初めて競馬場を訪れてから
初めて競馬場を訪れてから六年後、武さんは馬主になっていた。
船橋競馬場で大勝した翌日、本屋で競走馬に関する本を買い込み、熱心に読みふける武さんの姿を見て、家族は最初こそ笑っていた。
初めて競走馬に関する本を読み、競走馬がどのように生産されるのかを知る。
奇跡の血量18.75%と呼ばれる危うい近親交配によって生まれる名馬たちは、天から授けられた才で、際どい稜線を、クリスタルのような四肢で駆け抜ける。
翌週、一人で府中競馬場を訪れた武さんは、新緑の芝コースを目にして、「ここは美しい戦場だ」と感じた。
それ以来、毎週末に競馬場へ通うようになり、時には東北や北海道まで足を延ばすこともあった。
そうなると、家族も武さんの行動にあきれ始めた。
とはいえ、武さんの生活が乱れたわけではない。
規則正しい生活と日々の農作業、ただそこに競馬が加わっただけである。
家族はそのうち熱が冷めるだろうと考えていたが、武さんはいつの間にか馬主の登録をし、勤めていた農林系金融機関のつてを頼り、家族には相談もせず、北海道の小さな競走馬生産者から一頭の黒毛の牡馬を購入した。
武さんによると、種牡馬は競走馬としては一勝に終わり、種牝馬も未勝利だった。
それでも武さんは、血統の良さと絶妙な血の配合、何より仔馬の澄んだ瞳が気に入って購入を決断した。
そして、その代金や今後かかる費用には、武さんの退職金とこれまでの貯蓄が充てられた。
当然のことながら、それが原因で家庭内に不和が生じた。
妻や娘たちから責められたが、武さんは、自分の抑えられない衝動が原因だと分かっていたので、黙って耐え続けた。
家庭は武さんにとって冷たい居場所となった。
それから、「ミラクルタケ」と命名された二歳馬は、船橋競馬場でデビュー戦を迎えた。
競馬場で見守っていた武さんは、あの日のことをよく覚えている。
第四コーナーを大外から回り、後方から一気に先頭の馬に迫るミラクルタケ。
しかし、結果は一馬身差の二着だった。
その後、馬を預かる厩舎の若い厩務員から連絡があり、レース前後の様子を詳しく聞かせてもらった。
レース前は普段と変わらず落ち着いており、レース後も興奮した様子はなかったという。
彼は「もう、おとなしく静かなので、次のレースでは刺激になる茶葉でも食わせようかと思うくらいです。次のレースは間違いありません」と冗談めかして語り、自信をのぞかせた。
武さんは、自分の選択眼が正しかったことを確信し、満足していた。




