それは、俺が依頼して作らせた
それは、俺が依頼して作らせたフライパン二つを重ね合わせたような形をしていた。
いや、まさに瓜二つと言っていいだろう。
その上には、つまみのついた蓋が乗っている。
最初に沈黙を破ったのは俺だった。
「これは一体何ですか?鍋ですか、釜ですか?」
秀治さんは深く息を吐き、一言、「茶釜です」と答えた。
それから、彼はこの奇妙な茶釜を作った経緯を俺たちに語った。
あの日、俺からの注文を受け、渡された絵を見ているうちに、秀治さんの創作意欲に火がついて、その日のうちに帰郷を決めた。
天明の工房に戻ると、絵図を参考にしてダッチオーブンとフライパンの鋳造を始めたという。
そして、それらを完成させると、今までにない斬新な形状の茶釜を製作したのだった。
秀治さんは、まったく新しい形の茶釜の出来に満足し、それを工房の親方に披露した。
すると、親方からは「これは何だ。こんなつまらない物を作って。早く鋳つぶしてしまえ!」と激怒されたという。
しかし、秀治さんは親方の意見には納得がいかない。
意見の衝突に悶々とする日々を過ごすうちに、我慢ができなくなり、年明け前に天明を出発し、絵図を描いた発案者である俺に意見を聞こうと、危険な冬の一人旅を押し切って、清澄寺へやって来たのだった。
秀治さんは語り終えると、さあ、あなたの意見を聞かせてください、と言いたげな目で俺を見ている。
俺は茶のことについて詳しいわけでもなく、まず善に聞いた。
「俺は茶道具がどんなものか知らないが、茶釜とはこんな形をしているのか?」
「いや、寺にもいくつか茶釜はあるが、どれも丸みを帯びた円筒形だ。」
新右衛門さんに尋ねても、やはり目の前にある茶釜のような形のものは見たことがないという。
世間ではどうなんだろうと、疑問を呈すると、善曰く、貴重な茶を飲む習慣は、貴族や武士、それに一部の富豪だけの文化であり、最近になって茶道と呼ばれるようになり、流行り始めたばかりだという。
それを聞いて俺は尋ねた。
「善、おまえはその茶道に詳しいのか?」
「いや、詳しいわけではないが、茶道と呼ばれる精神性には、何か感じるものがあり、共感できるところがある。」と答えた。
それから俺は、もう一度その茶釜に目を落とすが、秀治さんが納得できる答えが見つからず、「話を聞いていると、茶の文化は始まったばかりだし、新しい考え方や茶道具に関しても、まだまだこれからではないでしょうか。いつか、この茶釜の価値が認められる時が来るはずですよ。」と、ありきたりの事しか言えなかった。
秀治さんは俺の見解を聞くと、深くため息をつき、表情は曇ったままだった。
納得している様子は微塵も感じられない。
再び、俺たち男四人は、茶釜の前に沈黙を続けた。
皆が思案する中、善は姿勢を正し、口を開いた。
その声には、確信めいた響きがあった。




