表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/22

あなたが

 パン、と乾いた音が小屋の外に響いた。


 ミアはびくりと肩を震わせ、思わず顔を上げる。さっきから外が騒がしい。怒号や足音が入り混じり、ただならぬ気配が漂っていた。


「誰かが、ミアを奪いに来たみたいだな」


 背後で、ルークが余裕の笑みを浮かべて言う。


 その表情に、ミアの胸がざわりと嫌な予感に満たされた。


「ミアが脱獄した時、やたら強い奴が一人いたからな」


 ルークは楽しげに続ける。


「だから、こちらも対策した。……海外から輸入した銃を、見張りに持たせたんだ」

(テオ……)


 なぜか、テオドールの顔が脳裏に浮かぶ。


 自分がここにいることを、彼が知っているはずがない。


 それなのに、胸の奥で彼が外にいると告げる声が消えなかった。



「あれから、随分静かだな」


 ルークは、にやにやと笑っている。


「どうして……そこまで……!」


 ミアは耐えきれず声を上げた。


「テオは……この国の人たちは関係ないでしょう!!」


 感情をぶつけるミアに、今度はアンヌが一歩前に出る。


「ミアは、何もわかってない」


 その声は荒く、鋭かった。


「あんたの力は唯一無二だったのよ。何が何でも帰ってきてくれないと、ヴィエール王国は本当に終わるの」


 アンヌは、憎しみを込めた視線でミアを睨みつける。


「全部、あんたのせいよ! あんたが勝手にコール王国に行ったから、この国の人たちを巻き込んでるの!」


 アンヌの言っていることは滅茶苦茶なのに、彼女の勢いに圧倒されて、ミアは言葉が出ない。それを良いことに、アンヌは続ける。


「ミアが私たちの頼みを拒まず、大人しく帰れば良かったのよ! そしたら、あんたを助けにきた人が……死ぬこともなかった」


 ミアの血の気がさっと引いた。テオドールに銃弾が当たる瞬間が脳裏に浮かんできて、身体が震える。


(お願い……無事でいて……)


 祈るように心の中で呟いた、その瞬間だった。



 ギギギ……と、不気味な音を立てて小屋の扉が軋み――次の瞬間、勢いよく外れて床に倒れた。


 舞い上がる埃の向こう。


 入口に立っていたのは――。


「テオ!!」


 ミアは、思わず叫んでいた。


 そこにいたのは、無傷のテオドールだった。息一つ乱していない、いつもの、頼もしい姿。


「ミア。助けに来た」


 その一言に、ミアの全身から力が抜ける。


 ルークとアンヌは、信じられないものを見るように目を見開いていた。


「な……なぜだ……」


 ルークの声が震える。


「いくら強くても……銃を向けられたら、勝てるはずが……」

「銃声の後、静かになったわよね?」


 アンヌも幽霊を見たような顔で、テオドールを凝視している。


 テオドールは、あっさりと言った。


「銃弾なら、ギリギリで避けた。見張りの兵は、その直後に全員倒した」

「……音もなく!?」


 呆然とするルークを無視し、テオドールはミアへ駆け寄ろうとする。はっとしたアンヌが叫んだ。


「ミアは渡さない!」


 魔法を放とうとするが――何も起きない。


 アンヌは青ざめる。


「あれ……? なんで……!?」


 この小屋の中では魔法が使えないことを、完全に失念していたのだ。テオドールは一瞬で間合いを詰め、アンヌを床に組み伏せた。


「離してよ……! やめて!!」


 アンヌは抵抗するが、身体の大きなテオドール相手では、全く意味がない。完全に動きを封じられたアンヌは、絶望した表情で項垂れた。テオドールは手早くアンヌを拘束する。


 しかし、その隙にルークがミアの背後へ回り、ナイフを突きつけた。一瞬の出来事だった。


「動くな!」


 ルークは叫ぶ。


「ミアが傷ついてもいいのか!? 近付くな!」


 ミアを傷つけられる恐怖に、テオドールは動きを止めた。


(このままだと、ミアが……)


 無理やり突進して、ミアを救出するか。でも、それだとミアが怪我をするかもしれない。テオドールの思考はぐるぐる回転し続ける。叫び出したい気分だった。


「ルーク殿下」


 その時、ミアが突然ルークに呼びかけた。ルークは血走った目で答える。


「何だ」

「私、ヴィエール王国に帰ります」


 ミアの言葉に、ルークは笑い出す。彼のけたたましい笑い声が、小屋の中に木霊した。


「そうか! ようやく賢い判断をする気になったか!」


 馬鹿にしたように笑うルークに、ミアは微かに笑みを浮かべた。その笑みがどこか悲しそうに見えて、テオドールは必死に叫ぶ。


「ダメだ! ミア!」


 その瞬間、テオドールはミアと目が合った。そして、ミアは声を出さず、小さく口を動かした。


(何か、伝えようとしている?)


