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外のざわめきと堂内の空気の緩み

 外のざわめきと堂内の空気の緩みが、ゆるやかに同調していた。


 そろり、忍び込むように。


 私はその時、気づくべきだったのかもしれない。


 夜気が無数の黒き糸のように伸び、やがてゆるりと混ざり込んでくることを。


 彼ら四人は堅香子の箱を囲み、顔を寄せ合って話している。


 それぞれが異なる表情を見せながら、言葉を交わしていた。


 男が指先で少女の鼻に、堅香子の粉をそっとつける。


 続いて若者にも、同じように粉をつけた。


 少女は両手を頭のあたりに立て、「コン」と声を上げる。


 今度は若者が狐の身振りを始めた。


 ほどなく二人は、相舞あいまいのように狐の身振りを繰り返す。


 黒き影、二つ、壁にじわりと滲む。


 いつの間にか、目が離せない。


 実は此岸しがんに舞い、虚は彼岸ひがんへ踊る。


 あわいの見境は、すでに覚束なかった。


 そこへ稚児が蝋燭の灯を携え、手に狐を作り、橙の影を壁に大きく重ねた。


 二人の相舞と三つの影が、ゆらゆらと揺れながら映し出される。


 蝋燭はいつしか狐火となり、灯皿の炎がその周囲を巡るように淡く揺らめく。


 三つの影は大小自在に姿を変え、ときに二重、三重影となって数を変える。


 今では実体の二人の人相も変わり、跳ね、踊る。


 少女の細い目は吊り上がり、若者の瞳は縦に長く裂け、光彩を放つ。


 外のざわめきが、堂内に響く。


 耳元に、蛙の湿った肌が張り付く感触。


 影狐はすでに壁を抜け出し、堂内を支配する獣影となっていた。


 村の男三人の目は焦点を失い、虚空を漂わせたまま、金縛りに囚われ、石仏のように動かずそこにいた。

 

 「神降ろし」


 か細く耳に届く姥様の「南無」の声だけが、辛うじて私の正気を保っていた。


 私を此岸に繋ぐ、見えぬ白き糸。


 その確かさだけを音に変え、糸を張るように伝え続ける。


 相舞は乱舞となり、影は魂を宿し、床に足をつける。


 わずかな時間が細く長く引き伸ばされ、いつとも知れぬ終わらぬ夜となる。


 突然、堂内のすべてを払うように、軽やかな二拍手が鳴る。


 ざわめきが一気に引いてゆき、獣影は立ち姿を消す。


 相舞は留拍子。


 少女と若者の二人から憑き物が落ちる。


 狐火は雲散霧消し、穏やかに橙色を揺らす。


 気がつけば、男が鳴らした二拍手。


 彼は最初から最後まで、変わらずにそこに座っていた。


 目を覚まし正気を取り戻した村の男たちは、慌てて銭の束がそこにあるかを確かめる。


 男はその様子を見て、誰も気がつかないほどの小さな笑みを浮かべる。


 姥様のしわぶきが一つ。


 橙色が、一つ、大きく揺れる。


 怪異は彼から生まれたのか、それとも彼の奥底で燻ぶり、形を変えて息づいているのか判然としない。


 その時になって初めて、背中に冷気が走っていたことを感じ、ひとつ身震いをする。


 恐怖と安堵、定まらず覚束ない。


 皆で挨拶し、立ち上がる。


 男は私に明朝の出発を告げ、私は朝食の用意を約束し、皆とともに堂を後にする。


 まだ覚め切らぬまま、足に力を溜め、ゆっくりと踏ん張る。


 背に汗が流れる。


 姥様が、ざわめきの黒き糸を断ち切るように、私たちを守りながら、殿しんがりを歩く。


 おとを外したのような経を唱えながら、それは無明のしるべとなり、笛のようにどこまでも響き渡っていった。







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