第73話 シーナの大作戦
『クラロワ・カルテル』に対し、反乱を企てる新興ギャング『レイドス』
ギャング達が待機している扉が三回、規則正しくノックされた。
「来たな————入れ」
ギャングのボスは入室の許可を出す。
皆、カルテルの頭目が現れるのを待ち構えていた。
しかし、予想に反して聞こえてきたのは、清らかな鈴を転がしたような女性の声。
「失礼します」
扉が静かに開き、現れたのはメイドであった。
華やかなエプロンドレスは、この薄汚れた部屋で異質な輝きを放っていた。
スカートの裾には繊細なレースが施され、その動きに合わせて優雅に揺れている。
白銀の髪は月光のように煌めき、完璧な姿勢で立つ彼女の周りには、まるで別世界から来たかのようなの空気が漂っていた。
「なんだてめえ? ルームサービスを呼んだ覚えはねえぞ」
ギャングのボスが威嚇する。
周りの手下達も、本能的に鋭い視線を投げかけていた。
しかし、そんな殺気立った空気の中でも、彼女は少しも動じる様子を見せない。
むしろ、まるでホテルのロビーにいるかのように優雅に一礼する。
「私は『クラロワ・カルテル』のボスの秘書を務めております。皆様にはお部屋の案内をさせていただきます」
その言葉に、ギャング達は思わず顔を見合わせ、首を傾げた。
当然の反応だろう。
メキシコ最大の麻薬カルテルが、まるで高級ホテルから抜け出してきたような完璧なメイドを秘書として雇っているなど、誰も想像だにしていなかった。
「妙な趣味を持ってやがるな————まあ、今からボスに会わせてくれるってんなら問題はねえ」
ギャングのボスは立ち上がり、手下を連れて部屋の外に出た。
そして、「こちらです」と促すメイドの後についていく。
*
ここまでは予定通りだ。
あのまま事務所の待合室に留まっていれば、別の誰かが呼びに来てしまい、パブロの元に連れていってしまう。
強引にでも場所を変える必要があったのだ。
問題は————ここからどうするか。
シーナの使命は、このギャング達をパブロに会わせないようにすることだ。
こいつらはパブロの暗殺をしようとしている
それを回避するには、チャンスを作らせないようにすればいい。
メイド服の下で手に滲む汗。
かつてないほどの緊張感だ。
まるで後頭部に銃口を突きつけられているような、重苦しいプレッシャーが背中を這い上がる。
だが、いくら緊張しても、いくら怖くても、これだけはやり遂げなければならない。
賢者様の役に立つために、私がパブロさんを守らないと————
胸の内で渦巻く不安と決意を、完璧なメイドの仮面の下に隠しながら、シーナは一行を薄暗い廊下の奥へと導いていく。
蛍光灯が不規則に明滅する通路の先には、彼女が事前に下見をしておいた部屋があった。
「こちらにお入りください」
声音に一切の揺らぎを見せず、シーナは扉を開く。
ギャング達は、促されるままに倉庫内に足を踏み入れた。
しかし、その部屋は倉庫。
埃っぽい空気が漂う室内には、商談どころか、普通の会話をするための最低限の設備すらない。
積み上げられた木箱と、錆びついた金属の棚が、無機質な影を床に落としているだけだった。
今から商談を行うにはふさわしくない。
もちろん、そこにパブロがいるわけでもなかった。
「おい、クソメイド……こいつはどういうことだ?」
ギャングのボスの声には、明らかな殺気が含まれていた。
その眼光は、獲物を狙う猛獣のように鋭く、シーナを射抜かんばかりの威圧感を放っている。
シーナは、できる限り誠実さを滲ませた仕草で深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。先程ボスから別件の取引が長引き、こちらに戻られないとの連絡がありました。したがって、本日のお取引はまた後日にさせていただきたく存じます」
「ああ!?」
突如として、粗暴な力がシーナの胸元を掴んだ。
ギャングの手下の一人が、彼女を乱暴に壁へと叩きつける。コンクリートの冷たさが、制服を通して背中に伝わってきた。