 テオドールはミアの口元に注意を向ける。


 だ・い・じょ・う・ぶ


 ミアの口は、そう告げていた。テオドールが頷くと、ミアの空色の瞳が、きらりと輝いた気がした。



 ルークはナイフを突きつけたまま、ミアを連れて小屋の外へ出る。


「ミアは――ヴィエール王国のものだ!!」


 その叫びと同時だった。


 ルークの体が、ふわりと宙に浮いたかと思うと――次の瞬間、小屋の中へ叩き落とされた。


 魔法が封じられているのは、小屋の中だけ。


 外に出たミアが、精霊魔法を使ったのだ。


「テオ! お願い!」

「任せろ!」


 テオドールは即座にルークを拘束し、アンヌの隣に座らせる。


 二人は、あっけなく捕らえられた。



「離せ! 何をする! 僕は王子だぞ!」

「そうよ! 私たちにこんなことして、許されると思ってるの!?」


 なおも騒ぐ二人に、テオドールはきっぱりと言い放つ。


「ミアは、道具じゃない。お前らの都合で、彼女の自由を奪うことは許さない」


 テオドールが睨みつけると、二人は顔の色を無くした。何とも情けない姿だ。


「……あんたのせいで、私の人生、終わりよ!!」


 八つ当たりするように、アンヌはミアに言う。アンヌの瞳には強い憎悪の念が籠っていた。


「ミアは努力を知らないから……私の気持ちなんて、わからないのよ……!」


 泣き叫ぶアンヌに、ミアは静かに言い返す。


「アンヌの気持ちは、わからない。聖女になるために努力したわけでもない」


 ミアは真っすぐアンヌを見る。その瞳には、一切の揺らぎもなかった。


「でも、聖女であり続けるためには、努力が必要よ。それがわかるようになるまでは……何事も、本物にはなれないでしょうね」


 アンヌは、絶望した顔をしてしばらく固まっていた。そして、程なくして声を上げて泣き崩れた。痛々しい姿だった。


 やがて駆けつけた兵士たちに、ルークとアンヌは連行されていく。


 ルークは最後までミアに暴言を吐き、アンヌは心を失ったように呆然としていた。



 その姿が見えなくなった時、ミアはようやく大きく息を吐いた。気が抜けた瞬間、涙がぼろぼろと零れる。ずっと、怖かったのだ、とやっとミアは自覚した。


「ミア」


 テオドールは駆け寄り、ミアをそっと抱きしめる。彼の大きな胸に顔を埋めて、ミアはしばらく泣いた。感情がぐちゃぐちゃだったのだ。テオドールは、ミアが落ち着くまで、静かに抱きしめていた。



「ありがとう、テオ」


 少し落ち着き、ミアが顔を上げると、テオドールは嬉しそうに微笑んだ。


「これで……あの時の恩返しができた」

「……え?」


 〝あの時〟という言葉の意味がさっぱりわからない。きょとんと首を傾げるミアに、テオドールは苦笑する。


「覚えてないかもしれない。でも俺たちは、昔、会っているんだ」


 そう前置きして、彼は語り始めた。五年前の、あの夜のことを。


*****


 深い森の中、テオドールは地面に一人、横たわっていた。ヴィエール王国の国境付近での魔獣討伐。その途中で仲間たちとはぐれ、魔獣に負わされた傷は致命的だった。


(僕はここで死ぬのか)


 テオドールは空を見つめていた。黒曜石のような滑らかな闇に、無数の星が青白く瞬いている。十五年という短すぎる人生の最期に見るには、あまりにも美しい光景だった。


 全身の傷口から血が流れ出ているのがわかる。身近な人を守ろうと剣を取ったはずなのに、その結果がこれだ。自分の弱さが、ただ情けなかった。


 次第に身体が冷えていく。意識が遠のき、テオドールは静かに瞼を閉じた。


 ――その時だった。


「大丈夫……?」

 囁くような声が耳に届き、テオドールは再び目を開ける。視界に入ったのは、背中まで伸びた真っ直ぐな銀髪の少女だった。空色の瞳を輝かせ、夜の森にありながら、その存在だけが浮き上がるように神秘的に見えた。


