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失敗多め、味は上々~揚げないドーナツ~


 放課後の学園は、春の陽光に包まれていた。

 校舎の窓から差し込む光は暖かく、部室の中まで柔らかく届く。

 家政魔術部の扉を開けると、いつもの甘い香りが漂った。

 粉やバターの匂い、そしてかすかに残る昨日のお菓子の香ばしさが混ざり合い、部屋全体に穏やかな空気を作っている。

 僕は作業台の前でエプロンの裾を軽く結び、材料を整えた。



 今日は揚げないドーナツを作る。

 簡単そうに見えて、型入れやトッピングでいくつかのハプニングが起きやすいお菓子だ。

 レリーナさんはいつもどおり緊張した表情で、計量スプーンを手に取っている。


「ウィン先輩、砂糖は……このくらいでよろしいでしょうか?」


「うん、大丈夫だと思う」


 僕が答えると、彼女は小さく頷き、慎重に砂糖をボウルに入れる。

 しかし、その手が少し震え、ほんの少し隣りに落ちた。


「あぁっ……!」


 慌てるレリーナさんを見て、カイルさんは眉ひとつ動かさず、視線だけで床に落ちた砂糖を静かに集めた。


「ありがとう、カイルさん」


「ありがとうございます、カイル先輩!」


「……」


 彼は無言で頷く。

 さりげなく、フォローしてくれる。

 いつの間にか、それが自然の流れになっていた。

 卵を割るときも、レリーナさんは力加減を間違えて少し黄身が跳ねた。


「うわぁっ……」


 手を振るたびに粉が舞い、床の端に広がる。

 僕は生活魔法で微風を送り、粉をボウルに戻す。


「……お前、今日、五回目だぞ」


 いつも無言のカイルさんが、レリーナさんに向かって、ぼそっと言った。


「えっ……そ、そんなに……?まだ三回目くらいですよね?ウィン先輩……」


「あぁ、えっと、どうだろう」


「……」


 ごまかすように、僕は指先で温度をほんの少し上げ、材料が滑らかに混ざるように調整した。


「……はぁ、毎回こんなに緊張するものなのですか、ドーナツ作りって」


 レリーナさんは小声で呟き、肩を落とす。


「大丈夫、僕も最初は緊張したよ」


「ウィン先輩……私、頑張りますね!」


「うん」


 カイルさんはそれに答えず、黙って手元を見守っている。

 無言のままの存在感が、妙に安心感を生む。



 そのとき、廊下がざわついた。

 遠くの笑い声が近づいてくる。

 足音が増える。珍しい。


「……?」


 その気配が、部室の前で、足が止まる。


「ここが、家政魔術部?」


「入ってみようぜ」


「すんませーん、ここで菓子食えるって……」


 がらがらと勢いよく扉が開いた。

 知らない戦闘科の生徒数人が顔を出す。

 レリーナさんが固まった。

 背中が更にぴんと伸びている。


「ええ、作っていますよ。良かったら……」


「部外者お断りだ」


 僕を遮るように、カイルさんの声が部屋に響いた。

 その低い声だけで、部屋の空気がぎゅっと引き締まる。


「カイルさん、でも——」


「今は、作業中だ」


 それ以上、言わせない。

 それだけの言葉で、彼はただ静かに、その場を制していた。

 間が空く。

 生徒達は少し後ずさり、無言で会釈する。


「……あ、あ、えっと。大変失礼いたしましたっ!!!!」


 綺麗な回れ右をして、まるで逃げていくように音が遠ざかる。

 しばらくして、また静かになる。

 レリーナさんが、小声で呟く。


「噂がもう……」


「噂……?」


「いえ!ウィン先輩はお気になさらず!」


「そう?」


「……気にするな」


「カイルさんまで……」


 納得したような、していないような顔をうかべてしまう。


「そのうち、配布するのもいいかもしれないね」


「……」


「あ……はは、そうですね」


 カイルさんはむすっとしてそっぽを向き、レリーナさんは苦笑いする。

 黒髪で整った顔立ち。肩幅は広く、制服もいつもきちんとしている。

 彼の立ち姿は自然と目を引く。

 やはり戦闘科の生徒達は恐れでも感じたのだろうか。

 彼らが後ずさりした理由がなんとなくわかる気がした。



 生地を混ぜ終えると、次は型入れだ。

 ここで油断すると形が崩れる。

 レリーナさんは慎重すぎて手が固くなり、型に生地を入れるたびに少しずつ周りに飛び散る。


「……あっ、すみません」


「大丈夫」


 カイルさんは立ったまま、視線だけで飛び散った生地を押さえ込む。


「カイル先輩……どうしてこんなことが……」


