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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

川霧

作者: 長井カツヤ
掲載日:2023/04/18

 同心の坂東太郎は、腕の立つ剣士だ。

 

 ある強い思いを胸に、利根川の河川敷にやって来た。



 5分で読める時代小説です。

 

 街道をはずれ、近くの集落からのどかな田舎道を歩くこと半里。土地勘はないが自然と足が向き、やがて出くわした小高い土手を上がると景色は一変した。

 目の前には豊かな水を湛え、利根川が悠然と横たわっている。対岸は遠く、薄いもやが舞っておりはっきりとは見えない。その上空高くは、二匹の大鷲が居を固めている。

 坂東太郎ばんどうたろうは、途方もない大河にたちまち気を飲まれてしまった。ありのままの大自然に畏敬を抱き、それは初めて海を見たときの感動にも似ている。

 兄妹で潮干狩りに出掛け、まだ幼い妹の手を引いて歩いた光景がふと脳裏によみがえってきた。美しい記憶はあまりにも儚く、その憧憬の情は胸を離れることはない。


 感傷から抜け出し、坂東は頭を切り替えた。土手を上流に向かって歩き、必ずあるであろう道筋を探した。

 土手下は人の背丈を越える立派なあしが茂っている。葦は川岸への侵入を阻む天然の防柵だった。だが意地でも押し通る坂東の執念が、ぽっかりとくり抜かれた秘密の入口を探し当てた。通路の穴は作られて間もない。踏み固められた足跡を見るに、人の出入りがあるのは明らかである。

 確信めいた閃きに導かれ、坂東は上流のこの辺りに狙いをつけていた。


 刻一刻と心臓の鼓動が早くなっていく。坂東は羽織の前下がりに手を置いた。焦りと緊張を鎮めながら、もう何度も手のひらの汗を拭っている。


 山からの冷たい風が吹き渡り、一斉に葦の群生が騒ぎ立つ。


 坂東は剣の腕を買われ同心に抜擢されていた。しかし刀を抜く機会などそうそうあるものではない。いまは専ら庶務に精を出す日々である。腑抜けていく自分に忸怩たる思いはあったが、天下泰平こそ人の幸せ。異を差し挟むつもりはない。野蛮な時代はもう過ぎたのだ。


 だが、しかし──

 

 達人の勘を取り戻し、もう一度修羅になる時がやってきた。戦乱の世を、剣の腕一つで生きてきた矜持もある

 坂東は目を閉じ精神統一をはかった。風に棚引く葦の擦れる音に耳を傾け、武芸で培った五感を研ぎ澄ます。水辺に広がる大自然が、いくさに明け暮れた冷酷な野性を呼び覚ました。

 坂東は眉宇びうに決意をみなぎらせ、刀を握りしめた。そして脇目も振らず葦の洞穴を駆け出して行った。


 ──やはりここか、睨んだ通りだ。


 坂東は草むらに身を隠し動きを探った。およそ二十間先、河川敷の畑には鍬を使って働く人影がある。

 収穫も遠くない。色鮮やかな花をつけている。坂東はその花に憎悪した。肉体が燃えあがったように熱くなり、荒ぶる感情を抑えようと歯噛みした。


 三人いるが、畑の奥には粗末な小屋もみえる。 

 坂東は一味の顔ぶれを把握しているわけではなかった。暫くここで様子をみようとして、違う、俺は索敵に来たわけではない、とすぐにその考えを打ち消した。身命を賭してでも残らず斬り捨てるつもりで赴いたのだ。多ければそれはむしろ好都合。ここですべてケリがつく。揺るぎない決意を自分に課した。

