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減りの早いカップ~レモンティー~



「ウィンいる? あ、いた。オレ入部する!」


 扉が勢いよく開いた。

 はしばみ色の髪が揺れる。若葉色の瞳が迷いなく室内を見渡し、まっすぐ僕を捉えた。

 部室の空気が止まる。

 カップを持つ手が、わずかに止まった。


「アルテ?!」


 思わず声が出る。


 ――少し前。

 レモンの皮を薄く削ぐと、指先に油分が残った。

 爽やかな匂いが立つ。

 部屋に差し込む光は柔らかい。

 今日は少し薄めに淹れようと思った。濃すぎると、この時間には重い。

 カップを三つ並べる。

 午後の光が、机の上に広げた図案用紙を照らす。

 僕はポットに湯を注ぎながら、もう一度紙を覗き込む。

 細い線で描かれた花模様。文化祭で展示する刺繍の下絵だ。


「この蔓、もう少し細くした方がいいかな」

 

 ペン先でなぞると、インクがわずかに滲んだ。


「細くすると全体の強度が落ちる」


 向かいからカイルさんが静かに言う。長い指で紙の端を押さえ、図案を傾けて見る仕草は、どこか丁寧すぎるほど整っている。

 刺繍をしたことはないと言いながら、カイルさんのアドバイスは的確だった。


「だが、繊細さは増すな」

「どっちがいいかな……」


 僕が首を傾げると、窓際からレリーナさんが穏やかに微笑んだ。


「展示用ですから、多少華やかでもよろしいのでは?」


 レリーナさんは既に糸の色見本をいくつか並べている。淡い青、生成り、薄紅。光を受けて、柔らかくきらめく。

 ポットの中で茶葉が開ききるのを待ちながら、僕はもう一枚の紙を広げた。


「じゃあ、中央にこの花を置いて……」


 そのとき。

 廊下から足音が近づいてくる。

 迷いのない、軽い足取り。

 ノックは一度きり。

 返事をするより先に扉が開いた。


「ウィンいる? あ、いた。オレ入部する!」


 明るい声が部室に飛び込んできた。

 はしばみ色の髪が揺れる。若葉色の瞳が真っ直ぐこちらを捉えている。

 僕の手が止まった。


「……アルテ?!」


 カイルさんの視線が、静かに持ち上がる。

 アルテは躊躇なく部室へ入り、ぐるりと室内を見渡した。

 机の上の図案、糸、ポット、そして三人分のカップ。


「なんか作ってんの?」

「文化祭の刺繍の図案」


 僕はまだ状況を飲み込みきれないまま答える。

 レリーナさんがゆっくりと立ち上がった。


「お二人にご紹介いたしますわ」


 その声音は、いつも通り落ち着いている。


「彼が、以前お話しした私の幼馴染、アルテです」


 僕とカイルさんの視線が同時にアルテへ向かう。


「幼馴染?」


「ええ。最近、部活について相談を受けておりました幼馴染です」


 さらりとした口調。

 アルテは肩をすくめる。


「前から興味あったし」


 その視線がカイルさんへ向く。

 一瞬。

 沈黙。

 アルテは礼を取らない。かといって無礼な態度でもない。ただ自然体で、まっすぐ見返す。

 カイルさんも立ち上がらない。ただ椅子に腰掛けたまま、静かに視線を受け止める。


「アルテは同じ寮生なんです」

「そっ」


 アルテは短く答えた。

 そして、当然のように僕の隣の椅子を引く。床板が小さく軋む。

 距離が近い。

 僕の袖に、アルテの腕が触れそうになる。

 カイルさんの視線が、そこへ落ちる。


「寮で一緒なのか?」


 何気ない口調。


「同じ寮。部屋は向かい」


 あっさり言う。

 僕は思わず振り向いた。


「向かいだったの?」

「え、知らなかったの?うわーさみしいわ、オレ」


 アルテが笑う。


「朝も夜もだいたい会うよな」

「確かに偶然会うこと多いね」

「ま、同じ寮なんだから会うっしょ」


 軽い調子。

 だが、カイルさんの指先がカップの持ち手をわずかに強く握るのが見えた。


「随分と親しいようだな」

「普通だろ」


 アルテは僕の肩に軽く触れる。ほんの一瞬。

 カイルさんの瞳が、わずかに細まる。

 レリーナさんが糸を整えながら、静かに言った。


「アルテ、図案に興味は?」

「刺繍はできないけど、見るのは好き」


 アルテは身を乗り出し、図案を覗き込む。僕の腕に近づく形になる。


「これ、真ん中の花、もっと大きくしてもいいんじゃない?」

「え?」

「遠くから見たら目立たない」


 指先で紙の中央を示す。

 カイルさんが反対側から覗き込み、冷静に言う。


「その場合、周囲の余白が足りなくなる」


 自然と、三人の頭が図案の上で近づく。

 距離が、さらに縮まる。

 アルテは視線を横へ滑らせる。


「なら外枠を広げれば?」

「布のサイズは決まっている」

「じゃあ色で目立たせたら?」


 僕は静かに頷く。


「いいね」


 会話が自然に弾む。

 だが、その合間に、アルテとカイルさんの視線が何度もぶつかる。

 にこやかに。

 だが逸らさない。

 僕はポットを持ち上げ、四つ目のカップに紅茶を注ぐ。

 湯気が立ち上る。

 アルテはそれを見て笑った。


「え、オレの分?やったー」


 一口飲む。


「うまい」


 素直な感想。

 カイルさんが静かに言った。


「……当たり前だ」


 レリーナさんはその様子を穏やかに見守っている。

 その微笑みは、ほんの少しだけ、面白がっているようにも見えた。


「アルテ、入部届は後ほど提出を」

「了解」


 アルテは軽く手を挙げる。


「オレ、毎日来るわ」


 さらりと言う。

 カイルさんが目を細める。


「随分と熱心だな」

「まあね」


 アルテは肩をすくめる。


「せっかく寮でも顔合わせるし」

「え?」

「どうせなら、部活でも一緒のほうが楽しいだろ?」


 悪びれない笑み。

 カイルさんが静かに紅茶を口に含む。


「……そうか」


 カップを置く音が、やけに小さく響いた。

 指先が、机をかすめる。

 沈黙。

 午後の光は変わらず柔らかい。

 刺繍の図案はまだ完成していない。

 四つのカップが並ぶ。

 カイルさんの前のものだけ、いつの間にか半分以上減っていた。

 僕は図案を見つめながら思う。

 今日から、この穏やかな時間が、少しだけ賑やかになることを。





 カイルとアルテの牽制が始まりました。

 しばらく滞ります。


 葉月百合

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