絶望
数日後。
この日、ミアの仕事は順調に進んでいた。いつもより怪我人や病人が少なく、治療に時間が取られなかったのだ。疲れが違うせいか、他の仕事も捗った。ミアは鼻歌を歌う。
「皆健康で結構だわ」
聖堂の掃除を済ませ、祈りを捧げる準備をする。祈祷が終われば、今日の仕事は完了だった。ところがその時――。
バン、と大きな音を立てて扉が開いた。そこから流れ込むように、十数人の屈強な兵士が入って来る。彼らは鋭い目に冷たい光を宿し、ミアをぐるりと取り囲んだ。
「どうしたのですか?」
問いかけるミアの声が震える。兵士たちが醸し出す空気が異常に張りつめていて、良からぬことが起きているのだということを感じていた。ミアは緊張で身体を強張らせる。
「聖女ミア」
兵士の一人が、重々しい口調で言葉を発する。
「ヴィエール王国第一王子・ルーク殿下を殺害しようとした罪で逮捕する」
その衝撃的な言葉に、ミアは固まる。第一王子。殺害。逮捕。日常から浮いている単語が頭の中を高速で駆け巡っていくが、思考は全くまとまらない。何が起きているのか、理解ができなかった。
「あの、私には何が何だか……」
ミアはやっとの思いでそう口にしたが、兵士は呆れた様子で溜息を吐く。
「言い訳があるのなら、裁判で弁解するんだな」
ミアは助けを求めるように兵士たちを見回したが、誰も目を合わせようとしない。ミアの話を聞いてくれそうな人間はこの場にはいなかった。
「行くぞ」
二人の兵士がミアの腕を掴んで進もうとする。振りほどこうとするが、がっちりと掴まれていて無理だった。兵士に力尽くで引っ張られて、ミアは何度もよろめく。
「私、本当に何もしてないんです!」
兵士に引きずられながらもミアは必死に訴えたが、皆無視を続けている。ミアは自分が透明人間になったような錯覚を覚えた。
「入れ」
牢屋に着くと、兵士はミアを乱暴に放り込む。強かに腰を打ったミアは、思わずうめき声を上げる。
「裁判の日まで、ここで大人しく待っているんだな」
兵士はそう言い捨てると、牢屋の扉を閉め、鍵をかけた。
カチャン。
冷たい金属音が虚しく響く。見張りの数人を残し、兵士たちはすぐに去って行った。ミアは独房の中で、抱き寄せた膝に顔を埋める。静かになった途端、不安が押し寄せてきたのだ。
(どうしてこんなことになるの……?)
捕まるようなことをした覚えは一切なかった。王国で働いているとはいえ、第一王子のルークとは滅多に顔を合わせない。彼を殺そうとするどころか、まともな関わりすら持っていない状態だ。普通に考えれば、犯人だと誤解されることはないだろう。こんなことに巻き込まれるなんて、想像したこともなかった。
(とにかく、今は落ち着かないと)
ミアは必死に心を落ち着かせる。この状況でパニックになれば命取りになりかねない。今できることは、冷静さを失わないよう努めることだけだ。
「ミア」
聞き慣れた声で名前を呼ばれて、ミアは顔を上げた。しなやかな茶色の巻き毛を揺らす少女が視線に入る。彼女の丸みを帯びた桃色の瞳は、真っ直ぐミアを見つめていた。親友の姿を見て、涙が溢れ出す。
「アンヌ……!」
アンヌは国王の下で働く宮廷魔術師だ。彼女はミアが聖女としてやってくる前から城で働いていて、いつも面倒を見てくれていた。精霊の力を借りて治療や結界の修復などを行う聖女に対し、魔術師は己の魔力を使って現象を起こす。大元の力は違うものの、聖女と魔術師はどこか似ている。それもあって二人は意気投合し、いつしか親友になっていたのだった。
アンヌは見張りの兵士に「二人で話したいから」と声をかける。兵士たちが頷き、立ち去るのを見届けると、アンヌはミアの方に向き直った。
「大変なことになったわね。大丈夫?」
「ええ、何とか」
ミアは無理やり笑顔を作る。アンヌに心配かけたくなかった。
「そう……。ミア、今までお疲れさま」
アンヌの口角が歪に上がる。初めて見る彼女の表情に、ミアは違和感を覚えた。
「聖女になってからずっと働いてきたんだもの。最期くらいゆっくり休むといいわ」
「どういうこと……?」
ミアは青ざめながら尋ねる。アンヌはわざとらしく悲し気な声で言う。
「ミアはルーク殿下を殺そうとした犯人。世間ではこういうことになっているわ。当然、処刑されることになるでしょうね」
アンヌが歓喜を滲ませて叫ぶ。
「ようやくこの時が来たのよ!!」
ミアの心が現実を拒絶している。しかし、アンヌは意気揚々とこう言った。
「全部、私が仕組んだことよ。作戦成功だわ!――ミア、ごめんねぇ?」
アンヌの甘ったるい声が、牢屋の空気にべっとりとまとわりついた。