「散々待たせた挙句、こんなところに押し込んでよう……ボスがいませんでしたはねえだろ。ガキの約束じゃねえんだぞ!?」
「……!」
全方向から注がれる鋭利な視線が、まるで無数の刃物のようにシーナを切り刻んでいく。
壁に押しつけられる物理的な苦痛と、命の危険を感じる本能的な恐怖が、彼女の全身を震わせようとしていた。
でも、ここで弱さを見せちゃいけない。
私は今パブロさんの秘書として————組織の人間としてギャングと相対しているのだ。
ここで日和るような人間は、この組織にはいない。
涙腺が熱くなるのを必死に抑え込みながら、シーナは氷のような冷静さを纏って応対を続けた。
「……ボスは、あなた達との取引に前向きでいらしゃいます。勿論、本日お取引できなかった埋め合わせも……するつもりでございます」
喉元に迫る恐怖を押し殺し、震える声を必死に抑え込みながら、シーナは言葉を紡ぐ。
それは不気味ささえも感じさせるほどの胆力で、胸ぐらを掴んでいたギャングの男が思わず手を放し、一歩後ずさってしまうほどだった。
「ほう————どう埋め合わせするってんだ?」
少し興味を持ったのか、ギャングのボスがシーナに問う。
男の拘束から解放されたシーナは、裾を払いながら姿勢を正し、話を続けた。
「メキシコからのヘロインルート————その密輸品には少し色をつけましょう。マリファナやコカインといった別の種類の麻薬も含めます」
明らかにギャングの目つきが変わる。
薬物周りの知識は、目を通してきた書類に書いてあったものだ。
高額な取引が行われている商品のため、ギャングなら欲しいはず。
「そして————あなたたちが真に求めているのは、ヤクではありませんよね?」
シーナは優雅に、さながら一流のメイドのように手を差し伸べる。
「南米からの密輸品に————銃もお付けしましょう」
「……!?」
なぜバレた、と言わんばかりの目の見開きようだった。
シーナの口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
「拳銃、機関銃、そして各種弾薬————おまけに手榴弾等の爆弾もつけましょう。いい取引でしょう?」
今回の取引には含まれていない商品。
しかし、このギャングが何を求めているのか、これまで得た情報を示し合わせれば、自然と答えにたどり着く。
ギャング達は武力による勢力拡大を図っているいるが、最近はそれも滞っている。
その理由は、暴力に打って出るための、銃火器が足りないからだ。
ギャング『レイドス』は、勢力を拡大するための資金、資材を使い果たし、今は活動再開のための資金をかき集めている状態。
だからこそ、銃の取引は願ってもない話のはず————
全て、シーナがこれまでの雑用を経て、得た情報から導きだしたことだ。
「ど、どうするよボス……まじで悪くねえ話だぞ」
「そうだぜ! ボスの案よりか————いやボスのやつもいいっすけど、こっちの方が確実っすよ!」
手下達は、明らかにシーナの提案に乗り気である。
無論、シーナにそんな取引をする権限などあるわけがない。
口から出まかせだった。
だが、今日のこの時間さえ乗り越えれば、なんとかなる。
パブロさんを説得する時間さえ作れれば————
ギャングがシーナに向ける視線に段々と敵意が無くなってくる。
しかし、その中で未だ難しい顔をし続けている男がいた。
「————ちっ、なんか引っかかるな。どう考えても話がうますぎる」
ボスは顎をさすりながら、鋭い目つきでシーナを観察していた。
シーナの額に、細かな汗が浮かび始める。
「別に取引バックれられること自体、ない話じゃねえ。というか、組織のデカさで言えばこっちの方が圧倒的に下だし、そういうこともあるだろうくらいに思っていた————だが、たかがバックれでこんなにも上手い話が上乗せされりゃあ、警戒するなって方が無理な話だぜ」
その言葉に、シーナの心臓が凍りついた。
この男————さっきとは違う……!
