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案内の男に先導され

 案内の男に先導され、草庵の敷地内にある一軒の庵へと導かれた。


 大きな古民家のような建物で、ここが今晩、俺たちが宿泊することになる場所だった。


 男とともに中へ入ると、板張りの大広間があり、すでに数人がかたまりになって話していたり、隅で筵に横になって休んでいる者もいた。


 時間が経つにつれ、人は増え、就寝の頃には人でいっぱいになるとのことだった。


 ここには、明日、善信房さんとともに京へ向かう者たちや、遠方から見送りのために集まった者たちが宿泊するという。


 俺たちは、広間の隅にある板の衝立で仕切られた一画に案内された。


 男は広間で働く女に手際よく指示を出し、筵を持ってこさせて、俺たちの今晩の寝床を確保してくれた。


 それから、明日の旅立ちを控え、今晩は特別に、粥や雑炊ではなく飯が用意されるらしい。


 その顔には、「米の飯が食べられる」という、どこか嬉しさがにじんでいた。


 まだ時間があるので、俺は石工の重兵衛さんの家を訪ねようと思い、その旨を男に伝えると、彼は門のところまで見送るためについてきてくれた。


 敷地内を歩きながら、先ほどの善信房さんとの会話を持ち出し、「あれほど感情を露わにして、上人が楽しそうに話す姿は見たことがなかった」と語った。


 賑わう草庵を抜けるあいだも、男の声は弾んだままだった。


 どこからか、炊かれる米の匂いが漂ってくる。


 俺たち三人は門をくぐって外に出て、並んでいる幾人かに重兵衛さんの家を尋ねたが、誰も知らなかった。


 小六は、草庵の様子を眺めている子供たちをめざとく見つけ、彼らに声をかけた。


 すると、その場所はすぐに分かり、五人の子供がその家まで案内してくれることになった。


 棒を振り回す男の子を先頭に、幼子たちが走り回りながらその後に続いた。


 俺たちは、その列の後ろを歩いた。


 曇天の下、子供たちの声だけが、風に負けずに明るく晴れていた。


 まもなく、重兵衛さんの家に着いた。


 俺は案内のお礼に銭を数枚、先頭を歩いていた男の子に手渡そうとしたが、銭を見たことがないのか、持ったことがないのか、あるいは親から「銭は恐ろしい物だ」と教えられているのか、触れるのを怖がり、それを投げ出して、皆、逃げ出した。


 やがて木陰や遠巻きに身を潜め、こちらの気配をうかがう。


 小六が深くため息をつき、散らばった銭を拾い集めて、散った子供たちにゆっくりと近づき、何かを話して手渡している。


 今度は、子供たちは歓声を上げながら銭をつかみ、駆け出していった。


 呆れた目を俺に向けながら、小六が戻ってくる。


 「小六、何を話したんだ」


 ばつの悪さを感じながら俺が尋ねると、ちょっと自慢げに、「親に渡せば、お腹いっぱい飯が食えるかもしれないぞ」と答える。


 食べることは、この時代、どこへ行っても離れられない命題のようだ。


 「食べることは生きること」。


 斉藤先生が授業中にそう話していたことを思い出す。


 その言葉は、どこかの哲学者の言葉が変じて広まったものだと教えてくれた。


 その後にも言葉が続いたはずだが、肝心な部分が記憶から抜け落ちているように思える。


 もちろん、哲学者の名前も思い出せない。


 先生が「真意と真理は、なかなか正確には伝わらないものだ」と、伝えることの難しさを付け加えて話してくれたことが、記憶の底から浮かび上がる。


 そして、前半の言葉だけが、曇り空のように曖昧なまま、俺の中に漂っている。


 いつか、心に吹く風の向きによって、後半の言葉を思い出すことがあるかもしれない。


 忘却と風とが、頬を撫でて過ぎた。


 俺は、ようやく長い道のりを経て、食べるために、重兵衛さんの家に辿り着く。       

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