第88話 久々の食卓
朝の光が窓から差し込み、フェンの瞼を柔らかく照らしていた。
その眩しさに意識を取り戻したフェンは、まだ朦朧とした頭で天井を見つめる。
遠くから聞こえてくる小鳥のさえずりが、いつもと変わらない朝の訪れを告げていた。
けれど、昨日までの朝とは、何もかもが違う。
まだ夢を見ているみたいだった。
昨日の決闘の興奮、勝利の余韻が未だに体の端々に残っている。
「そっか————勝ったんだ、僕……」
呟いた言葉は灰色の天井に吸い込まれ、深い静寂だけが部屋に満ちていく。
実感は全くと言っていいほど湧いてこなかった。
それでも、事実はただそこに存在する。
生徒序列第三位のサルヴァトールと決闘し、勝利した。
序列の低い者が高い者に勝利した場合、順位がそのまま入れ替わる。
つまり、ファンの今の生徒序列は、第三位。
フェンは悲願に向け、大きな一歩を踏み出したのだった。
*
「フェン————起きたのか」
「……」
顔を洗って居間に向かうと、父が座っていた。
普段なら決して足を向けることのない場所。朝食など摂らずに、さっさと家を出ていた。
しかし今朝は、昨日の勝利の余韻か何かが影響したのか、気まぐれで居間に来てみたくなったのだ。
「朝ごはん、食べてく……?」
「ああ……」
母の言葉に短く応え、フェンは重たい空気の中、静かに椅子に腰を下ろす。
三人分の食器が並ぶテーブルの上に、どこか歪な空気が澱のように溜まっていく。
フェンはすぐに、来るんじゃなかったと後悔した。
「……学校から連絡があった。生徒序列が第三位になったんだってな。それは本当なのか?」
対面に座る父の、どこか緊張した声音。
この話題になることは、正直、予想していた。
フェンは無愛想な表情のまま、真実を告げる。
「本当だ」
母が小さな悲鳴のように息を呑み、手で口を覆う。
父もまた、驚きに目を見開いていた。
どうせこの両親のことだ。
Aクラスどころか、生徒序列のトップ層など、雲の上の存在だと高を括っていたに違いない。
「知らなかった……お前がそんなに頑張っていたなんて……そんな風には見えなかった」
知らないだと?
ふざけたことを言うな。
あんたらが見ようとしなかっただけだ。
僕がなんのために、ここまで生徒序列を上げたか、あんた達は何も知らないくせに————
フェンの心のうちに、苛つきが溜まっていく。
「お前の学費が免除されて、家計も助かっている。このまま第3位をキープすれば、この家も安泰————」
「あんた達のために頑張ったんじゃない!」
テーブルを叩きつける音が、静寂を引き裂く。
父のその言葉が、フェンの内に溜まっていた憤怒を簡単に爆発させた。
この家のために努力したという誤解だけは、絶対に許せなかった。
「息子の成績が良くなった途端これか!? 僕達はあんた達の道具じゃないぞ! 昔だって————」
昔だって、カナに負担をかけて使い潰した。
あんた達がいなければ、愛する妹はあんな病気にならなかったかもしれないのに。
僕がここまで必死になってきたのは、地獄に堕とされた妹を救い上げるためだ。
断じて、この家のためなどではない。
「すまなかった……」
怒りの言葉を全て吐き出そうとした矢先、父は深々と頭を垂れた。
薄くなった髪の毛に刻まれた年月の重みを目にして、フェンの怒りは不意に萎んでいく。
これ以上、こんなところにいられない。
そのまま黙って席を立とうとした背中を、母の声が引き留める。
「朝ご飯出来たから……食べていって」
目の前に差し出されたベーコンエッグを前に、フェンは深いため息をつきながら再び腰を下ろした。
母も加わり、何年ぶりかも定かでない朝の食卓。
沈黙だけが、三人の間に横たわる深い溝を際立たせていた。
「フェン、お前の実力を疑うわけじゃない……だから気を悪くしないでほしいが————」
父の歯切れの悪い言葉に、フェンの背筋が凍る。
この後に及んでまた何か口を出すつもりか。
やっと落ち着きかけた食卓に、再び不穏な空気が忍び寄ってくる。
反論の言葉を口にしようとした瞬間、父の次の言葉がフェンの思考を凍りつかせた。
「何か、怪しい商人と関わったりはしてないだろうな?」
フェンの食事の手が止まる。
商人って……まさか、あの魔女のことか……?
「最近、魔道具商の間で良くない噂が流れてる。うちの商売がうまくいってないのも、そいつらが市場を荒らしているのが原因だ————これはあくまで噂だが、魔法を不当に強化できる道具を売っているとも聞く。そんなものがあるとは到底思えないが……本当に知らないんだな?」
魔法を不当に強化できる道具————
それが魔法煙草のことを指しているのを、察するのは難しくなかった。
それは違うと言い返したかったが、それはできない。
魔法煙草という存在が後ろめたいものだということは、自分でも分かっていたのだ。
「……知らないね」
フェンは嘘をついた。
嘘の言葉は、どこか空虚に響き、声には微かな揺らぎが含まれていた。
その動揺を隠せないほどに、フェンの心は乱れていた。
「そうか、ならいいんだが」
父はそれ以上を追及しなかった。
その信頼が、かえってフェンの胸に重く伸し掛かる。
あの魔女達は本当に闇の商人なのか。
自分が使っている魔法煙草は、学園の禁忌に触れる忌まわしき道具なのか。
疑問が次々と湧き上がってくが、フェンの中で答えはもう決まっていた。
たとえそれが禁忌の道具だとしても、魔法煙草を手放すわけにはいかない。
『ロード・オブ・ウィザード』の称号を手に入れ、妹を救うためには、それが必要不可欠なのだから————
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