私はあの一夜が忘れられない
私はあの一夜が忘れられない。
いったい彼らは何者だったのだろうか。
「人ならざる存在」
答えは、いつもそこに行きつく。
私は答えが得られぬまま日々を過ごした。
いつの間にか梅雨入りし、梅雨雲が切れると強い日差しの夏が訪れた。
稲は青々と色を増し、今年の豊作を予感させた。
秋には稲穂が重い頭を垂れるだろう。
その頃、二頭の馬に荷を積んだ五人の商人一行が村を訪れ、商売と一夜の宿を願い出た。
彼らはそれぞれ商いを持ちながら、旅の安全を考えて行動を共にしているという。
乙名の私はそれを許可し、幾ばくかの金を受け取って寄り合いの堂へ案内した。
その夜、私は商人たちのささやかな酒宴に招かれた。
村では鍬や鎌の農具や古着などが思った以上に売れたとのことで、彼らから誘われたのだ。
灯皿の明かりの下、瓶子からかわらけに注がれた白い濁酒がほのかに照らされる。
そっと口に含む。
久しぶりの酒に、すぐ酩酊し、あの夜のことが脳裏に甦った。
酔いながらも慎重に言葉を選びつつ、あの夜の出来事を語る。
突然、山から現れた四人が、背負った籠から海の幸や大皿に盛られた温かい飯を取り出し、さらに米や銭を村に残して山へと消えていったこと。
そして、村人の男たちと共に経験した、この世のものとは思えぬ、不思議な夜の一幕のことだった。
乙名の嘘とは思えぬ真剣な表情に、束の間、商人たちは言葉を失った。
年配の商人は瓶子を持つ手をそっと膝に下ろし、若い商人は怯えの色を目に浮かべたまま視線を外さない。
外では虫の声が遠く近く、鈴の音のように澄んで耳に届く。
若い商人が震え声で尋ねた。
「結局、その四人は何だったんですか」
灯芯の炎も、わずかに震える。
乙名は、分からないと答えるつもりだったのか、それとも単に酔いを醒まそうとしたのか、ただ首を横に振った。
しばし沈黙が流れる中、瓶子を抱えた年配の商人が口を開く。
「話を聞いて、われ思うに、それは静神社の森に住む四匹の狐ではなかろうか」
彼は常陸国、倭文郷の織物を扱う商人で、その付近には昔から「四匹の狐」の伝承が語り継がれているという。
森に住む兄弟狐の名は、長男の源太郎、次男の甚二郎、三男の紋三郎、四男の四郎介。
彼らは人の持たぬ神力を備えていた。
ある日、四匹は仲間の狐が人を騙したり困らせたりしていることを憂い、自分たちは人に協力しようではないかと話し合い、各地に散っていったらしい。
そう語り終えると、年配の商人はかわらけの酒を一口含んだ。
酒の香りがほのかに漂い、灯芯の炎が暗がりに揺れる。
乙名は、その話を聞き、すべてが繋がり、納得するような気持ちになった。
そして一つ、小さく息を吐く。
胸中には、灯芯の灯りのような小さな明かりが灯り、ほんのりと心を温めた。
年配の商人は「山に消えた彼らは、どこへ行ったのだろうか」と尋ねる。
乙名は、四人のうちの一人が笠間の稲田郷について詳しく尋ねていたことを話した。
若い商人が酒を一口、ごくりと飲み下す音が聞こえる。
やがて皆は沈黙し、四人が目指したのは稲田郷であることに暗黙で一致した。
静かな夜は、鈴の音とともに更けていった。
静神社
茨城県那珂市にある古社で、常陸国二之宮とされ、地域の総鎮守として古くから信仰を集める。
常陸国倭文郷
古代から織物生産で知られた地名で、倭文は古代織物の呼称であり、地名の由来にもなった。