(天使がお迎えに来たんだな)


 彼女は何かをぶつぶつと呟きながら、テオドールに手をかざす。次の瞬間、少女の手の周囲が淡く光り始めた。光は徐々に強まり、それに合わせるように、全身を苛んでいた痛みが和らいでいく。


 何が起きているのか理解できないまま、テオドールはただ、その光に身を委ねていた。


 しばらくして、少女は手を下ろし、穏やかな笑みを浮かべる。


「もう大丈夫よ」


 そう言って、彼女はテオドールの手をそっと握った。その手は、夜の森の中とは思えないほど温かかった。


 しばし、二人は見つめ合った。淡い月明かりに照らされ、少女の瞳は、まるで満天の星を閉じ込めたかのように美しく輝いていた。



 ――あの日、テオドールを助けたのが、ミアだった。


*****

 

 その話を聞かされた瞬間、ミアは目を大きく見開いた。胸の奥が、どくんと強く脈打つ。五年前、森の中で出会った、あの瀕死の少年の姿が、ぼんやりと蘇ってきた。


「あの時の……! わかりませんでした」


 思わずそう声を上げ、ミアは改めてテオドールの姿をまじまじと見つめる。広い肩幅、厚みのある胸板、逞しく伸びた四肢。記憶の中にある、あどけなさの残る少年とは、あまりにも違っていた。


「だって……あまりにもサイズが違うから……。あの時はもっと、華奢だったような……」


 口を開けたまま呆然とするミアの様子に、テオドールは吹き出すように笑った。


「そんなに面影がないのか。まぁ、あれからかなり鍛えたからな」


 しかし、すぐにその表情は引き締まる。冗談めかした空気が消え、真剣な眼差しでミアを見据えた。


「あなたに助けられた時、俺は自分の未熟さを知った。厳しい環境のこの国で生きていくには、もっと強くならなければいけない。そうしないと、大切な人たちを守れないと思ったんだ。あの日から、俺は強くなるために必死で鍛錬した」


 真っすぐに向けられた視線から、揺るぎない決意が伝わってくる。


「今の俺があるのは、ミアのおかげだ」


 その言葉に、ミアは胸の奥が温かくなるのを感じ、自然と微笑みを浮かべていた。



「……実はあの日、私は国から……聖女から逃げようとしていたんです」


 そう告白すると、テオドールは何も言わず、ただ静かに耳を傾ける。


 五年前。精霊に選ばれ、聖女となったばかりのミアは、戸惑いの中にいた。平凡な日々を生きてきた自分が、突然、特別な力を持つ存在として役割を与えられる。その現実に、心が追いつかなかったのだ。


 聖女としての務めを果たしながらも、向けられる敬意や期待に、どうしても慣れることができない。理想の聖女であれと求められ続ける日々は、次第にミアの心をすり減らしていった。


 そして、ある日。ミアは限界を迎える。


 ――もう無理だ。


 そう思ったミアは、誰にも告げず、国を抜け出すことを決意した。誰も自分を知らない土地で、平凡な人生をやり直そうと。


 精霊魔法を使って国境を越え、何の計画もないまま歩き続けたその道中で、ミアは倒れている一人の少年を見つけた。血に染まり、今にも命が消えそうな少年――テオドールだった。


 慌てて治療を施し、安堵の息をついたその時、少年は弱々しくも穏やかな声で言った。


「君の力は素晴らしいな。僕にはそんなことできないから羨ましい。きっと、君が皆を幸せにできるように、神様が授けてくれた力なんだろうね」


 ミアは、その言葉を今でも鮮明に覚えている。



「その言葉を聞いて、私ははっとしたんです」


 現在へと意識を戻し、ミアは続ける。


「私にしかできないことで誰かを救えるのなら、頑張ってみよう。そう思えました。もやもやがすっと晴れていく気がしたんです。そのおかげで国に戻って、やりがいを感じながら聖女として働けました」


 そう語り終え、ミアはテオドールを見つめ、はっきりと感謝を口にした。


「テオ。あなたが私を聖女にしてくれたの」


 視線が絡み合い、互いの想いを確かめるように、二人は静かに距離を縮める。


 そして――。


 そっと唇が重なった。


 五年前の森で交わされた言葉が、巡り巡って今、二人を結びつけている。その奇跡を噛みしめるように、二人はしばらく、離れずにいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