大丈夫です」
「いや、レリーナさん――」
「あぁっ!……やってしまいました」
「ううん、甘いほうが、いいから大丈夫」
レリーナさんはいちごを切る作業に移る。
赤い果実がまな板の上に整列する。
包丁を握る手に力が入りすぎて、ざくっ、といちごが少し潰れた。
「あ……」
「大丈夫?」
「焼けば分かりませんよね」
「いや、分かるだろう」
「カイルさん」
横からカイルが淡々と指摘する。
「潰れたいちごは、食感が変わる」
「……分かっております」
レリーナさんは、崩れた部分をそっと端へ寄せた。
指先は静かで、余計な力が入っていない。
僕はそれを、特に口を出さずに見ていた。
生地作りに移る。
カイルさんは黙ったまま麺棒を転がす。
動きに無駄がなく、生地は素直に伸びていった。
「慣れてるね、カイルさん」
「昔、少しな」
「そうなんだ。意外」
「意外とは何だ」
レリーナさんは、すぐには続けず、少し間を置いた。
「カイル先輩……お上手ですね」
「…まあな」
生地は彼女に渡され、型に敷かれる。
その端が、わずかに裂けた。
「あ……」
短い声と同時に、レリーナさんは僕を見る。
頼るほどではないが、確かめるような目だった。
「大丈夫。ここ、寄せれば」
そう言うと、彼女はうなずいた。
「……はい」
その間に、カイルさんの手が伸び、生地を整える。
レリーナさんは一瞬だけ動きを止め、それから静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。カイル、先輩」
「……あぁ」
「本当にカイルさん、手先が器用だね」
「もう言うな」
「うん、分かった」
「……」
型に敷いた生地を、もう一度確かめる。
端はきれいに収まっていた。
「……ウィン先輩」
「ん?」
レリーナさんは、生地を押さえながら言う。
「先輩って、お昼……一人で食べるの、好きですよね」
「うん。まあね」
「やっぱり、そのほうが落ち着きますか」
「うーん。一人が慣れてるから、かな」
いちごを並べていた指が、ぴたりと止まる。
「……でも」
「誰かと一緒だと、落ち着かない、とか……」
「それはないよ」
そう答えると、レリーナさんは一瞬だけ顔を上げた。
「……そうなんですね」
ほっとしたようで、でもどこか納得しきれていない。
そのまま、ちらっと横を見る。
カイルさんは何も言わず、生地を伸ばしている。
距離は近い。作業上は問題がないくらいに。
「……先輩」
「なに?」
「その……」
言いかけて、やめる。
「いえ。やっぱり、いいです」
少しだけ、むっとしたような声だった。
それを聞いていたカイルさんが、間を置いて口を開く。
「じゃあ」
手は止めない。
「俺が昼に座ったのは、邪魔だったか」
「え?」
「一人が好きなんだろ」
少し考えてから、僕は首を振った。
「邪魔じゃないよ」
「本当に?」
「うん。一人で食べることが多いからさ。ちょっと不思議で、……楽しかった」
「……そうか」
カイルさんはそれだけ言って、生地に視線を戻す。
レリーナさんは、いちごの位置を直しながら、ぼそっと言った。
「……ご一緒に、召し上がっていたんですね」
小さな声だったけど、ちゃんと聞こえた。
オーブンに入れる。
扉を閉めると、金属の音が一度、部室に残った。
焼き上がりを待つ。
時間はいつもと同じはずなのに、少しだけ長い。
レリーナさんの視線は、しばらくオーブンの前にあった。
オーブンの向こうで、かすかに甘い気配がする。
魔法がかかった砂時計の砂が、静かに一粒ずつ落ちていく。
オーブンの前で、三人並んで立っていた。
立ち位置は偶然のはずなのに、間隔だけが少し不揃いだ。
レリーナさんは、背筋を伸ばしたり、緩めたりしている。
急いでいるわけでもないのに、落ち着かない様子だった。
カイルさんは壁に寄りかかり、腕を組んだまま黙っている。
何か考えているのか、それとも何も考えていないのか、分からない。
僕は焼き色の具合を想像してみて、
もう確認のしようがないことに気づき、やめた。
「……そろそろですね」
レリーナさんが、確かめるように言う。
「うん」
短く答えると、彼女は小さく息を吐いた。
砂が落ちきる。
次の瞬間、乾いた音で合図が鳴った。
扉を開けると、今度ははっきりと甘い匂いが広がる。
「……できたな」
カイルさんが、ぼそっと言う。
「ですね、ウィン先輩!」
レリーナさんは一歩引いて、僕を見る。
その仕草が自然で、少しだけ胸に残った。
タルトを取り出し、台に置く。
焼き色は悪くない。
むしろ、ちょうどいい。
切り分けて、皿に乗せる。
三人とも、なぜか同時にフォークを持った。
「……甘い」
最初に口を開いたのは、カイルさんだった。
「砂糖、入れすぎました」
「うん、知ってた」
「でも……失敗では、ないですよね」
「ないね」
そう答えながら、もう一口食べる。
甘いけれど、嫌な甘さじゃない。
「先輩」
呼ばれて顔を上げると、
レリーナさんは少しだけ姿勢を正していた。
「なに?」
「今度……お昼、ご一緒してもいいですか」
頼みごとというより、確認に近い言い方だった。
「もちろん」
それだけで、彼女の表情が少し緩む。
間を置かず、カイルさんが言う。
「……俺も行く」
「決まったみたいに言いますね」
「そう聞こえたか」
「聞こえました」
「……ずるいです」
「何がだ」
「なんでもありません」
レリーナさんはそう言って、フォークを置いた。
窓の外で風が鳴る。
カーテンがわずかに揺れ、机の上の影が動く。
三人で同じタルトを食べているだけなのに、
さっきまでより、少し賑やかだ。
「……意外と、楽しいですね」
「……」
「……こういうの、嫌いじゃないです」
言い切ったあとで、視線を落とす。
「次は何を作る?」
「なんでもいい」
「私は、フルーツ系がいいです」
「じゃあ、次も計量お願いしようかな」
「はい!あと、甘すぎないのがいいです」
レリーナさんの返事が、少しだけ弾んでいる。
僕もつられて笑う。
カイルさんは無言でタルトの端をつつき、ほんのわずか、口角を上げた。
「それ、無理じゃないか」
「努力します」
そんなやり取りに、思わず笑ってしまう。
放課後の部室に残るのは、いちごの匂いと、静かな余韻。
「……今日も、一人じゃなかったな」
そう思って、今度は少しだけ楽しい気分になる。
部室の鍵を閉めながら、ふと昼休みのことを考える。
いつもの席。
いつものパンやお弁当。
……でも、となりに誰かがいるかもしれない。
「次は、お昼ですね」
レリーナさんが、思い出したように言った。
「そうだな」
「何食べる?」
「それ、今、決めるのか」
他愛ないやり取りなのに、少しだけ胸が弾む。
一人で食べる昼も悪くない。
けれど、三人分の影が並ぶ昼も、たぶんきっと、思っているより楽しい。
そんな予感を、まだ言葉にはしないまま、僕たちはそれぞれの帰り道へ向かった。
ウィンも明るくなってきました。
カイルとレリーナちゃん、頑張ってます。
ライバル感が出てきました。
葉月百合




