朝粥は、妙心さんが
朝粥は、妙心さんが庵へ運んできてくれた。
鍋で煮た玄米粥には、麦や黍が混ぜられている。
副菜は大根の漬物。
妙心さん自らが器に取り分け、俺たちの前に差し出してくれた。
食事の間、妙心さんは何も語らず、静かに囲炉裏で湯を沸かし始める。
食べ終えると椀に白湯を注ぎ、それを飲んで朝食は終わった。
小六は食べ足りないのか、少し物足りなさそうな顔をしていた。
そんな様子の小六に、妙心さんは優しげな眼差しを向けていた。
俺はその妙心さんに、善がどうしているかを尋ねた。
善は夜明けとともに書庫から蔵書や経典を取り出し、熱心に読み始めるのだという。
分からない箇所があれば、賢光さんが読み解いてくれるらしい。
その話を聞いて安心した俺に、妙心さんは「今日は、どのように過ごされるのですか」と尋ねてきた。
俺は部屋の隅に置かれていた籠を引き寄せ、干し椎茸の入った麻袋を開けて見せた。
「今日はこれを、どこかで売りに行こうと思っています」
五つの袋に小分けされた干し椎茸は、一貫ほどの量がある。
妙心さんは籠の中の麻袋に目を留め、「それは全部、干し椎茸ですか」と問いかけた。
「そうです」と答えると、妙心さんはその量に驚いた様子だった。
しばし何かを思案するような素振りを見せたのち、少しためらいながらこう申し出た。
「その椎茸を、寺で引き取らせていただけませんか」
そして率直に、寺の食事に使いたいこと、さらに独自のルートで海外への輸出品としても取り扱えることを明かしてくれた。
買取価格についても、他と比べて遜色はないはずだと説明してくれた。
俺たちにとっては、願ってもないありがたい申し出だった。
「お買い上げいただき、ありがとうございます」
俺は少しおどけながら頭を下げた。
そんな俺に、妙心さんは上品な笑みを浮かべていた。
その後、俺は妙心さんに鎌倉の町の様子を尋ねた。
町には海から「六大路」と呼ばれる南北に走る幹線道路があり、その中心は若宮大路で、東側に並行して小町大路がある。
それから俺たちが歩いて寿福寺に辿り着いた道は、今大路だった。
俺が薬店や茶やその道具などを扱う茶舗はどこにあるのかと尋ねると、妙心さんは、商業の中心であらゆる商店が軒を連ねる小町大路を勧めてくれた。
俺たちは早速出発しようとしたが、妙心さんから少し待つよう言われた。
彼は干し椎茸の袋を持って庫裡の方へ戻り、しばらくして再び姿を現した。
戻ってきた妙心さんは、干し椎茸の代金として寿福寺が発行した為替を差し出した。
さらに街中で扱いやすいようにと、十枚に分けて発行してくれていた。
そして、俺の身元を寿福寺が保証する旨の書状を、賢光さんがしたためてくれた。
これで、わざわざ十円玉を取り出して説明する必要もなくなった。
彼らの心遣いには、ただただ感謝するばかりだ。
俺は背負子を背負い、小六と花里を連れて、勢いよく町へと繰り出した。
門前では、妙心さんが手を合わせ、俺たち三人にそっと祈りを添えて、優しく見送ってくれていた。
文献上、「小町大路」「今大路」という名称が確認されるのはともに戦国時代以降で、鎌倉時代の史料ではそれぞれ第四大路、第五大路といった番号呼称で記述されていました。




