第132話 普通の生活
「ごめんな……気持ち悪いよな……」
ああ————
またこの夢だ。
暗闇の中で揺らめく幻のように、私の前で一人の男が震える声で謝り続けている。
その肩は波のように上下し、嗚咽を押し殺しながら、彼は私の前に膝をつき、頭を垂れていた。
彼は————私のお父さんだ。
「どうして……こんなことになったんだろうな……」
彼の右手は、血が滲むのではないかと思うほどに固い拳を作っていた。
一方の左手には、月明かりにかすかに輝く透明な瓶を握りしめている。
部屋の薄暗がりの中、瓶の中身は朧げにしか見えない。
「頼む……いつでもいい……お前が耐えられなくなったら————」
お父さんは震える手を私に向かって伸ばす。
それは救いを求めるような、許しを乞うような、何かを切望する仕草だった。
指先は月明かりに照らされ、かすかに光を帯びていた。
そして、絶望に満ちた声で、彼は私に告げるのだった。
「俺を……殺してくれ———————」
*
「はっ!!」
私は息を荒げて目を覚ました。
冷たい寝汗が背中を伝い、服がまるで第二の皮膚のように体に張り付いている。
脈は早鐘のように打ち、息は乱れ、喉は砂を飲み込んだように渇いていた。
慌てて辺りを見渡すと、そこはいつもの木造の部屋だった。
天井のひび割れも、窓枠のかすかな歪みも、すべて見慣れたものばかり。
私————マーガレットに与えられた王国の仮住まいだ。
「……もうこんな時間だ」
壁に掛けられた古ぼけた時計の針は、すでに13時を指していた。
昨夜は明け方の4時頃まで仕事をしていたが、それにしても寝過ぎだ。
太陽はとうに高く昇り、その光が窓から差し込んで部屋の隅々まで照らしていた。
こめかみをズキズキと脈打つ頭痛に顔をしかめながら、マーガレットはゆっくりとベッドから体を起こす。
柔らかなリネンのシーツが身体から滑り落ち、冷たい空気が肌を撫でる。
そして、まるで儀式のように、いつもの行動を淡々と始めるのだった。
いつものように歯を磨く。
いつものように顔を洗う。
いつものように寝癖を直す。
いつものように、いつものように————
この狂った世界の中でさえ、私は日常という幻影を必死に掴もうとしていた。
自分がこれほど異常な状況に置かれているというのに、どうしても普通の人間のように生きようとしてしまう。
それは逃避なのか、それとも生き延びるための本能なのか。
「————また夜になったら、歯を磨き直すのにね……」
今の身支度は、ただの人間としての日常的な営み。
しかし夜が訪れれば、私は「商品」として、この体を清めなければならない。
冷たい水で肌を洗い、香水をつけ、誰かのモノになるための準備をするのだ。
そう考えると、今の日常的な行動が、なんとも皮肉で空虚なものに思えてくる。
まるで砂の城を作るように、すぐに波に消される運命のものを、それでも必死に形作っているような気分だった。
「————ご飯……買いに行かないと……」
そんな虚しさを感じながらも、腹が減る。
私は、自分を普通の人間として扱うことを、どうしてもやめられなかった。
読んでくださりありがとうございます。
今作を読んで、なんかおもろそうやんと少しでも思ってくれたら↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!




