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第四章

第四章 再び黒船来航――日米和親条約


嘉永7年(1854)、春。

浦賀に再び黒煙が立ち上る。前回をはるかに上回る七隻の艦隊。

鉄の巨船は波を押し分け、陸を威圧するように並んだ。

轟音と振動が大地を揺らし、汽笛は地鳴りのように浜を震わせた。


「……前より多いぞ」

「これでは江戸が危うい……!」


浜に立つ人々は息を呑み、江戸の町には再び瓦版が飛び交った。

恐怖と好奇心、そして「国が試される」という直感が広がっていった。



神奈川応接所――緊迫の会見


幕府は急ぎ神奈川に応接所を設け、川越藩主・井戸覚弘を実務担当に、林復斎を補佐に据えた。

白壁の座敷の中、外では大砲の影が光っている。


やがて、アメリカ艦隊司令長官マシュー・ペリーが姿を現した。

その態度は初めから傲然としていた。


Perry: We have returned, stronger than before. This time, we expect no delay.

(我々は再び来た。しかも、前より強大な力をもって。今度は遅延は許さない)


場の空気が一気に張り詰める。


Perry: The United States demands friendship, safe harbors, and supplies.

(合衆国は友好と、船の避難港と補給を要求する)


井戸は扇を畳み、低く答えた。

「前回のご来航で我らは返書を整えると申した。

 友好を結ぶことはやぶさかではないが、無理難題は国の体面を損なう」


ペリーは薄く笑みを浮かべ、通訳を待たずに次を畳みかける。


Perry: We ask only what is necessary for peace. Refuse, and our friendship ends here.

(我々が求めるのは平和のために必要なことだけだ。拒めば、友好はここで終わる)


林復斎が一歩進み出る。声は穏やかだが、瞳は揺るぎなかった。

「和を求めるのであれば、威を示すは道に外れましょう」


Perry: Power commands respect. Without respect, there is no peace.

(力が敬意をもたらす。敬意なくして平和はない)


一瞬、場を裂くような沈黙が訪れる。

復斎はその沈黙をあえて長く保った。

波の音、外に並ぶ砲列、兵の靴音――全てが「時を刻む音」に変わっていった。


やがて復斎は、あくまで柔らかい声音で言った。

「返書は必ず整える。だが即答はならぬ。礼を欠けば国の体面が立たぬ」


ペリーはゆっくりと椅子に背を預ける。


Perry: Very well. We shall return for your answer.

(よかろう。我々は返答を受け取りに戻る)


