正造さんは、咳払いをひとつ
正造さんは、咳払いをひとつしてから、寺の縁起をこう語り継ぐ。
白髪頭で痩せた正造さんは、笑顔を絶やさず、円福寺に安置される観音像の由来を紡ぐ。
時には手を広げ、時には手を握りしめ、尊崇の念を込め、朴訥ながら、わが子を慈しむように語るうち、口調は次第に熱を帯びていく。
神亀五年の春。
銚子の浦は荒れに荒れ、漁に出ることもままならぬ日々が続いていた。
ある夜、沖の海が突如として光に包まれた。
その荒れ狂う波音を聞きながら、漁師の清六の夢枕に声が響いた。
「光耀ける海に網を下せ。長蔵と倶にせよ。」
翌朝、荒れていた海は嘘のように凪いでいた。
清六が舟を出すと、対岸から長蔵が漕ぎ寄せてくる。
彼もまた同じ夢を見ていたのだ。
二人は顔を見合わせ、言葉もなく網を沈めた。
すると、引き上げた網の中から、左の脇に瑪瑙をはさんだ十一面観音の尊像が現れた。
二人は驚きと畏れに打たれた。
その後、二人は出家し、草庵を結んで尊像を安置した。
祈りを捧げるたびに人々の病が癒え、彼らは「厄除法師」と慕われた。
その奇瑞は遠く大和にも伝わり、天平の頃、行基菩薩が自ら厨子を奉納した。
しかし尊像は大きすぎて収まらない。
そこで不思議なことが起こる。
行基が祈ると、観音は首を垂れ、自ら厨子に身を沈めて入ったという。
正造さんは、あたかも観音像になったかのように、話しながらその様子を仕草で示す。
さらに時を経て、弘仁の世。
東国を行脚していた弘法大師がこの尊像を拝した。
海から現れたままの姿に心を打たれ、大師は台座と光背を整え、開眼供養を行った。
やがて下総国の千葉氏の流れを汲む海上氏が尊像と弘法大師に帰依し、寺を庇護するようになったと、正造さんは、まるで自ら見てきたことのように淀みなく熱く語る。
その顔は赤く火照っていた。
話を聞いた俺は急に興味が湧き、味噌の準備ができる間に寺で、その観音像を拝観しようと考えた。
戸口から潮の匂いがわずかに流れ込む。
俺たちは戸口に立つ正造さんに見送られて寺へと向かった。
合わせた手には長年の作業の跡が刻まれていた。
俺は期待を膨らませながら山門をくぐる。
境内にも、波の音と潮の匂いが時折忍び込んでくる。
正面には本堂があり、脇に幾つかの小堂が見える。
開け放たれた観音堂に上がると、中には一人の若い僧と参詣する数人がいた。
人々は閉じられた厨子に手を合わせ、僧は静かに様子を見守っている。
小六も花里も観音像に手を合わせていた。
姿は見えなくとも、二人は目を閉じて祈っている。
その間だけ、波の音も潮の匂いも消えたように静まる。
俺は厨子の前扉が開いていないことを、音の引いた堂内で小声に僧へ尋ねる。
僧もまた、小さな声で、普段は厨子の扉は開かれず、特別な日のみに開けられるのだと答えた。
僧の答えに、どうしてもその目に拝したいと善はこだわりを見せると思ったが、意外にもそこには囚われなかった。
小六も花里も、厨子に手を合わせられたことで満足し、喜んでいる。
こうして、俺たち四人は、俺だけが納得できないまま堂を出ることになった。
いつもは何事にも熱くなるはずの善が、今回のことにはあっさりとしている。
すでに答えを持っているのか。
さっぱりとしたその態度の理由を、晴れない気持ちのままの俺は尋ねた。
澄んだ目をした善。
潮騒と磯の香は、風に揺られて濃淡を変えながら、山門から密やかに流れ込んでくる。