新右衛門さんが有時さんの
新右衛門さんが有時さんの隣に座っていた役人とともに大広間に戻り、俺に幕府としての決定事項を申し渡した。
姿勢を正した役人は「民部少輔北条有時様のご気分が優れぬため、代わりに申し上げます。国重史郎様においては、引き続きお世話役である是又新右衛門殿の下に小湊村での滞在を許可いたします。また、銅銭については、所持する三枚のうち一枚を幕府へ差し出し、その代わりに権大僧正義尚様と民部少輔北条有時様の連名による身元保証の書状をお渡しいたします。この条件を了承していただけますでしょうか」と述べた。
いつの間にか「そこの者」と呼ばれていた俺が「様」と呼ばれるようになり、新右衛門さんは監視役からお世話役へと変わっていた。
詳細については、幕府役人が鎌倉へ戻り次第、改めて連絡があるとのことだった。
俺はその条件を了承し、帰る前にお世話になった仁右衛門さんと、気分の優れぬ有時さんへお見舞いを兼ねて挨拶をしたい旨を伝えた。
しかし、代理の役人は丁寧ながらもきっぱりとした態度で俺の申し出を拒否した。
俺たちは仁右衛門さんに見送られ、重忠さん家族が待つ村へと帰った。
そして、北条有時をはじめとする役人たちも、翌日には船で鎌倉へ帰っていった。
その後、幕府内で十円玉を目にした者たちは、その精巧な作りに驚きを隠せなかった。
さらに、北条有時からの報告を受けて、その由来を知ると、幕府の中枢は危険を感じ、一部の者だけが知る秘密の品となった。
当時、幕府の執権である北条泰時は、政治が不安定な時期であったため、手元に置くことは危険だと考え、誰かに悪用されることを懸念した。
しかし、その精巧な品を鋳潰すわけにもいかず、幕府の要人たちはその取り扱いに困惑した末に、奈良の東大寺が管理する朝廷の倉庫へ送ることを決定した。
こうして、絹布に包まれた十円玉は桐の箱に納められ、正倉院と呼ばれる倉庫の奥深くに保管された。
十円玉は箱の中で静かに眠り続けたのか、それとも再び日の目を見たのか。
そのことについて、俺は何も知らない。




