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善は、ゆっくりと語り始めた

 善や、やおら語りいでたり。



 「表意と真意、二つあり。そのなり、平らかにして静謐なり。低く据えたる姿は、さながら地を這ふ蜘蛛のごとし。ゆえに、『平蜘蛛』と銘打つべし。誠に、仏道とは、茶道とは、相似たるものなり。清き心をもて修せば、いづれも成仏へ至り、また奥義の境に至らん。仏の教へは、一切衆生に開かるるものなり。また茶の湯も、貧富貴賎の隔つことなく、一切の衆生に平らかに開くものなり。」



 善、厳かに語り果てぬ。


 其のことばを聞きし秀治、善に向かひて両手と額を床に付き、肩を震はせつつむせび泣く。


 「いや、秀治殿。其れはそで濡らすべきところに非ず。ただの頓智なるぞ。」


 我、新右衛門殿に助けを乞ふ。


 されど、新右衛門殿また天を仰ぎ、目頭熱うせし。


 「いやいや、是又新右衛門殿、それ違へり、それまことに違へり。」


 善に目を転ずれば、彼は腕組みし、胸を張りて瞑目す。


 「善よ、いつより頓智の小僧となりしか。何を自らの詞に酔ひたるのか。」


 早や三人、我、立ち入ること叶はぬはんゐへと旅立ちぬ。


 我、いづこに、この光景を見せられたるのか。


 やがて秀治、覚めぬる。深く頭を垂れ、曰く。


 「かたじけなく存じ奉る。」


 我、秀治の不便を思ひ、茶釜の引き取りを申し入るるも、秀治は曰ふ。


 「何時ぞ、この茶釜の世に認めらるる日来たらん。其のほどは、我が心の支へとして、いと尊く護らん。」


 かくして秀治、茶釜を背負子に納め、折々頭を垂れつつ、善と新右衛門殿に伴はれ、山を下りぬ。


 家の前にて彼らを送り申すうちに、ふと思ふ。


 「未だ代金を払はず、如何にすべきや。」


 

 歳月を経て、「平蜘蛛」と名付けられし茶釜が如何に成りけるや、我、知らざるなり。


 其の名のゆえに込められし、真意を汲み取る者、果たして現れしや否や、定かならず。


 されど、やがて茶の湯の興隆せし時、この日善が語りし詞と通ずる心を持つる者、現る。


 其の者、貴賎を分かたず、あるがままの姿にて茶席に臨む処として茶室をしつらふ。


 入り口の地に、「にじり口」と呼ばるる狭き戸を設く。


 これ、茶室の内なるに、一切の衆生、等しく交はるを示さんがためなり。


 茶の湯、侘び寂びの美を極め、華美をしりぞけ、質素にして静寂の妙を重んずるものなり。


 やがて、一つの道と相成りぬ。


 彼もまた、その思ひに殉じたり。


 後の人々、其の者を「茶聖」と讃へ、かの死を深く偲ぶ。



 我、其の如き歴史を何も知らざるなり。


 これ、急所を斬られし者、笑ひの要を射られし者、たとひ覚ゆることあらば、跡を留め、言の葉を寄せ給はば、あれ、嬉しや、いとありがたきかな。

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