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「エリーゼのために」

 「エリーゼのために」


 正式名称はバガテル第25番 イ短調 WoO 59。


 「WoO」は「Werke ohne Opuszahl」の略で、ドイツ語で「作品番号なしの作品」を意味する。


 ピアノの鍵盤は羽毛のように軽やかに舞い、指先で弾むように響く旋律。


 この作品は、彼の親しい友人テレーゼ・フォン・ドロスディックの遺品の中から見つかった。


 「楽聖」と称えられた彼は、なぜ生前にこの曲を発表しなかったのだろうか。


 個人的な贈り物として作曲された可能性が高いとも言われている。


 しかし本当は、この曲が誰にも知られることなく、自身の死とともに消えることを、彼は望んでいたのかもしれない。


 いや、むしろこの曲は、贈り物ではなく、彼自身のために、心の平穏を保つために、その深い思念を楽譜に刻み込んで作られた曲なのかもしれない。


 彼は、眠りに落ちる前や、ふとした日常の一瞬に、湧き上がる得体の知れない感情の昂ぶりに包まれたとき、心の内で祈るように、その旋律を奏で続けていたのかもしれない。




 俺が母とともにアメリカから帰国した頃、その人は三軒先に建てられた新築の家に越してきた。


 その家は現代的で斬新なデザインの平屋建てだったが、周囲の昔ながらの家並みとの調和を意識して設計されていた。


 そのため、目新しさがありつつも違和感なく家並みの風景に溶け込み、落ち着いた佇まいをしていた。


 引っ越し初日、その家の住人である満智子さんと彼女の母親が、和菓子の箱を持って我が家を訪れた。


 ちょうど玄関先にいた俺は、母とともに二人の訪問を迎えた。


 挨拶の際、満智子さんは「夫と母との三人暮らしです」と自己紹介し、続けて「長らくニューヨークで暮らしていたため、日本の事情に詳しくなく、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」と言いながら、丁寧なお辞儀をしていた。


 すると、母は「あら」と言い、息子の俺とともにアメリカの西海岸から帰国したばかりだと話し、父のことについては小さな嘘で隠し、海外生活の話で盛り上がった。


 しばらく玄関先で立ち話をした後、二人は「ぜひ家にも遊びに来てくださいね」と言い残し、帰っていった。


 それから、満智子さんの家の前を通ると挨拶を交わすようになった。


 彼女はよく玄関前の広い芝庭でガーデニングを楽しみ、たくさんの花を育てていた。


 特に、フェンス沿いのバラには、彼女の特別な愛情が込められているようだった。


 彼女の家からは、よくピアノの音が流れ、奏でられるクラシックの旋律はどれも美しかった。


 そんなある日、高校の帰宅途中、彼女の家を通ると、庭先から声を掛けられて、そのまま家に招待された。


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