私は一輪挿しの椿だった
私は一輪挿しの椿だった。
善日と名乗る少年と義尚様との「和敬清寂」の対座において、
部屋の隅に静かに飾られていた花であった。
私は思考を巡らせたが、理解には至らなかった。
椿の花が落ちる前に、義尚様に助けを求めた。
取り調べは、何が何だか分からないまま、私を置き去りにして終わった。
私には、さまざまな人々がまだら模様のように入り混じり、理解することができなかった。
国重史郎なる人物が大変な存在であることだけは理解した。
恥を忍んで義尚様に助けを求めた。
「義尚様、私は今でも理解できません。国重史郎なる人物からもっと話を聞くべきでしょうか?どのようにすればよいのでしょうか?」
義尚様は私を憐れむような眼差しで見ていたが、言葉を返してくれた。
「有時殿は菊の花をご存じかな」
いきなり話題が飛んで、私は困惑したが、義尚様は話を続けた。
「菊の花は、一つの花と思われているが、実はその花びらの一枚一枚が独立した花なのじゃ。例えるなら、その一つ一つの花には喜怒哀楽が凝縮し、『思惑』という同じガクを土台に生きている花の集合体なのじゃよ。その『思惑』を権謀と置き換えても構わないし、術策にしても構わない。要するに」
私は背筋に寒気を感じながら繰り返した。
「要するに」
義尚様は私の耳元に近づき「その菊の花とは、触れてはならぬ菊の御紋じゃ」
ハッとする私に義尚様は、「気を付けなされ。帰りの船から落ちてしまうことがあるかもしれないし、早ければ、明日の朝にでも、椿の花のごとく首が落ちているかもしれん」
話す義尚様の向こうにいた、史郎なる男と目が合った。
すると、その男は顔を歪め、首に手を当てながら、もう一方の手で刀を振りおろす真似をした。
私は恐怖に襲われ、大広間から逃げ出した。
北条有時は、歴史書「吾妻鏡」にも記載されています。
彼の父は鎌倉幕府の二代執権である北条義時であり、また三代執権北条泰時の異母弟でもあります。
和敬清寂は、茶道における重要な理念を表す言葉です。
その理念は、調和、敬意、清浄、そして寂びの4つの要素から成り立っています。




