岬からアシカの群生地を
岬からアシカの群生地を眺める。
舟で海からもっと近づいて見ることもできたが、彼らの生息地が聖域のように感じられて、遠くから望むにとどめた。
激しく波が洗う磯、厳しい自然環境で生きる彼らの居場所が、近づくことで壊してしまいそうで憚られた。
頬に強く吹きつける風も、しぶきを上げる磯波の飛沫も、不可侵を厳かに告げている。
俺たちは、そっと静かにアシカたちが吠える岬を後にする。
犬吠埼。
岬の名は、アシカの声に呼ばれたものかもしれない。
そんなことに考えを巡らせながら海岸線に沿って南下し、九十九里浜を目指す。
断崖の荒々しい景色は、次第に穏やかな海岸線へと移り変わる。
紺碧は鮮やかな青に変わってゆく。
海が光に透かされる。
しばらくすると、湾曲して伸びる銀色の砂浜が見えてくる。
その長さゆえ、九十九里浜だろう。
記憶の景色とは違うが、砂浜の色だけは同じ灰褐色だった。
不思議と砂浜には人影はない。
そこへ舟を下ろして砂浜に立つ。
岬で感じた潮風とは違い、砂浜の海岸線を渡る風は心地よく、柔らかく俺たちを受け入れてくれる。
善、小六、花里が声を上げ、波打ち際に走り出す。
俺は一人、日に温められた砂に腰を下ろし、後ろ手をつく。
手に触れる砂はさらさらと零れる。
三人の影は波に洗われる砂との境を曖昧にして、光の反射の中で重なり動く。
砂の感触は、俺の記憶を呼び起こす。
初めてトオルとサーフィンで訪れた九十九里浜。
たくさんのサーファーが沖に浮かび、波待ちをしていた。
俺とトオル、砂を蹴り、今の三人と同じように声を上げ、サーフボードを脇に抱えて、勢いよく海に飛び込んだ。
パドリングして沖に出て、他のサーファーの輪の中に入る。
しかし現実は思うに任せず、ボードに跨って波を待つこともできず、ましてや、ボードに立つことなど叶わず、次々と波に乗って滑りゆくサーファーを横目に、ただ海に翻弄されるばかりだった。
日差しと焦りにジリジリと焼かれ、口に広がる海水の塩辛さだけが鮮明に残る。
そんな俺たち二人に、中学生と思われるサーファーが寄り、突き放すように呟く。
「兄ちゃん、悪いけど、よそでやってくれないかな」
その言葉に、心は音もなく折れた。
羞恥と悔しさ、そして心にほろ苦さが滲み加わる。
冷たい海と暑い日差しの狭間で、ボードは白い飛沫に乗って宙に舞い、波に揉まれて吐く息は青い気泡となって海に昇る。
言葉は耳に残る海水のように、心を押し塞ぐ。
それから、俺とトオルはあまりサーファーの集まらない海に行くようになった。
楽しかったのか、悔しかったのか、今では分からない遠い未来、遠い過去の大切な記憶となっている。
いつの間にか、俺の前に足元を濡らした三人が立っていた。
三人の影が重なるのを見て、俺は気づく。
息を切らした善が、笑いを含んで問いかける。
「史郎、何を嬉しそうな顔をしているんだ」
その問いかけに、俺の大切な記憶は楽しい思い出だったのだと気づかされた。
俺はそれには何も答えず、心の中にだけそっと仕舞って立ち上がる。
俺は足元の乾いた砂を払い、微笑を浮かべたまま言った。
「さあ、家に帰ろう」
善、小六、花里も笑顔を浮かべながら足についた湿った砂を払い落とし、四人で舟に乗り込んだ。
四人を乗せた舟は空へと滑り出し、やがて見えなくなる。
湿りを帯びた砂は色と匂いが薄れ、痕跡を残さぬまま元に戻る。
日はすべて受け入れ、あまねく照らす。
過去も未来も曖昧なまま、陽に溶けて消えゆく。
九十九里浜、海には光、空には風だけが残る。




