和紙に包まれた朱色の椀
和紙に包まれた朱色の椀を、花里は大切そうに両手で抱えていた。
俺が「背負子の籠に入れておこうか」と声をかけると、彼女はそっと首を横に振り、「持って歩きたい」と答えた。
その後、俺たちは店を出て、参道でもある静かな若宮大路を進みながら、小町大路の薬店を目指した。
道すがら、花里はその包みに向かって、何かを呟いていた。
俺が振り返って「何を話しかけているのか?」と尋ねると、彼女は目を細めて微笑んだが、言葉は返ってこなかった。
俺はただ「いつまでも大切に使ってほしい」と伝えると、彼女は澄んだ笑顔で、大きく頷いてくれた。
薬店に入ると、前に来たときと同じように、良信さんは薬箪笥を背に、大きな机の前に座っていた。
俺がその前に立つと、すでに準備されていたらしく、素焼きの壺が机の上に置かれていた。
彼は中身の確認を促した。
壺を手元に引き寄せ、蓋をずらすと、中には一キログラムほどの砂糖が入っていた。
俺が満足そうに頷くと、良信さんも同じように頷き、壺の蓋を慣れた手つきで藁縄できっちりと閉めてくれた。
その作業の合間に、彼は今回の取引に感謝の言葉を述べ、蜂蜜を持ち込めば、いつでも砂糖と交換できると話してくれた。
取引を終え、俺たちは店を出る。
俺が一礼し、花里が笑顔で挨拶すると、良信さんも穏やかな笑みを返してくれた。
俺にとって、彼の笑顔を見るのは初めてのことだった。
そのまま三人で、春の陽気に包まれた小町大路を南へと歩く。
やがて、商店も民家もまばらになり、前方に海岸が見えてきた。
その海岸からは、人の手による石積みが海に向かって伸びていて、大小の船、さらには二本の帆柱を持つ大型船が停泊していた。
少し離れた浜辺にも石が積み上げられ、その脇に寄り添うように小屋が建てられている。
白い湯けむりが、隙間からふわりと漏れていた。
近づくと、初老の男が小屋の前に立っていたので、「この小屋は何か」と尋ねると、彼は「蒸し風呂だ」と教えてくれた。
俺は三日ほど入浴していなかったので、ぜひ入りたいと思い、二人にも声をかけた。
すると、小六は「俺は飯でも餅でもない、蒸されるのはごめんだ」とばかりに身を捩って断ってきた。
花里は女の子らしく恥ずかしがり、結局、俺一人が入ることになった。
俺は入浴料として銭を渡し、背負子の荷物はすべて小六に預けて、二人には先に帰ってもらうことにした。
男は「日は未だ高しゆえ、参り人もなく候ふ。まこと、心安く蒸し湯に入られませ」と言いながら、麻布一枚と薄い着物を手渡してくれた。
俺が「これは何か」と尋ねると、それは湯帷子だという。
これに着替えるらしい。
着替えを済ませると、小さな石榴口から、暗い蒸し風呂の室へと入った。
むっとした蒸気が喉を突き、濃い潮の匂いが鼻の奥まで届く。
目が慣れてくると、狭い室の中には筵が敷かれていて、その奥には、室の外から湯気がもうもうと送り込まれていた。
おそらく、外では大鍋で海水を沸騰させ、蒸気を発生させているのだろう。
暗がりの中、俺は筵の上に胡坐をかいて座った。
しばらくすると、じんわりと全身から汗が滲み出し、歩き疲れた体から、じわじわと疲労が抜けていくような気がした。
十分に汗を流し、室を出る。
男からは、海で汗を流し、建物の脇に備えられた真水の桶で体の潮を洗い落とすよう促された。
教えられた通り、最後の疲れを取り除くように、体を伸ばして海へと入った。
火照った体に冷たい海水が心地よく、心も、柔らかくほどけていくようだった。
それから、桶の真水を頭から浴びる。
べたついた潮がすっきりと洗い流され、ほどよい脱力感と爽快感が全身を包んだ。
小屋の軒下には長椅子があり、俺はそこへ腰を下ろして、鎌倉の海をぼんやりと眺めていた。




