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「もしよければ、譲っていただけませんか」

 「もしよければ、譲っていただけませんか」


 それが、俺の提案だった。


 村にどれほどの助けになるのかは分からない。


 もしかすると、どこの村でも食事情は似たようなものかもしれない。


 けれど、今は縁あってこの村にいる。


 少しでも貢献できればと思った。


 俺は、乙名に片栗粉を買い取らせていただけませんかと申し出た。


 最初は俺の言葉を理解しきれなかったようだが、やがてその意味を察した色が彼の顔に浮かび始めた。


 しばらく沈黙ののち、乙名は「村の者と相談したい」と言い、老女とともに部屋を出ていった。


 善が問いかける。


 「堅香子の粉を手に入れて、どうするんだ?」


 俺は、ここでしか得られない貴重なものだということ、片栗粉があれば料理の幅が広がること、そして、なにより村の人々の助けになるかもしれないという考えを伝えた。


 善がさらに尋ねる。


 「また、パンのようなものが作れるのか?」


 小六と花里がその言葉に目を輝かせて、身を乗り出したが、俺は首を横に振った。


 美味しいものを求める彼らの「食わせろ」という無言の圧力に、思わず苦笑いがこぼれる。


 揺れる蝋燭の灯りの下、俺たちは乙名の返事を長い夜に待った。


 やがて足音が聞こえ、乙名、老女、そして三人の村の男たちが現れた。


 彼らは俺たちの前に揃って座り、乙名を中心にして深々と頭を下げた。


 一人の男が、竹を編んで仕立てた箱を乙名へと手渡す。


 乙名はそれを受け取り、俺の前へ差し出した。


 俺は乙名の了解を得て、蓋をゆっくりと開ける。


 箱の内側には何重にも和紙が貼られていて、そこには片栗粉が詰められていた。


 俺はそれに目を落とし、思いを巡らせる。


 短い間だけ紅紫こうしの花が山を彩り、花を散らして、鱗茎りんけいが次の命を蓄えてゆく。


 村人たちは、山の恩恵に感謝しながら、その小さな鱗茎から、わずかな片栗粉を得る。


 蝋燭のやわらかな灯りに照らされた箱の中には、およそ三キロの片栗粉。


 これだけの量を集めるために、どれほどの時間と手間がかかったのか。


 俺が箱を見つめるように、村人たちもまた、片栗粉の詰まったその箱をじっと見つめていた。


 俺は、背負ってきた竹かごから銭袋を取り出す。


 中には、まだ崩していない銭緡ぜにさしが一束、また一束。


 紐の通されたままの束を、二つ、そっと目の前に置いた。


 おそらく金の価値が分からない俺でも、過分だと思う。


 「これでよろしいでしょうか」


 俺のその言葉に、彼らはしばらく、口を開けたまま言葉が出なかった。


 やっと気づいたように、乙名が床に両手をついて深く頭を下げた。


 慌てて三人の男たちも、それに倣って頭を下げる。


 無事、取引は終わる。


 男たちの緊張と不安が解消されたようで、彼らは大きく息を吐き、安心した様子を見せる。


 老女はただ手を合わせ、枯れた声で唱え続ける。


 「南無」


 その声が蛙の鳴き声に重なり、部屋の中に響いている。


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