目に映る風景は
目に映る風景は何ひとつ変わらず、時はゆったりと経過している。
しかし俺の内側では、急激なパラダイムシフトが起きていた。
聞こえてくる音も、すべてが別の意味を帯びてくる。
認識と価値観が根底から覆り、外から見ればただ縁側に腰かけているだけにしか見えないだろうが、俺の内側では激しく動揺し、呆然としていただけだった。
苛烈なこの時代を生きる人々にとって、死は常に身近にある。
死と隣り合わせの生活だからこそ、ものの哀れに深く応じる。
朝に鶏を屠り、夕べに人を見送る。
日々の営みの中で同列に並ぶ。
それは、峻厳な岩山の頂に白い蕾を膨らませる花のようで、見下ろせば、絶峰の切り立ち、深淵の谷が鋭く口を開けている。
ゆえに、高き山に深き谷あり。
その危うい生と死の隣り合わせに、人は刹那の美に感応する。
モーゼは、その頂で儚い白い花に気が付いただろうか。
常識は移ろうが、良識は変わらず、真理は普遍である。
“E pur si muove”
「それでも地球は動く」
イタリアの天文学の父が、宗教裁判の席でそう呟いたとされる。
だが俺は、縁側から動けない。
地球は回り続けているのに、この時代で俺だけが取り残されている。
虚ろな瞳に、門から入ってくる一人の人物が映った。
俺に気が付くと、彼は海を割って進むモーゼのように、若鶏たちを意に介さず、真っ直ぐ歩いてくる。
鶏たちは、予期せぬ闖入者の足元から、ちりじりに走り去った。
間違いのないしっかりとした足取りで、こちらへ近づいてくる。
日の下を歩く彼は、眩しかった。
この時代を生きる者の逞しさが、日の光よりも眩しかった。
俺は何とか立ち上がり、目の前に立つ新右衛門さんと時節柄の挨拶を交わす。
促されるまま縁側に腰かけると、新右衛門さんも隣に腰を下ろした。
そうして、彼は家の完成後の話を、作事奉行として改まった口調で語ってくれた。
まずは、家の穢れを祓い、清浄にし、家内安全を祈る正式な儀式が必要だと話す。
このことについては、すでに新右衛門さんが清澄寺に依頼し、手配済みだと言う。
それが終わると、工事に携わった関係者へのお披露目となる。
そこでは親しい間柄の人たちも招いて一席設けることになる。
新右衛門さんは、段取りや決め事を責任者としてすべて引き受けると話した。
細かなことは小六、真之介、花里に任せ、俺は家主として座していれば良いと言う。
むしろ家主だけは動かず、どっしりと構え、威厳を保つ方が良いと助言された。
話し終えると、新右衛門さんは太刀の柄に手をかけ、「いざ、我に任せ給へ」と覚悟を持って告げる。
その所作は、軒下の日陰で白い歯を見せ、眩しい笑顔を向ける。
まったく頼もしい。
男が男に惚れるとはこのことだと思った。
さすがにモーゼの十戒に触れるようなことはないが、俺は彼にすべて任せることにした。
帰る際も、彼は若鶏たちが啄む中を真っすぐ歩く。
紅海を割るように。
俺も立ち上がり、陰から出る。
ただ縁側から一歩踏み出すだけ。
眩しさを見上げる。
「それでも俺は動き出す」と呟いてみる。
ツクツクボウシが、はやくしろはやくしろと俺を声で急き立てる。