「……慣れだ」


 型に生地を入れ終わったら、次はトッピングだ。

 粉砂糖にチョコチップ、ナッツを少しずつ散らしていく。

 ここで力加減を間違うと、形も見た目も台無しになる。

 レリーナさんは慎重すぎるほど慎重に手を動かした。

 力の配分がうまくいかず、粉砂糖をふわっと振った瞬間、自分の肩や髪にまで降りかかる。


「きゃっ……!」


 彼女は思わず手で払いながら後ずさる。

 小さな白い粉の雲が部屋の中でひらひら舞った。

 僕は思わず吹き出しそうになるのを堪える。

 生活魔法で空気の流れを微かに変え、粉を元のボウルへ戻す。

 ほんのわずかな手の動きだが、こうすることで粉が散りすぎず、床もテーブルもほとんど汚れない。


「……すみません、ウィン先輩。粉が……」


「大丈夫だよ。こういうときは慌てずにね」


 チョコチップを振りかけると、勢い余って一つが隣の粉砂糖に飛んだ。


「わっ……!」


 粉砂糖とチョコが混ざって、ちょっとした小さな惨事に。

 カイルさんは立ったまま静かに、視線だけで飛んだチョコを生地の上に押し戻す。

 手も声も出さないのに、彼は平然と魔法を使う。


「……あ、ありがとうございます」


 レリーナさんは赤面しながら小さく呟いた。

 僕は魔法でトッピングの位置を微調整する。

 チョコチップの間隔や砂糖の厚さが均一になるように、ほんのわずか、見えない手で表面を撫でる。

 触れないけれど、目で見た通りの結果が出る。


「……ウィン先輩って、やっぱり器用ですね」


 レリーナさんは小声で感心している。


「いや、微調整だけ。ほとんど魔法の力」


 その間もカイルさんは立ったまま、目を細めて見守る。

 口は一言も発さないが、チョコが飛んだり粉が舞ったりする瞬間にはさりげなく視線で方向を整え、余計な混乱を防いでいる。



 トッピングを終え、ドーナツをオーブンに入れる。

 揚げないとはいえ、焼き加減は繊細だ。

 温度が少し高すぎると表面が割れ、低すぎるとしっとりしすぎる。

 僕は生活魔法で火力を微調整する。

 温度をほんのわずか上げたり下げたり、空気の流れを調節したり。

 焼き上がりの表面の滑らかさを意識しながら、見えない手で生地の表情を整える感覚だ。





 外の光は西に傾き、窓に長い影を落としていた。

 部屋の中は静かで、でもどこか張りつめた感じもある。

 レリーナさんは時折、僕やカイルさんをちらりと見上げる。

 表情はまだ緊張しているけれど、どこか楽しそうでもある。

 焼き上がりの香ばしい匂いが部屋に広がる。

 三人は作業台に集まった。

 形は少し不揃いだが、手作り感があって、自然と笑みがこぼれる。


「いただきます」


 一口食べると、砂糖の甘さと生地の柔らかさが口に広がる。

 レリーナさんは目を細めて、小さくコクコク頷いた。

 カイルさんも黙って手に取り、静かに頷く。

 僕もほっと息をつき、微笑む。

 作業がひと段落して、三人の距離が少し近づいたように感じる。

 レリーナさんは粉まみれの手を気にしつつも、嬉しそうに笑う。

 カイルさんは相変わらず無言だが、その目は僕たちの方を向いている。


「どうかした?カイルさん」


「いや、……別に」


 部室の時計の音、オーブンの微かな振動、砂糖の香り。

 焼き上がったドーナツの甘い匂いが、まだ微かに残っている。

 粉の名残、温もり、片付けきれない気配。

 それらが混ざり合って、静かな時間をつくっていた。

 三人だけの時間。

 今日もレリーナさんの小さな失敗がいっぱいあって。

 粉は舞い、ドーナツの形は不揃い。

 でも笑いに変わる。

 部外者の騒ぎもあったけれど、ここにいる三人には関係のないことで。

 窓の外の光は傾いて、夕方の風がカーテンを揺らす。


「……今日も、いい一日でしたね」


 レリーナさんが、窓の外を見つめて、ぽつりと呟く。


「うん、そうだね……」


 返事をしたのは僕だったけれど、隣にいるカイルさんも、わずかに頷いたのが視界に入る。


――この穏やかな放課後が、いつまで『いつも通り』でいられるのか。

 まだ始まったばかりなのに、そんな考えが、ふと頭をよぎった。

 それでも今は、まだ。

 三人で過ごす、日常になったこの時間を大切にしたかった。

 ドーナツの甘い香りの残る部室で、

 何気ない放課後が、静かに幕を閉じる。





 カイルがしゃべりました。


 葉月百合

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