瀑潭臥龍沈
瀑潭臥龍沈 常夜夢蘊心
雷響破雲起 風送醒龍心
権大僧正 義尚
轟く淵に龍は臥し、明けぬ夜に夢は積もる。
雷鳴轟き雲を裂き、疾風迅雷にて龍心覚める。
義尚と高弁の二人が、寿福寺から杉本寺への帰り道を歩いていた。
「惜しい」と、義尚の口から言葉が漏れる。
弟子の高弁を伴い、大路を歩いてゆく。
しばらく雨が降らなかったせいか、路は固く締まり、日に晒された乾いた土の匂いが、立ちのぼる。
「惜しい」と、再び義尚が呟く。
高弁は、周囲に人影がないことを確かめると、公式の場で用いる「権大僧正」ではなく、親しみを込めて名を呼んだ。
「義尚様。」
義尚が先ほど口にした「惜しい」という言葉の意味を、高弁は理解しかねた。
それを察した義尚は、ゆっくりと語り出す。
一陣の風が舞い、土埃を巻き上げる。
「今さら命が惜しいわけではない。ただ、今朝、善日と語らって、語り尽くせぬことが惜しいだけなのじゃ。」
容赦なく降り注ぐ光が、義尚の影を濃く描く。
「せめて、わしが遅く生まれるか、善日が早く生まれるかして、出会っておればと思うと、それが『惜しい』だけなのじゃ。」
義尚は照りつける春空を見上げ、言葉をつなげる。
「せめて、残された命の灯が消えぬうちにと叡山へ誘ったが、見事に断られた。」
語る義尚の表情からは、何も読み取れなかった。
「これも縁というもの。わしと善日には、今生では縁がなかったというだけのことよ。」
その姿は、高弁の目には、急に老いたように映った。
「しかし、善日は再会を約束してくれた。今は、それで良しとしようぞ。」
高弁は、そんな義尚の様子に元気づけるよう問いかける。
「来世では、善日を弟子にしますか、義尚様。」
その問いに、義尚は口元を歪めながら答える。
「いや、わしが善日の弟子になるかもしれん。もしかすると人ではなく、仏前の蝋燭に誘われる一匹の羽虫かもしれんし、善日の膳に盛られる一粒の飯かもしれん。それもまた仏縁。今は、順縁が結ばれることを、ただ祈るばかりじゃ。」
義尚の額には、うっすらと汗が滲んでいる。
高弁はその体を思いやり、少し休むことを勧める。
二人は、大路の商家の軒下で涼をとる。
日陰から空を見上げると、太陽が白く輝き、厚い雲が湧いている。
義尚はそれを見ながら呟く。
「熱い風は、冷たい風を呼び込み、やがて春の嵐となる。」
高弁が言葉を継ぐ。
「義尚様、それは……」
義尚は深く息を吸い込むと、雲間を仰ぎ見た。
ひとつ中啓を打ち、そして一気に詩心を吐く。
「雷鳴が轟き、風が吹き、光が雲を引き裂けば、龍は天に昇るは必定。」
高弁は無言のまま、義尚の横顔を見つめる。
「天災と戦災が続く乱世の世。龍が夢の中に眠ってはいられぬからのう。」
空をじっと仰ぐ義尚に、高弁は竹筒の水筒を差し出す。
義尚は、天候が変わりそうな空を眺めながら、喉を潤す。
その水筒から垂れた水が、乾いた土に染みをつくる。
高弁が目を落とすと、ひび割れた地肌に沿って蟻が列をなして這っていた。
彼らは、滴り落ちた水に寄ることもなく、ただ前を這う蟻の後を追う。
あるものは力強く、あるものはよろけながら、六本の肢を懸命に動かして進む。
その行列の先は、誰にもわからない。
高弁は軒下で縁した彼らに、そっと手を合わせる。




