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偽物聖女

「牢屋の居心地はどうだ?」


 爽やかな声とともに現れた黒髪の男を見て、ミアは思わず声を上げる。


「ルーク殿下!」


 ルークは切れ長の瞳をこちらに向ける。彼の視線は冷ややかだった。自分を殺そうとした人間に対しての視線に敵意が滲むのは当然だ。わかってはいるが、ルークがまとう空気は威圧的だった。やはり王族なだけある。彼に睨まれると、身がすくむような気がした。


 それでも、何とかして誤解を解かなければいけない。ルークにアンヌのやったことを伝え、本当の犯人は彼女なのだとわかってもらえれば、ミアは無罪になるはずだ。


「殿下、私は何もしていません。本当は――」


 ミアは必死でルークに真相を伝えようとする。しかし、アンヌがそれを邪魔してきた。


「ううっ……ミア、まだ反省してないのね」


 いつの間に泣いたのだろう。アンヌの顔は涙に濡れていた。さっきまでの意地悪く笑っていた姿を見ていたミアは、あまりの変わりように開いた口が塞がらない。


「少しでも償いの意識を持ってほしくて、罪を認めるように説得したのですが……ミアは嘘を吐き続けているんです」


 アンヌはいけしゃあしゃあと作り話をする。嘘吐きはどっちだ、とミアは腹が立った。


「親友として、私も責任を感じています」


 アンヌのその一言で、ミアの我慢は限界を迎えた。思わず声を荒げる。


「何が親友よ! 全部アンヌがやったことじゃない!!」

「私のことを悪者にするなんて……。酷いわ、ミア」


 アンヌはわざとらしく泣き声を上げる。ルークはさっとアンヌの前に立った。まるでアンヌを守っているかのようだ。ルークは目を吊り上げ、声を張り上げる。


「自分の仕事を取られたからって、アンヌをいじめるのか!?」

「仕事?」


 話の流れが掴めず、ミアは首を傾げる。ルークは呆れたように溜息を吐き、「聖女の仕事に決まっているだろう」と言った。


「本当に精霊に選ばれた人間こそ、聖女になるべきだ」


 ルークは微笑みながらアンヌを見て、高らかに述べる。


「アンヌこそ、聖女に相応しい」

「どうしてアンヌが? 彼女は精霊に選ばれていないはずです!」


 ミアは慌てて言い返す。聖女は二人同時に存在することはない。前の聖女が亡くなって初めて、次の聖女が精霊によって選ばれるのだ。五年前、ミアは精霊に選ばれた。だから今、アンヌが精霊に選ばれるわけがない。


「この期に及んで、まだそんなことを」


 ルークはミアを睨む。



「――偽物聖女のくせに」



 ルークの言葉に、一瞬息が止まった。そんなミアをよそに、ルークは「それに引き換え、アンヌは自分の行いを省みて心のこもった謝罪をしていたぞ」とアンヌを褒める。


「彼女は私の命の恩人だ」


 そう言うと、ルークは毒から復活した時の状況を語りだした。


*****


「大丈夫ですか?」


 ルークが目を開けると、一人の少女が心配そうに覗き込んでいた。彼女は紺色のローブに身を包んでいる。宮廷魔術師の制服だ。ルークは少女の顔に見覚えがあった。確か、国王である父の下で働いていたはずだ。名前はアンヌといったか。


「私は何を……?」


 ルークは呟く。声がかすれていた。自分は事務仕事をしていたはずだ。ルークは何が起きているのかわからなかった。少女――アンヌはルークの手を握りしめ、涙を流す。


「良かった……」


 アンヌは泣きながら、ルークが毒を盛られて倒れていたことを話す。どうやら自分は死にかけていたらしい。状況を理解すると、じわじわと肝の辺りが冷えていくような気がした。と、同時になぜ自分が助かったのかという疑問が浮かんでくる。


「私はなぜ、生きている?」


 ルークは身体を起こしながら尋ねる。すると、アンヌが恥ずかしそうに俯きながら小さな声で言った。


「私が解毒の魔法をかけました」


 ルークはもじもじしているアンヌをじっと見つめる。正直、彼女に対する印象はほとんどなかった。しかし、今はアンヌへの感情が大きく膨らみ始めている。王族を助けるという偉業を成し遂げたというのに、彼女は全く誇らしげな態度を取っていない。騒ぎを聞きつけたのか部屋には何人もの使用人が集まっており、皆がアンヌを褒めていたが、彼女は「当たり前のことをしただけです」と淡々と答えるのみだった。頬を赤らめ、静かに目を伏せるアンヌの姿に胸が熱くなりながら、ルークは感謝を述べる。


「お陰で助かった。感謝する。君は素晴らしい魔術師だ」


 しかし、アンヌはしおらしい態度で「違いますわ」と言う。そして、衝撃的な事実を告げた。


「殿下を助けたのは、私ではなく精霊ですわ」



 アンヌの発言を聞いて、その場にいた全員から驚きの声が漏れる。当然だ。彼女の言葉が本当なら、国全体が混乱に陥るだろう。



 精霊の存在を感じられるのは、聖女しかいないのだから。



「精霊が助けてくれたとは、どういうことだ。君は聖女じゃないだろう」


 尋ねながら、ルークは鼓動が速まるのを感じる。アンヌは手の震えを必死に抑えながら、「今まで隠していましたが」と呟く。彼女は今にも泣き出しそうな顔で、ルークを真っ直ぐ見つめた。


