家族愛
世界は愛で満ちていると誰かが言った。
そしてその愛と言うのは恋愛、我愛、親愛、遺愛と様々な種類があるらしい。
――では、私のこの気持ちは何なの?
――友愛? 純愛? それとも忠愛?
――いいえ、この気持ちは、憎愛よ。
「ねぇ? 貴方?」
赤い液体の滴る包丁片手に、女は言った。眼下に広がるのは、まさに愛の世界。
「愛してるわ。愛してる。愛しているのよ。世界で一番……愛していたのに!」
響み、帆を涙が伝う。
それはやがて顎へと至り、滴って、真っ赤な水溜りを微かに濁した。
眼下に広がるのは、やはり愛の世界だ。
女と同じ指輪を嵌めた男と、知らない女がそこで寝そべっていた。
さもその女は男を信頼していたかのように、安心に満ちた表情をして眠っている。
男も似た様なモノだ。女に見せた事の無い幸せそうな表情で眠っていた。
「これが、愛ですって? 一緒に幸せになろうですって? ふざけないで」
女が女を蹴った。真っ赤な水滴が跳ね上がって、純白の壁紙にぽつりぽつりと染みの列を描く。
――私から夫を奪った売女。蟻の様に、知らない内に住み着いていたわけ?
包丁を女に向かって投擲し、左手薬指に深く突き刺さる。切断には至らない。
ゆっくりと近づくと、結婚式の時に入場曲として聞いた曲を口ずさみ、男の指輪を皮膚を巻き込みながら強引に外して、男と女の左手薬指に切り傷の指輪を作った。
「あはははは。これで満足? 満足? 満足よね? ねえ!? 何か言いなさいよっ!」
女は再び女に包丁を投げつける。今度は腹部に深く突き刺さった。
「子供が欲しいですって? ああ、もう出来ていたのかしら? ふふっ、はは」
笑いながら女は右手で自身の腹を撫で、胸を触って、唇に触れる。そして突然座り込んだ。
「こんなんだからいけないのよね。こんな女だから、あの人は離れていったんだわ……」
宛ら子供の様に真紅の水溜りを弄ぶ。
指で円の模様を描き、それを縦に切る。
笑いながら涙で濁して、何度も何度も、一度前よりも更に激しく円を切る。
「あはは、はは。うふふ、ふふふ」
ゆらりと立ち上がって、
「もう、いいや」
そう言い残すと、自身の胸に深く包丁を差し込んだ。
女が深く永い眠りについても尚、夫とその女が似た顔立ちをしているという事には気付かなかった。