彼をどう評すればよいのだろう
彼をどう評すればよいのだろう。
単に「天才」という言葉では片付けられない。
彼は天から授けられた才によって、際どい稜線を生き急ぐ作家と形容するのが適切なのだろうか。
もし稜線を踏み外せば、底知れぬ闇が広がる。
そう、彼はまさに「紙一重の天才」と呼ぶべきなのだろうか。
彼の作品の一つの最後の三行には、こう記されている。
そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。
外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
下人の行方は、誰も知らない。
たった三行の中にも、天才は行間に扉を隠し、言葉に罠を仕掛ける。
到底、その真意にたどり着けるとは思えない。
逆さまに映る景色は、おそらく別の世界のようだ。
それは現実風景を描写したものなのか、あるいは心象風景だったのだろうか。
外に黒洞々たる夜と記しながらも、実は内面の暗闇を映し出し、それを象徴する言葉が黒洞々なのだろうか。
彼の真意を知る者は誰もいない。
あの秋の日、俺は椎茸の収穫を手伝った。
作業が終わり、俺は武さんから、その日のバイト代を温かい缶コーヒーとともに受け取った。
それから、武さんに促されて農場の片隅に置いてある長椅子に、二人並んで腰掛けた。
すると武さんは「これは椎茸栽培に関する資料だよ」と言い、2ページの手書きの資料を俺に手渡してくれた。
そこには一年の作業工程、いくつかの木組みの方法が書かれていた。
そうして、武さんの手元を見ると、いつもの大学ノートと、競馬のページが表紙になったスポーツ新聞、それに赤いボールペンが握られていた。
俺は何気なく「武さんは競馬が好きなんですか」と尋ねてみた。
すると武さんはしばらく考えて、告白するように語った。
「私の心の中には、いつの間にか、もう一人の自分が生まれて棲んでいるんだよ。そのもう一人は黒洞々たる夜の世界の住人で、私は彼をどんなに探しても見つけられず、私は彼にその問いかけができないんだよ。 だからその質問の答えを見つけられない」
そう語ると、赤い線や丸が書き込まれた新聞に目を落とした。
その姿を横から見た俺は、武さんの背中合わせに、もう一人の武さんの気配を感じた。
二人はコインの裏と表のような存在で、決して交わることはない。
すぐそばにいるのに彼らは相まみえることはない。
そう考えていると、ふと、もう一人の武さんがじっと俺を見つめているような気がした。
二人の行く末は、誰も知らない。
芥川龍之介「羅生門」からの引用です。