「私が使っているのは精霊魔法なんです」


 アンヌの言葉を聞いて、ルークは息をのむ。アンヌは――自分が聖女だと言っている。


「アンヌ。君は発言の意味をわかっているのか」


 ルークは思わずそう確認する。精霊魔法と普通の魔法は似ているようで性質が違う。魔法は自らの体内に流れる魔力を利用して現象を起こすものであって、精霊は関与しない。自分の魔力を使うため、魔法を使い過ぎると魔力が回復するまで、上手く魔法が使えなくなったり、体調を崩したりすることがある。一方、精霊魔法は本人の魔力ではなく、精霊の力を借りて現象を起こすため、魔力の上限がない。しかも、普通の魔法に比べて効果もあるとされ、精霊由来の魔法はレベルの高いものとして扱われている。精霊の力を借りられるのは、彼らと心を通わせられる聖女だけ。だからこそ、聖女は敬われるのだ。


 それほどまでに、聖女の存在は重い。自らが聖女だと名乗り出ることがどういうことなのか、彼女が理解しているのかを確かめたかったのだ。



 少し間を置いて、アンヌは「はい」と返事をした。先程までとは違い、はっきりとした口調だ。瞳にも真剣な光が宿っている。彼女は覚悟を決めたのだ。ルークはそう確信した。


「真実をお話しします」


 そう前置きすると、アンヌは自分の言葉で語り始めた。



「本当は私、五年前、ミアが宮廷入りする少し前に精霊と話せるようになっていたんです。でも……聖女になるのが怖くて。すぐに言い出せないでいました。聖女になったら、皆から注目されて今まで通り暮らせなくなるから。私、目立つのが苦手で……。でも、やっぱり聖女のお役目を果たさないといけないと思って、名乗り出ようと決心したんです。だけど、そのタイミングでミアが聖女としてやって来ました」


 アンヌは悲し気な表情を浮かべ、唇を噛み締める。


「最初は、ミアが嘘をついていると報告しないといけないと思いました。でも……」


 アンヌはぽろっと涙を流す。


「ミアはすごくいい子だったんです」


 いつも笑顔で、頼んだことを引き受けてくれた。困っていたら必ず助けてくれた。彼女の怒っている姿は見たことがない。アンヌはミアの人柄をそう評価する。アンヌがミアのことを友人として大切に思っていることが伝わってきた。


「ミアの実家は貧しかったと聞きました。きっと、一度贅沢してみたかったんだと思います」


 アンヌは跪き、深々と頭を下げる。


「隠していて、申し訳ございませんでした。私が早く報告していれば、ミアが殿下を傷付けることはなかったのに……」

「どういうことだ」


 ルークが尋ねると、アンヌは暗い声で言った。


「毒を入れたのはミアです。さっき、部屋から出てくるのを見ました」



 その言葉を聞いた瞬間、ルークは沸々と怒りが湧いてくる。ミアという女は、贅沢な暮らしのために国民を騙し、聖女として居座り続けている。それだけでなく、王子である自分のことまで殺そうとしたなんて。


(許さない)


 顔を覆い、肩を震わせるアンヌの姿を見ながら、ルークはミアへの制裁を誓った――。


*****


 ルークの長い話を聞き、ミアは頭がくらくらした。彼は完全にアンヌのことを信じている。真実を伝えたところで、耳を傾けてくれるとは思えない。


「国民を騙し、私を傷付け、友人に辛い思いをさせた。そこまでしておいて、罪を認める気もない。なんと嘆かわしい」


 ルークは眉を顰め、ミアを詰る。


「五年もあったんだ。本物の聖女なら、もっとこの国を豊かにできただろう。現状維持しかできないのは、偽物だからだ」


 そんな理屈、滅茶苦茶だ。ミアはそう思ったが、上手く言葉が出てこず、言い返せない。ルークはそんなミアに追い打ちをかける。


「紛い物の聖女など、愛されるわけがないのだ。罪が明らかになった今、お前の味方をする者などいない」


 ルークはアンヌを抱き寄せる。彼の鼻の下が、ほんの少し伸びた気がした。


「お前と違って、アンヌは可愛げがある。私は彼女と添い遂げるつもりだ」

「ルークさま♡」


 アンヌはルークに身体を預ける。目の前でイチャつかれて、ミアの心は付いていかなかった。


「聖女といっても所詮偽物。警備はいらないだろう」


 ルークはふっと鼻で笑いながら吐き捨てる。


「こんな奴に人手を割くのはもったいない」


 ルークは「そろそろ時間だ」と呟き、牢屋から去って行く。アンヌも彼に続き、歩き始める。そして、去り際にミアの方を振り返ると――にやりと笑った。


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