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ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
雨に唄えば

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家の裏にある枇杷の木

 家の裏にある枇杷の木には、実が鈴なりになっている。


 果皮は濃い橙色に色づき、軽く押すとわずかに柔らかい。


 俺の知る枇杷とは違い、この時代の実は少し小ぶりで酸味が強い。


 俺が初めて枇杷を食べたのは、アメリカから帰国した翌年の梅雨頃だった。


 その頃、祖母が近所の人から庭で実った枇杷を分けてもらったのだ。


 それ以前に幼い頃に食べたことがあるのかもしれないが、記憶にはない。


 アメリカのスーパーの店頭に枇杷が並ぶ光景を見たことがなかった。


 大都会のスーパーや日系の食料品店に行けばあったのかもしれないが、オレゴン州の小さな港町のスーパーには、ワックスで艶々と光るリンゴ、ポンド単位で網袋にぎっしり詰められたオレンジ、山積みのバナナが並んでいた。


 バナナは熟したものも青いものもあり、房ごとでも、ちぎってでも、好きなだけ手に取っていける量り売りの記憶しか残っていない。


 初めて食べた枇杷の実は、口の中ですっと消える甘さで、雨で湿りがちな日々の中にあって、一服の清涼感があった。


 分けてもらった量は多く、祖母と母はその枇杷をコンポートにした。


 二人は台所のテーブルで向かい合い、ヘタを切り落とし、二つ割りにし、皮をむき、種をスプーンでくり抜いていく。


 むいた実は色が変わらないよう塩水に浸されていく。


 二人は取り留めのない話をしながら手を動かす。


 指先には灰汁が移り黒ずむ。


 話題は次々に変わり、どこにも落ち着かない。


 ただ、離婚した俺の父については、母も祖母も触れることがなかった。


 鍋で水と砂糖を火にかけ、そこへレモンを搾る。


 搾られたレモンから酸い匂いが立ち、俺の古い記憶をそっと揺らし、クーズベイで過ごした日々と街並みを思い出させる。


 

 記憶は甘くもあり、酸っぱくもある。



 親子三人で訪れた六月のステーキレストランは、海沿いの高台に建っていた。


 窓辺から、湿った木の匂いとひんやりとした潮風がゆるりと流れ込んでくる。


 テーブルの白いクロスの上で、小さなキャンドルの炎が、かすかに揺れていた。


 波が砂を洗い、わずかに届くその音は、記憶の断片となり、薄く積もりゆく。


 日が暮れかけるころ、霧が街並みの輪郭をそっと隠していった。


 

 鍋に枇杷の実を丁寧に入れ、香り付けに白ワインを少し加える。


 ゆっくり弱火でひと煮立ちさせ、粗熱が取れるまで冷ます。


 鍋からは枇杷の甘い匂いが漂った。


 俺の記憶も、母娘のたわいない会話のように、脈絡を求めず漂う。


 心象風景の輪郭は曖昧になり、霧の向こうへ薄れゆく。


 

 甘いと酸いのあわいの霧から、ふっと苦味が心の端に残る。



 俺は花里に手伝ってもらいながら、枇杷のコンポートを作る。


 ダッチオーブンに水、砂糖、蜂蜜でシロップを準備する。


 レモンはないので、ほんの少しの酢と、香り付けに酒を加える。


 下処理を終えて塩水に浸かる枇杷をダッチオーブンに移し、弱火で煮る。


 かまどの炭の匂いに混じり、やがて果実の香りが立ち昇る。


 小さな家には、鍋が冷めるまでの静かな時間と甘い香りが満ちる。


 花里が黒ずんだ指先を見てから、俺を見る。


 つられて自分の指先に目を落とす。


 同じように黒ずんでいた。


 二人の間に、ふっと笑いが生まれる。



 







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