文化祭の準備と、贈り物 ③
「ここです!」
前を歩くレリーナさんが、白い看板の前でくるりと振り返った。
夕陽を受けて、ガラス越しのショーケースがきらきらと光っている。
苺の赤、艶のあるチョコレートの黒、粉砂糖をまとったモンブラン、透き通るゼリーの乗ったフルーツタルト。
甘い香りが、やわらかく流れてきた。
「入るぞ」
カイルさんが扉を押さえる。
小さなベルの音。
窓際の席に座ると、夕暮れの光がテーブルを淡く照らす。
白いクロスの上に落ちる影が、三人分、静かに並ぶ。
メニューを開いた瞬間、レリーナさんの目が輝いた。
「……どうしましょう」
「真剣だね」
「真剣です。これは重要な選択ですから」
「人生の分岐点みたいに言うんだね」
「はい、甘いものは人生を左右します」
「……しない」
カイルさんが即座に否定すると、レリーナさんは小さく頬を膨らませる。
「ウィン先輩は甘いものはお好きですよね?」
「うん、好きだよ」
「ほら」
「……味方を増やすな」
カイルさんが低く言う。
けれど、その声はどこか楽しそうだ。
注文は、案の定、増えていった。
苺のショートケーキ。
フルーツタルト。
モンブラン。
ガトーショコラ。
ベイクドチーズケーキ。
キャラメルナッツのミルフィーユ。
アップルパイ。
テーブルに並んだ瞬間、思わず息を呑む。
「……並ぶと、すごいですね」
「ですよね?ちょっと壮観です!」
「ちょっと、ですか」
フォークを入れると、スポンジがふわりと沈む。
一口。
甘さが、静かに広がる。
「おいしい……」
自然と笑みがこぼれる。
「こちらも絶品です」
レリーナさんはすでに二皿目。
「早いね」
「時間は有限です」
カイルさんがガトーショコラを小さく切り、ほんの一口だけ食べる。
それだけ。
あとは紅茶を傾ける。
「甘いな」
「ケーキですから」
くすりと笑いがこぼれる。
紅茶の湯気が、ゆっくりほどけていく。
そのとき。
「あの。実は」
レリーナさんが、フォークを置いた。
「幼馴染が、家政魔術部を見学したいと言っていて」
空気が、ほんの少しだけ変わる。
「幼馴染……?」
「はい。昔からの知り合いです」
穏やかな声。
「……正直、あまり器用ではありませんが、とても明るいです」
その言い方は優しい。
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
にぎやかになるのは良いことだ。
人が増えるのは嬉しいはずだ。
それなのに。
どうして、こんなに胸がきゅっとするんだろう。
まるで、今のこの時間が、少しだけ遠くなる気がして。
「見学くらいなら、問題ないでしょうか?」
「――もちろん」
声が少しだけ遅れた。
笑顔は作れていると思う。
「にぎやかになるのは、いいことです」
その瞬間。
カイルさんの視線が、鋭くレリーナさんへ向く。
短い沈黙。
小さな頷き。
それは、僕の知らない合図だった。
それだけで、何かが済んでしまったようだ。
僕はそのやり取りを見ていた。
見ていたけれど。
そこに、自分の場所はなかった気がした。
紅茶の香りが、急に薄く感じた。
フォークの先で、ショートケーキの最後の一口を切り分ける。
甘さはもう十分なはずなのに、不思議と重たくない。
胸の奥の小さなざわめきも、少しずつ輪郭を失っていく。
「ウィン先輩」
レリーナさんがこちらをのぞき込む。
「考えごとですか?」
「いえ……」
少し迷ってから言う。
「楽しいな、って」
「……それは良かったです」
レリーナさんがほっとしたように笑う。
その笑顔を見ていると、胸の奥がやわらかくなる。
カイルさんが紅茶を置く。
「何がだ」
「今日です。買い出しも、今も」
「甘いものが大量にあるからか」
「それもありますけど」
「それ“も”?」
レリーナさんがくすっと笑う。
「じゃあ先輩、今日一番よかったこと教えてください。刺繍糸?文具店?それともこのタルトでしょうか?」
「急に難しい質問だね」
「重要です」
「また人生を左右する?」
「もちろんです」
真顔だ。
少し考える。
刺繍糸を選んだ時間も楽しかった。
文具店で過ごした時間も。
「……三人で歩いた時間、かな」
言ってから、少しだけ照れる。
レリーナがぱちりと瞬く。
「歩いただけですよ?」
「それがいいんです」
カイルさんがこちらを見る。
その視線はいつも通り落ち着いているのに、どこか探るようでもある。
「変わってるな」
「そうかな?」
「普通は物を挙げるだろ」
「物も良かったですよ。でも……」
言葉を探す。
「一緒に選んだ、っていうのが、楽しかったので」
一瞬、沈黙。
レリーナさんの表情がふっとほどける。
「……それは、嬉しいですね」
小さく言ってから、すぐにいつもの調子に戻る。
「では、次も三人で行きましょう」
「うん?買い出し?」
「甘味巡りです」
「目的が変わっている」
カイルさんが短く息を吐く。
「でも今日のこのお店、当たりでしたよね?」
レリーナさんが身を乗り出す。
「ミルフィーユ、層が綺麗でしたし」
「……あれは悪くない」
「ほら」
「だからって毎回は無理だ」
「月一くらいでどうでしょう」
「多い」
「二か月に一回」
「交渉するな」
二人のやりとりに、自然と笑いがこぼれる。
さっき胸をかすめた寂しさは、完全に消えたわけじゃない。
新しい人が来る。
今の三人の空気が、少しだけ変わるかもしれない。
それでも。
こうして、笑い合える時間がある。
それならきっと大丈夫だ。
「幼馴染の方が来たら、まずはお茶からですね」
「ありがとうございます!」
「緊張するから。甘いものがあった方が話しやすいよね」
僕はカップを持ち上げる。
紅茶の香りが立ちのぼる。
夕暮れの光が、テーブルの上でゆっくり色を変えていく。
「……楽しみだね」
今度は、迷いなく言えた。
「文化祭も、その人のことも」
レリーナさんが頷く。
「きっと賑やかになるね」
カイルさんが息をついて、窓の外を見て、僕を見た。
その表情は柔らかかった。
たぶん、大丈夫だ。
そう思いたい。
僕は自然と笑っていた。
さっきより、ずっと素直な笑顔で。
窓の外、夕焼けが静かに沈んでいく。
その光が午後の街をゆっくり染める。
三人で同じ空間にいるだけで、世界が柔らかく感じられた。
甘い香りの向こうで、まだ見ぬ誰かの気配が、静かに混ざった。
無事、買い出しが終わりました。
三人がまた仲良くなって、嬉しいです。
葉月百合




