恋を知る
それからというもの、ミアは昼夜を問わず病人や怪我人の治療に奔走していた。
結界を貼り、雨を降らせたということで、テオドールからは「コール王国を離れてもいい」と言われていた。一度だけ祈りを捧げてほしいという条件を達成したからだろう。しばらく生活に困らないくらいの金額も用意してくれるということだったが、ミアはその申し出を断り、コール王国に留まることにした。
他に行く当てがないということもあったけれど、ミアはこの国の人たちが好きになっていたのだ。いつも一生懸命で、ひたむきに生きている彼らの力になりたいと思った。
聖女の仕事は忙しいが、達成感があるお陰で今のところ疲れていない。それよりも――。
(殿下と一緒にいると、落ち着かないのよね)
テオドールが近くにいる時、どうしてもそわそわする。少しずつ慣れてきて、前のように逃げ出したりはしなくなったものの、彼の隣にいるといつもの自分ではなくなってしまう気がしていた。
(このままだと、まずい)
そんな思いを抱えながらも、ミアは今日も炊き出しの準備でテオドールと並んでいた。大鍋から立ちのぼる湯気が二人の間を白く揺らし、温かい匂いが包み込む。
テオドールは手際良く具材を刻みながら、隣に立つミアの様子に気付くこともなく、いつものように真剣な表情をしている。その横顔を見るだけで、胸が不思議とざわついた。
「……殿下は、国民のために懸命に働いていて、本当に素晴らしいです。コール王国の人々は、皆、殿下を頼りにしているでしょうね」
自然に振る舞おうと、テオドールに話しかけてみる。自分の声が少しだけ震えているのを、ミアは悟られないように大鍋へ視線を落とした。
「王族が国民のために働くのは当たり前だろう。王族が国を良くすることを放棄したら話にならないからな」
迷いなく言い切るその言葉に、ミアの胸の奥が熱くなる。自分が知っている王族――特にルークのことを思い出し、目の前の青年の真っ直ぐさに改めて心を揺さぶられた。
ミアはここ数週間、テオドールの働きぶりを見てきた。彼は魔獣退治や、困窮した国民への炊き出し、公共設備の修理まで行い、王族がしないような仕事を熟している。しかも、嫌な顔一つせずに、だ。
「当たり前……ではありません。殿下のような王族を、私は知りません」
ミアの素直な言葉が零れる。テオドールは驚いたように目を丸くしてから、照れくさそうに微笑んだ。その姿を見ているのがむずがゆくなって、ミアは更に言葉を続ける。
「国民のために働くだけじゃなくて……相当、鍛錬もされてますよね。大人数の兵士を倒したり、巨大な魔獣を退治したり……そこまでの強さを得るには、きっと大変な努力が必要だったはずです。殿下は、本当に努力家なんですね」
「……俺が頑張ってこられたのは、あなたのお陰だ」
「え?」
ミアは思わず聞き返した。しかしテオドールは小さく笑い、誤魔化すように視線をそらした。
「いや、何でもない。それより――」
彼は少しだけミアに身を寄せ、真剣な目で見つめてくる。
「〝殿下〟と呼ぶのは、もうやめてくれないか。名前で……呼んでほしい」
「えっ……」
ミアの手からお玉が滑り落ちそうになり、慌てて握りしめる。心臓が嫌になるほど早く脈打っていた。
「二年間、ずっとそばにいて……もっと近づきたいと思っていた。だから、その一歩として……名前で呼んでほしい」
ミアは息を呑む。彼の真っ直ぐな眼差しが、胸の奥の弱い部分を優しく突いた。
「あなたの前では、王子ではなく、一人の人間でいたいんだ。……俺はミアのことが好きだから」
その言葉が頭に届くより先に、心の中で熱を広げていく。と、同時にもやもやしていた気持ちが一気に晴れた。
(そうか、この気持ちは――)
「……殿下」
反射的に呼んでしまった呼び名に、テオドールの表情が少し曇る。ミアは慌てて顔を上げた。
「あっ……ち、違います。今のは……!」
深呼吸を一つ。自分の鼓動を落ち着かせるように胸に手を当て、震える声を絞り出す。
「……テオドールさまのこと、私も……好きです」
その瞬間、テオドールの表情が驚きと喜びに解けた。その様子が、たまらなく愛おしい。
(――恋なんだ)
ミアはこの時、恋を知った。
沈みかけた太陽の揺らめく光が二人を照らす。テオドールはそっとミアの手を取り、ゆっくり顔を近づけた。ミアは静かに瞼を閉じる。テオドールの気配が、柔らかくミアを包む。
そして、躊躇いがちに触れた唇は、想像していたよりもずっと温かかった。甘い感情が心の中に広がる。さっきまで聞こえていた子どもたちの声は遠くなり、静かな時が流れていく。二人だけの世界を守るように、辺りは徐々に暗くなっていった。