こうして会見は、砲火の閃きに至らず幕を閉じた。

力で屈したのではなく、交渉で引き延ばした時間。それは薄氷の上に残された、最後の足場だった。



和親条約の締結


数週間後、幕府は正式に「日米和親条約」を締結する。


その内容は、表向きには「友好の約束」とされつつも、実際にはこうした取り決めだった。

•港の開放:下田と箱館をアメリカ船に開く。

•補給の提供:燃料や食糧、水を与える。

•漂流民の保護と送還:互いの国で保護し、本国へ送り返す。

•領事駐在の容認:下田にアメリカ領事館を置くことを許可。


いずれも戦を避けるための妥協であったが、日本にとっては初めての正式な国際条約であり、鎖国の終焉を意味していた。


「国が売られた!」と叫ぶ声もあれば、

「これで戦を避けられる」と安堵する声もあった。


いずれにせよ、この瞬間から日本はもはや鎖国ではなくなった。



全国に走る波紋


条約締結の報せは、東海道を駆け抜け、京、大坂、そして地方へ広がった。


東北の農村では、茶店の老人が新聞代わりの瓦版を読み上げる。

「下田と箱館が開く?異国の船が米を食うのか……」

農民たちは黙り込み、誰もが「明日は我が身」との不安を抱いた。


西国の藩校では、若い藩士たちが口々に叫んだ。

「夷狄を討つべし!」

「いや、まずは学べ!銃や大砲を知らずして、どうはらうというのだ!」

議論は夜を徹して続き、熱気と焦燥が入り混じった。



志士たちの反応


長州では松下村塾に集う若者が机を叩き合った。

「国を開くなど愚の骨頂!尊皇攘夷こそ大義!」

だが別の声も返る。

「学問なき攘夷はただの無謀。異国を打ち払うには、まず異国を知れ」

吉田松陰は牢獄の中で「自ら海外へ渡り学ぶ」決意を固めつつあった。


薩摩では、藩主・島津斉彬が冷静に藩士へ語った。

「いずれは西洋と肩を並べねばならぬ。攘夷を唱えるだけでは国は救えぬ」

藩内の若者たちはその言葉を胸に、集成館で技術習得に励んだ。


土佐では、まだ若い坂本龍馬が浜で海を眺め、友と口を交わした。

「異国の船は黒い化け物ぜよ」

「けんど、あれに乗らんと日本は守れんかもしれん」

少年の胸に「海を越える夢」が芽吹いていた。



江戸庶民の声


江戸では異国人を見たという噂が飛び交った。

「背が高ぇ」「赤い髪だ」「牛みたいな匂いがする」

実際に下田や横浜の港には、異国人相手に商売を目論む者も現れた。

「異人の金は金に変わりなし」と言いながら、魚や野菜を持ち込む農民もいた。


だが、寺社では「国体を汚すな」と檄文が貼られ、町角では「攘夷」の二文字が密かに配られた。

庶民の暮らしの中に、見えぬ不安と怒りが沈殿していった。



章の結び


黒船は二度目の来航で、ついに扉をこじ開けた。

だが、日本はただ従ったのではない。粘り強い交渉で「血を流さぬ選択」をつかみ取り、同時に西洋を学ぶ道へ踏み出したのである。


農民は明日の糧を案じ、藩士は学びと攘夷の狭間で揺れ、志士は国の未来を夢見て燃えた。

尊皇攘夷と開国の二つの道は、ここで初めて日本全国を巻き込む運動へと育ち始めた。


そして、長崎で学ぶ勝麟太郎もまた、この動きを耳にし、胸を熱くした。

「国は揺れている。だが海を知る者ならば、進むべき道も見えるはずだ」

彼の眼差しの先には、すでに太平洋の彼方が広がっていた。



《豆知識:日米和親条約 全12条》

1.恒久的平和と友好

 日本と米国は永遠に平和・友好関係を保つ。

2.軍艦への補給

 米艦が日本近海に来た際は、石炭・水・食糧を供給。

3.漂流民の保護と送還

 遭難・漂流した者は互いに保護し、本国へ送り返す。

4.下田・箱館の開港

 両港をアメリカ船の寄港地として開く。

5.寄港時の補給義務

 開港地で燃料・食糧・水を供給。

6.臨時の港利用

 必要とあれば他の港も一時的に開放できる。

7.待遇規定

 日本役人はアメリカ人に親切に接し、アメリカ人も日本の法律・習慣を尊重。

8.活動範囲の制限

 アメリカ人は下田・箱館で自由に活動可能。ただし城下町には立ち入れない。

9.領事駐在の容認

 下田に米国領事館を置くことを許可。

10.通信の自由

 両国は書簡や情報を自由に交換できる。

11.最恵国待遇

 日本が他国に与えた権利を、米国にも自動的に適用。

12.批准手続き

 調印後18か月以内に米議会と幕府双方で批准。



《豆知識:漂流民と幕末外交》

•江戸時代、日本近海での漂流・遭難は頻発していた。船の造りが脆く、漁や航海で嵐に遭えば数百里も流されることがあった。

•漂着先はロシア沿岸、アリューシャン列島、ハワイ、アメリカ西海岸など。

•**ジョン万次郎(中浜万次郎)**は土佐で遭難し、アメリカに渡った漂流民の一人。後に通訳として勝海舟らと咸臨丸に乗り込み、日米交流の架け橋となった。

•当時、漂流民は「人道問題」であると同時に「外交カード」ともなり、日本を国際社会に巻き込む存在だった。

•和親条約によって初めて「互いに漂流民を保護し、送還する」という取り決めが明文化され、これは日本にとって初の国際的な国民保護の規約といえる。

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