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ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
夏の末、秋のきっかけ

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221/228

敷地内に足を踏み入れた

 敷地内に足を踏み入れた義浄房さんの表情は厳しい。


 善も新右衛門さんも真剣な面持ちで、脇に控えている。


 俺たち三人が頭を下げると、義浄房さんが目で頷き、新右衛門さんに目配せした。


 「では」と新右衛門さんが先に立ち、敷地の裏口、厠の裏にある不浄門へと案内する。


 義浄房さんは裏口と不浄門の前に立ち、印を結んで真言を唱えた。


 その声が響くと、虫の声はふっと止み、風も凪いだ。


 それから裏手からぐるりと回り、厠の入り口の前に立つ。


 棟梁の又左さんが造った厠は、目立たず、風情を損なわぬように建てられている。


 隅の日陰には常緑樹のしきみが数株、植え込まれていた。


 まだ香木としての葉の匂いは幼い。


 義浄房さんはその樒を見つけると、「悪しき実、転じて樒となるや。邪気を祓ふには、まこときものなり」と独り言のように呟く。


 その間に、善が厠の板戸を開け放つ。


 持参の包みを開き、香炉を入り口の前に丁寧に据える。


 黒い柄に白馬の尾毛を束ねた払子ほっすを、うやうやしく義浄房さんに手渡す。


 花里が家から火種と、器に入った糊を持ってくる。


 善はそれを受け取ると、香炉に火種の炭を置いた。


 準備が整うと、義浄房さんが一歩前に進み、紙包みから抹香をひとつまみ落として焚く。


 ゆらゆらと立ち上る白い煙を、払子で軽く厠へと導く。


 煙は内に入ると梁の影に沿い、板壁に触れ、淡く消える。


 白い房の揺れは柔らかく、煙の匂いもまた物言わず、辺りへ広がる。


 義浄房さんは数珠と払子を手にしたまま、地に響くような真言を唱えた。


 煙と匂いは、見えない渦のように周囲へ満ちていく。


 真言を終えると、義浄房さんは無言で払子を善へ返し、代わりに神札を受け取る。


 手のひらに収まる札には、墨痕太く一字の梵字が印され、その下に「烏枢沙摩明王」とあった。


 義浄房さんは丹田に力を込め、うんの印を結んで加持した。


 そして神札を善に手渡す。


 善は裏に丁寧に糊を塗り、厠へ入り、梁の高いところに慎重に貼り付けた。


 やがて一仕事を終えた善が厠から出てきた。


 それを見て、義浄房さんがひとつ大きく息を吐き、「清浄なり候」とせんした。


 俺たち三人も張りつめていた肩の力をようやく抜いた。


 「さらば、次へ御案内仕る」と新右衛門さんが義浄房さんを厨へと先導する。


 善、俺たちもその後に続いた。


 先を歩く義浄房さんの背から、ほのかに香の匂いが流れ過ぎてゆく。


 流れる匂いの跡を追い、ふと振り返る。


 厠はただそこに在る。


 烏枢沙摩明王の気配は、なお不明のまま。


 俺は一人「よろしくお願いします」と目を閉じ、手を合わせた。


 神妙な俺に、もう一人の俺が可笑しみを堪えながら問いかける。


 「烏枢沙摩明王がウインクをするなら、どの目を閉じるのだろう」と。


 神妙な俺が、心の内で「余計なことを」と舌打ちする。


 手を合わせた口元が、にやりと緩んだ。


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