稲田郷がどこにあるのか
稲田郷がどこにあるのか、はっきりとはわからない。
けれど、俺たちの暮らす安房国の北に位置する常陸国にあるという話だから、舟を使えば、きっと行けるはずだ。
ぜひ、訪れなければならない。
俺は、気に入った重兵衛さんの作った白い茶臼と、抹茶の入った茶壺を二つ購入した。
壺は素焼きで、掌に収まるほどの小ぶりな形をしている。
触れれば、指先にざらりとした感触が残った。
まだ茶臼で茶葉を挽いたこともなく、家には茶の木もない。
寿福寺にある茶の木からちょうど新芽が出ていたので、妙心さんにお願いして、挿し木用に新芽を分けてもらおうと考えた。
いつの日か、畑の一角に丸く刈り込まれた茶の木が育ち、そこで茶摘みをする日が訪れる。
摘み取った茶葉を、重兵衛さんの茶臼にのせて挽く。
想像するだけで、なんだか楽しくなる。
そんなことを考えながら、藤吉さんに寿福寺が発行した為替を一枚渡すと、彼は金額に驚いたようだった。
宋銭で釣り銭を支払えば、とんでもない重さになるというので、結局、お釣りは為替で受け取ることになった。
台の上で矢立を使って為替を書いている藤吉さんに、薬店の場所を尋ねると、通りの斜め向かいにあると教えてくれ、その店に案内し、紹介してくれるという。
茶舗を出て、賑わう通りを横断すると、頑丈な木格子が組まれた店が目の前に立っていた。
藤吉さんは顔なじみらしく、気軽に店に入っていく。
俺たちもその後ろに続くと、店内は草木を乾燥させたような独特の匂いで満ちていた。
それはどうやら、店の奥に座る男の背後にある薬箪笥から漂ってくるようだった。
藤吉さんは、その男を良信さんと紹介し、俺のことも、寿福寺の紹介状を携えた者として詳しく説明してくれた。
紹介が済むと、藤吉さんは俺たちに礼を述べ、一礼しつつ店をあとにした。
俺たちは去っていく彼を見送ったあと、店の奥に視線を移す。
そこには大きな机を前に正座する痩身の良信さん。
白い総髪がふわりと膨らみ、その風貌はまるで深山に棲む仙人のようだった。
効かない薬も、良信さんの手にかかれば、霊験あらたかに効くような気がする。
そんな良信さんが、「では、今回のご来店のご用件は何でしょうか」と尋ねた。
俺は背負子から蜂蜜の入った壺を取り出し、机の上に置き、買取をお願いする。
すると、良信さんは壺を持ち上げ、量を吟味したあと、机の下から小刀を取り出し、壺の蓋を締めた藁縄を素早く切って、中を覗き込んだ。
蜂蜜は一キロほど入っていると思う。
良信さんは目を細めて「ほうっ」と一言、その品質に感心している様子だった。
それから俺は、その蜂蜜と同じくらいの量の砂糖を購入できるか相談すると、彼は蜂蜜は大変貴重であるが、砂糖も輸入品ゆえに同じく貴重であると話し、砂糖と蜂蜜の値段対比は、時期にもよるが一対五ほどだと説明してくれた。
俺は懐から為替を取り出して机に置くと、良信さんは寿福寺からの為替二枚、藤吉さんからの為替、それから蜂蜜の壺を手元に引き寄せ、「これで砂糖を準備しましょう」と言ってくれた。
砂糖の引き渡しは、正確な量を計量するため後日になるが、それでよいかと確認された。
俺がそれを了承すると、彼はその場で預かり証を書いて手渡してくれた。




