まだ日も昇らぬうちから
まだ日も昇らぬうちから、私の家に村人が集まりはじめていた。
彼らは、深夜の出来事のあらましを三人の男たちからすでに聞いていたらしく、寄り合いの堂に泊まっている四人へ、一言お礼を伝えたいと集まっていた。
隣の家のお晴さんも、爪の隙間に染みついた土の黒を見せながら、一目彼らの顔を拝みたいと、両手を合わせて私に頼み込む。
長年の農作業で曲がった腰を、さらに深く折り、懇願する。
年老いた彼女の、そして村の暮らしは、これまで楽になったことが一度もなかった。
それだけに、今回、村に恵みをもたらしてくれた彼らに感謝を伝えたいという。
私はお晴さんの願いを無下にはできず、彼らに会えるかを尋ねてみると約束した。
四人の食後、私は村人との語らいの場を設けてほしいと願い出る。
すると、男はなぜか照れくさそうに了承した。
その時の表情や仕草が、やけに子供っぽく印象に残る。
ますます、男を含む彼ら四人の正体が分からなくなった。
私は姥様に頼み、寄り合いの堂に集まる村人を順に招き入れてもらった。
最初に入ってきたのは作だった。
その後も次々と村人が四人へ挨拶と感謝を述べるために入っては出ていく。
いつの間にか姥様の姿が見えなくなり、私は気になった。
最後に、私は改めてお礼と、村の秘事である堅香子の粉のことを内密にしてくれるよう、深く頭を下げてお願いした。
男はそれを了解したというように、しっかり頷き、籠を担いで立ち上がる。
私は彼らの後について堂を出た。
外で待っていた村人の間から、歓声が一斉に上がる。
しかし、いつも村人を見守る姥様の姿がない。
私は姥様のことが急に心配になった。
彼らは村人の別れの声を背に山の方へ歩き出す。
村人たちは別れを惜しむように、少し離れて後を追う。
私は彼らから離れ、姥様の家へ走って様子を見に行った。
一人暮らしの姥様は戸口を開け放ち、家の中で筵に横たわって休んでいた。
私はそっと家に入り、枕元で小さく声を掛ける。
「姥様、いかにおはします」
すると姥様は、目を閉じたまま「いと、つかれたり」とだけ答える。
私は彼らが出発したことを告げたが、姥様はそのことには触れず、「思ひはかるべからぬ縁にて候ふ」と、不思議な巡り合わせを口にした。
姥様の閉じた目から一筋の涙が流れ、枯れた「南無」の声ひとつ。
あとは、何も言わなかった。
ひと時、音の消えたような静寂。
私は静かに姥様の枕元を離れ、彼らの後を追って走った。
足音に驚いて、水田に蛙が飛び込む。
水面に円が広がる。
はあ、はあと息を切らし、小さな水音が続く。
やっと追いつくと、ちょうど四人が森へ入ろうとしていた。
私は手を振りながら感謝を伝える。
村人も同じように手を振ったり、声を上げたりしていた。
それから彼らは山へと消えた。
私を含め、村人たちは無言で山を見つめる。
すると森がざわめき、近くから鳥が羽ばたき空へ舞い上がる。
一陣の風が私たちを通り過ぎる。
風に驚き、また蛙が一斉に水へ飛び込む。
何かが舞い上がり、飛び立とうとする気配だけが伝わる。
見えないが、何かの圧を肌で感じる。
それは、昨夜、堂内に降り立ったものの名残を、畏れを空へ返すように。
「神上げ」
風を切る音が、やがて遠ざかる。
今は気配もない空を仰ぐ。
ただ、ぽつりと水滴が落ち、頬を濡らした。
「片時雨」
子供たちが空を仰ぎ、「狐の嫁入り」と騒いでいる。
水田に落ちる雨粒、蛙が飛び込む波紋。
どちらも、同じ水環を描く。