考えが足りない男がと思っていたのに、頭が回っている。
「おい女、この話をボスの口から直接聞きてえ。電話繋げ」
「!!」
ボスの要求が、シーナの背筋を氷柱のように貫く。
ただの雑用であるシーナにけいたいでんわなどという物は、当然持たされていない。
「も、申し訳ありません。ただいま電話は持ち合わせていないもので————」
「秘書なのにかぁ!? じゃあ、この事務所にいる誰でもいい、誰か呼んできてボスに繋げやがれ!」
追い詰められた獣のように、シーナの呼吸が乱れ始める。
独断で動いている雑用係の彼女に、他の構成員を動かせるわけがない。
全ては砂の城のように、もろくも崩壊しようとしていた。
「てめえ……何考えてやがんだ?」
ボスの目が、ゆっくりと殺気を帯びていく。
周囲の手下達も、まるで餌食を狙う狼の群れのように、シーナを取り囲んでいった。
先ほどまでの期待は消え失せ、疑惑と殺意が渦巻く視線だけが残された。
もう無理————
「————っ!」
「おい待てゴラァ!」
咄嗟に、シーナは倉庫の出口から飛び出し、思い切りドアを閉める。
心臓が早鐘を打つ中、ドアを体重を乗せて押さえ込んだ。
この部屋に閉じこめてしまえ。
そして、誰か助けを————
何か塞ぐものを探そうとした瞬間————破裂音がドアの向こうから聞こえてきた。
「きゃあっ!」
衝撃波がドアを通じてシーナの体を襲い、彼女は後ろに倒れ込む。
埃まみれの床に叩きつけられた瞬間、ドアが勢いよく開かれ、そこには銃を構えたギャング達の姿があった。
「舐めた真似しやがって……あの世で悪魔のナニでもしゃぶってやがれ」
ギャング達にもう容赦はない。
冷たい鋼鉄の銃口が、シーナの命を狙って向けられる。
相手が女だろうと平気で銃を向け、引き金が無慈悲に絞られる————
そんな————
ここで終わってしまうのか。
私なりに知恵を絞ったのに、届かなかった————
嫌だ————
終わりたくない————
その時だった。
ドンッ。
銃声が、シーナの後方で響き渡った。
「!?」
目の前で死を突きつけられていたシーナが、反射的に顔を上げる。
銃を構えていたはずのギャングの手下が、背中からバタンと倒れていた。
咄嗟に振り返ったそこにいたのは————
「————ボス!!」
そこにいたのは、『クラロワ・カルテル』のボス、パブロだった。
黄土色の背広が、夕暮れの光を受けて妖しく輝いている。
その背後には、まるで死神の軍団のように、黒服の部下たちが控えていた。
シーナは、パブロと目があった瞬間、ほぼ条件反射で立ち上がる。
「あ、あの! どうしてここに————というか、ごめんなさい! 私、あの、こんなつもりじゃ————」
言葉が支離滅裂になる。
質問か、謝罪か、説明か、頭の中は真っ白になっていた。
そんなシーナの混乱を制するように、パブロは突如として彼女の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「ひいっ!」
「……」
怒りに満ちた制裁を予感し、身を縮めるシーナ。
だが————パブロは無言のまま、彼女の胸元に手を伸ばし、何かを取り外した。
「————スキップ、ちゃんと録音できてるな?」
「ああ、感度良好だぜ。ボス」
後ろにいた黒人の男が、イヤホンを調整しながら応える。
録音————ってまさか!
シーナの脳裏に閃光が走った。
「ボ、ボス————ずっと聴いてた……?」
その小さい装置を通じて、ずっとシーナの周辺の音を聞いていた?
ギャングの思惑も、全て筒抜けだった?
いつから————?
まさか、掃除の指示を出した時に、胸ぐらを掴まれたあの瞬間で————
「な、何すんだボケェ! てめえ誰だ!?」
ギャングのボスの声が、パニックと怒りで震えている。
シーナを追い詰めていた時の冷静さは、完全に崩れ去っていた。
「どう落とし前つけてくれるんだぁ!? 今すぐ全員ぶっ殺してやらあ!」
「————若造、『Las paredes oyen』、どういう意味か分かるか?」
「ああ!? 意味わかんねえこと————」
その言葉は、永遠に完結することはなかった。
パブロの銃から放たれた一発の弾丸が、若きギャングのボスの額に赤い花を咲かせたからだ。
「答えはファッキンクソ野郎だ。地獄の悪魔にケツでも掘られてきやがれ馬鹿野郎が」
その光景を目の当たりにしながら、シーナの胸の中で、熱い感情が大きく膨らんでいった。
パブロの後ろ姿に映る圧倒的な存在感。
それは、伝説の賢者であり『ラウェルナ』のボス————アイスと、まさに同質の威厳を放っていた。
かっこいい————
まさしくあの姿は————
賢者様と同じだ————
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