敷地内に足を踏み入れた
敷地内に足を踏み入れた義浄房さんの表情は厳しい。
善も新右衛門さんも真剣な面持ちで、脇に控えている。
俺たち三人が頭を下げると、義浄房さんが目で頷き、新右衛門さんに目配せした。
「では」と新右衛門さんが先に立ち、敷地の裏口、厠の裏にある不浄門へと案内する。
義浄房さんは裏口と不浄門の前に立ち、印を結んで真言を唱えた。
その声が響くと、虫の声はふっと止み、風も凪いだ。
それから裏手からぐるりと回り、厠の入り口の前に立つ。
棟梁の又左さんが造った厠は、目立たず、風情を損なわぬように建てられている。
隅の日陰には常緑樹の樒が数株、植え込まれていた。
まだ香木としての葉の匂いは幼い。
義浄房さんはその樒を見つけると、「悪しき実、転じて樒となるや。邪気を祓ふには、まこと好きものなり」と独り言のように呟く。
その間に、善が厠の板戸を開け放つ。
持参の包みを開き、香炉を入り口の前に丁寧に据える。
黒い柄に白馬の尾毛を束ねた払子を、恭しく義浄房さんに手渡す。
花里が家から火種と、器に入った糊を持ってくる。
善はそれを受け取ると、香炉に火種の炭を置いた。
準備が整うと、義浄房さんが一歩前に進み、紙包みから抹香をひとつまみ落として焚く。
ゆらゆらと立ち上る白い煙を、払子で軽く厠へと導く。
煙は内に入ると梁の影に沿い、板壁に触れ、淡く消える。
白い房の揺れは柔らかく、煙の匂いもまた物言わず、辺りへ広がる。
義浄房さんは数珠と払子を手にしたまま、地に響くような真言を唱えた。
煙と匂いは、見えない渦のように周囲へ満ちていく。
真言を終えると、義浄房さんは無言で払子を善へ返し、代わりに神札を受け取る。
手のひらに収まる札には、墨痕太く一字の梵字が印され、その下に「烏枢沙摩明王」とあった。
義浄房さんは丹田に力を込め、吽の印を結んで加持した。
そして神札を善に手渡す。
善は裏に丁寧に糊を塗り、厠へ入り、梁の高いところに慎重に貼り付けた。
やがて一仕事を終えた善が厠から出てきた。
それを見て、義浄房さんがひとつ大きく息を吐き、「清浄なり候」と宣した。
俺たち三人も張りつめていた肩の力をようやく抜いた。
「さらば、次へ御案内仕る」と新右衛門さんが義浄房さんを厨へと先導する。
善、俺たちもその後に続いた。
先を歩く義浄房さんの背から、ほのかに香の匂いが流れ過ぎてゆく。
流れる匂いの跡を追い、ふと振り返る。
厠はただそこに在る。
烏枢沙摩明王の気配は、なお不明のまま。
俺は一人「よろしくお願いします」と目を閉じ、手を合わせた。
神妙な俺に、もう一人の俺が可笑しみを堪えながら問いかける。
「烏枢沙摩明王がウインクをするなら、どの目を閉じるのだろう」と。
神妙な俺が、心の内で「余計なことを」と舌打ちする。
手を合わせた口元が、にやりと緩んだ。




