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正造さんの話が心に

 正造さんの話が心に残るまま、俺は率直に聞いてみた。


 小六と花里は、境内の小堂のどこかに、十一面観音像が脇に抱えた瑪瑙めのうが安置されているはずだと考え、探しに行った。


 残された俺は善と二人きりになり、観音堂をぐるりと囲む縁側、その隅の一つに並んで腰を下ろし、問いかけた。

 

 「善は海から引き揚げられた観音像のことを信じていないのか」


 善はその質問に、なぜというような目を向け、答える。


 「信じる、信じない以前に、俺は浜辺に流れ着いたうつろ舟と史郎のことの方が、信じられず、それでも信じざるを得ない方がよほど不思議だと思うぞ」


 言われてみれば、その通りだった。


 信じられない状況の中心に陥っているはずの俺自身が、それに気づいていなかったこと。


 その滑稽さに、自然と可笑しさがこみ上げた。


 善も俺の気持ちを察したのか、目に笑いを浮かべ、視線が合うなり、二人して堪えきれずに吹き出した。


 清閑な空間に不似合いな笑い声が、静かな空へとほどけていった。


 ふと考えた。


 俺はうつろ舟のことを、できるだけ秘密にし隠そうとしている。


 それには理由があり、俺自身を守ることになると考えているからだ。


 では、この寺の観音像はどうなのだろう。


 厨子の前扉を閉ざし、訪れる人々にその姿を顕さず秘めている。


 それは畏れゆえか、守るためか。


 俺はその意味を測りかねていた。


 もう一度、善に聞いてみた。


 善は虚空に視線を彷徨わせて答える。


 「人の感情は厄介なものだな。目に見えることは信じられず、目に見えないことを信じる」


 潮騒が縁側をそろりと通り抜けていく。


 善の話は続く。


 「たとえ史郎が自ら神と名乗ったとしても、俺には信じられない。目の前の史郎は、感情の揺れが絶えず、慈悲深く優しいかと思えば、畏れに震え、悲しみに沈むこともある。」


 善は今度は虚空を見据え、言葉を継いだ。


 「そんな豊かで不安定な心を抱えた人を、どうして神と思えるだろう。人間らしいその揺らぎは、人を惹きつけこそすれ、崇めさせはしない」


 磯の香が縁側に控えめに上がってくる。


 「もし、俺が仏だと称したとしても、あるいは人の姿で顕れた仏だと言ったとしても、史郎、おまえはそれを信じられるか?それと同じだ」


 揺らいでいたが、気づけば頷いていた。


 善は善以外に何者でもない。


 善は含みを持たせ、優しく問いかけるように言った。


 「神も仏も姿を顕さないからこそ、人々は欲し求めるのだろう」


 話を聞いて神妙な顔の俺に、善は息を抜けるように、「それがこの話の味噌という訳だ」と一人笑った。


 潮騒と磯の香が消えるように引いてゆく。


 「仏は、ときに無慈悲に見え、冷徹でもある」と一人醒めた真顔で呟く。


 しばしの冷えるような静寂、音も匂いも存在さえも消える刹那。


 善は友なく一人孤高に立つように。


 俺もまた意識を深く沈める。


 出口のない静寂を破るように、小六と花里の声が届く。


 声が俺を救いあげる。


 二人に目を向けると喜色を浮かべ、小走りに戻ってくる。


 瑪瑙の場所を探し当て、目にしたのか、しないのか。


 どちらにしても、手を合わせることが叶ったのは間違いないのだろう。


 駆け寄る二人を眺めながら、そっと瞼を閉じる。


 慈悲ゆえの怒り、励ましゆえの叱責、そして悟り。


 十一面観音像の表情を、俺に知る術はない。


 ただ、潮騒と磯の香が変わらず境内を満たしていた。

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