善信房さんを見送った稲田の草庵
善信房さんを見送った稲田の草庵には、ただ寂しさだけが残っていた。
篝火はすでに灰となり、昨夜の夢の足跡は墨色の痕として広場に染みをつくっていた。
垂れこめる雲、人影もまばらとなり、静けさだけが草庵に漂う。
俺は重兵衛さんに教えられた台地へ、舟で向かい、臼の材料となる石を切り出す。
善は善信房さんが書き残した冊子を読ませてもらうことになっていた。
俺たち四人は、もう一泊、草庵に滞在することになった。
善は道場へ向かい、俺たち三人は宿泊していた庵へと戻る。
昨夜あれほど騒がしかった庵の広間も、今は一人の女が掃き掃除をしているだけで、もう誰もいない。
静かになったせいか、風に乗って来たのだろうか、まだ脚も細く腹部も小さい黄色い斑紋のある蜘蛛が壁にいた。
女は蜘蛛を傷つけぬよう、箒の穂先で触れぬようにそっと追う。
蜘蛛は壁から天井へと逃れ、じっと動かない。
八つの目で、俺たちを見据えるようにそこにいる。
女は俺たちに気づくと、手を止めて振り向いた。
そして、小さく頭を下げ、「今晩の食事をここに支度しておきます」と告げた。
俺は籠を担ぎ、小六、花里とともに、森に隠した舟に戻る。
相変わらず、空は暗い。
舟に戻ると重兵衛さんに教えられた台地へ向かう。
舟を浮かせると、すぐに台地が遠くに見える。
湿った空気を切りながら、舟は空を滑る。
まもなく、台地の中腹に到着する。
石材を確認するため、見本となる石の欠片を手に三人で船外に出た。
材料の石はすぐに見つかった。
というより、台地全体が石材だった。
俺は舟の巨大アームを展開し、木々を伐採し、壁となっている石肌から切り出した。
アームの八本の爪を高速回転させ、その壁にゆっくりと当てる。
壁はミシミシと音を立てて削られ、ほどなく割れていく。
割れて崩れた大きな塊を、今度は程よい大きさに割り整える。
石臼には十分の大きさの石材が採れたが、腰を痛めている重兵衛さんの今後のためにも、大小さまざまな寸法で割って、石材を確保した。
それから俺と小六の二人で足元に用心しながら、それらを舟に積み込む。
石の持つ白い地肌は美しく、せっかくなので庭石にしようとさらに割り石して一つ二つ。
何に使うのか、花里は小さく砕けた石を拾い集めて袋に詰めていた。
すべてを積み終えて、重兵衛さんの家へ向かい、防風林の陰に隠すように舟を停める。
俺と小六で辺りの人影がないことを確かめて石を下ろすと、舟を近くの森に隠す。
それから、俺たちは重兵衛さんの家を訪れて、運んだ石の場所まで案内する。
重兵衛さんは昨日の今日で、大量の石が持ち込まれたことに驚いていたが、何も言わず、俺たちも何も語らず、笑顔だけで応えた。
割っておいた石は、体の負担を減らすために用意したものだと伝えると、大いに喜ばれた。
俺は重兵衛さんと臼の製作について相談する。
すっかりやる気になった彼の助言で、茶臼とは違い、穀物の投入口を上臼の中心ではなく、少しずらして開けることなど、細かい説明を受けた。
残るは、支払いと受け取りの段である。
俺は籠から銭の束を二つ、三つ取り出したが、重兵衛さんは多くの石材を持ってきたことに感謝しているのか、一束だけを手元に引き寄せた。
受け取りについては、出来上がる時期が分からぬため、善が修行する清澄寺を届け先にしてもらった。
事後承諾となるが、後で善に伝えておこう。
こうして、俺は旅の目的の、また一つを果たした。
俺たち三人は、重兵衛さんの笑顔に見送られ、彼の家を後にした。
これから、どのような方向で書き進めていくか、思案しています。
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