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春眠不覚暁

 春眠不覚暁 処処聞啼鳥   

 夜来風雨声 花落知多少   


 孟浩然もう こうねん


 春眠暁を覚えず、処々に啼鳥を聞く。

 夜来風雨の声、花落つること知る多少。



 義尚さんを見送ったあと、山門を吹き抜ける風には、しっとりとしたぬくもりが加わっていた。


 仰ぎ見ると、白く輝く太陽の下、鳶が悠然と空を舞っている。


 その上に白い雲が湧き上がり、やがて灰色に変わっていき、その縁には陰翳いんえいが差し始めた。


 夕方になると、空は墨を引いたように暗くなり、ときおり遠くで淡い閃光がきらめいた。


 夜には、寺全体が大粒の雨に殴りつけられ、風が荒々しく吹きすさんだ。


 境内の森はざわめき、俺たちの庵も嵐に揺さぶられ、板戸が軋んだ音を立てていた。


 閉ざされた暗い部屋の中で、皿に灯した灯芯が、そこだけぽつんと、かすかな明かりを放っていた。


 俺、小六、そして花里の三人は、何もできず、ただ身を寄せ合って座っていた。


 時々、体に響く雷の音を聞きながら、時間を持て余した俺は二人にこう言った。


 「雷様にへそを取られて食べられないように、お腹を守っておけ」


 小六は目を丸くして、「本当か! 雷様はへそを取って食べるのか」と驚き、花里は慌てて両手でお腹を押さえていた。


 そんな二人の様子がおかしくて、笑いをこらえながら真剣なふりをして、「ああ、本当だ。気をつけろよ」と話した。


 そのやり取りをきっかけに、俺は二人に物語を語ることになった。


 それは、かつてアメリカでジャックに借りて観た、日本昔話のアニメがもとになっている。


 俺の懐かしい想い出と忘れられない記憶。


 桃太郎や浦島太郎の話に、小六は主人公になったように夢中になった。


 こぶとり爺さんの話では、花里は、今度はお腹でなく両頬を手で挟んでいた。


 猿蟹合戦、雪女、小六と花里は聞き入り、ときには笑い、ときには怯えていた。


 ウサギとカメ、オオカミ少年、金の斧と銀の斧も語って聞かせた。


 いつの間にか、日本の昔話と西洋の寓話が混ざり合っていた。


 そうして長い夜、春の嵐は越えていった。


 明ける前には風が収まり、雨音も消えていた。


 俺たちはいつしか、うつらうつらと三人でかたまったまま眠っていた。


 やがて庵の戸をたたく音で目を覚まし、俺たちの前には、善が朝食の鍋を持って立っていた。


 入り口からは明るい光が、あふれるように射し込んでくる。


 庭側の並べられた板戸の隙間からも、日の光が差していた。


 俺は勢いよく、すべての板戸を開け放った。


 荒れ模様が過ぎ去り、洗い流された空気と澄んだ空が広がっている。


 俺は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 

 寝不足と緊張のせいか、瞼はまだ重い。


 肩と首のあたりを回してほぐしていると、細く伸びる笛のような鳴き声が聞こえた。


 声を追って見上げると、雲一つない青空に鳶が高く舞っていた。


 目を庭に移すと、いつもは掃き清められた枯山水に、昨夜の雨風で飛ばされた枝葉が散っている。


 時が止まったような庭の足元で、一枚の花弁が地面でゆらゆらと揺れていた。


 疲れた目をこすってよく見ると、それは花びらでなく蝶の羽で、蟻たちによって運ばれていく光景だった。


 もう、すでに彼らの一日は始まっていた。


 彼らの営みは、営々と流れるように、途切れることはないのだろう。


 蟻の葬列は続く。


 気が付けば、隣に立つ善が、蝶と蟻にそっと手を合わせていた。



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