 坂東は頭の笠をとり、羽織を脱いだ。懐からたすきを出し、からだに巻いて袖を絞った。前屈したまま足を忍ばせながら接近し、刀の鍔に指をかけて音もなく鯉口を切った。


 ──志保、見ていてくれ。兄はゆくぞ。


 意を決して坂東が突進したその時、かまびすしい鳴子の音が響き渡った。迂闊にも坂東の足は、張り巡らされていた警報の網を踏み抜いてしまった。

 だがそれでも坂東は動じない。大股に畑を飛び見張りを斬った。それは刀を抜くことも許さない白刃の一閃だった。

 他の二人は悲鳴をあげ散り散りに逃げ、坂東は追走しようとしたが耳をつきさす怒号に足を止めた。


「貴様ァー、何者じゃー!」


 言うや早く、ごろつき風情の野武士が襲いかかってくる。凶悪な武器を手に幾人もの男たちが小屋から飛び出してきた。

 坂東は落ち着いて刀を構えた。多勢を前に無駄な動きはない。相手の攻撃を見極め寸前で躱すと、素早く踏み込んで喉を突き刺した。刀で払えば二の太刀で確実に致命傷を与える。動きは俊敏なうえ、唸る剣は尺で計ったように人体の急所を捉えていた。

 坂東は一心不乱に刀を振るった。野武士は抵抗の手段を持たず一人、また一人と斬り倒されていき、足元のけしの花はみるみる血で染まっていった。


 妹の志保は、銚子沖に注ぐ河口付近で無惨な姿で見つかった。忽然と消息を絶ってから一年後のことである。調べるうち着物についていた花弁が手がかりとなった。妹はアヘン漬けにされ凌辱を受けた挙げ句、突然の嵐に遇って水かさが増した濁流の餌食となり命を落としたのだ。坂東はそう検分を定めた。

 容赦ない復讐のやいばは悪党を一掃し、最後の怨敵おんてきを斬り伏せたところで、さすがの坂東も疲れをみせた。肩で息をしている。

 やがて点々と転がる男たちの呻き声も途絶え、立ち回りから一転して辺りは静まりかえった。ごうと近くを流れる川の水音しか聴こえない。


 日の光が川波に反射し、まぶしく坂東の顔を照らした。逆光の中に黒い人影が飛び込んできた。脇腹に鋭い痛みが走り、たまらず坂東は膝をついた。


「ぐう……うっ」


 坂東は不覚をとった。敵が一人岩陰に隠れていた。胴をざっくりとやられ、足もとには血溜まりが拡がっていく。それでも天性の反射神経が無ければ、腹の臓物をまき散らしていただろう。


「よくも俺のかわいい子分たちをやってくれたな。このまま生きて帰れると思うなよ」


 顔中髭を生やし、獰猛な虎のような顔つきをした野武士だった。右手には小太刀を提げ、左手は欠損しているのか鉤爪が仕込まれている。


「お前が首領か、妹をかどわかしたのはお前か?!」


「知るか、ここには十人の女たちが居たんだ」


「おのれ、外道!」


 坂東は激情に駆られ立ち上がった。上段に高く構えた刀が、男の頭に斬り下ろされる。しかしその渾身の一振りは、巧みに得物を交差した男の頭上で防がれた。

 斬り結んだまま両者の押し合いは均衡を保った。互角を呈している。──と思われた次の瞬間、男の懐から短刀が伸びてきた。意表を突かれ、坂東は首に深い傷を負った。


 ──しまった、隻腕は見せかけか!


 そう気付いたところで手遅れだった。頸動脈から鮮血がほとばしる。坂東は刀を撃ち込んだままぐらりとよろめき、首領は短刀を振り回し畳み掛けた。


「どうだ食らえ! もうお前は終わりだーっ!」


 坂東の全身を襤褸ぼろのように斬り刻んだ。


 血達磨になりながら、それでも坂東の眼は死んでいなかった。足を踏ん張り、引き下がる気配を見せず刀を握り締めている。正面で剣を交錯したまま、腕を斬られ胸を突かれても、怯まず食い下がっている。

 嵐のような斬撃が来る。それでもこのまま逃さぬよう坂東は必死に堪えていた。首に致命傷を負ってしまった。刀を引き、体勢を立て直せば俺に勝機はない。倒す機会を失う──。坂東はこの攻防に懸けるしかなかった。

 二人の組み合う刀剣は力比べによって小刻みに震えていた。坂東は命を省みず、ただひたすら不屈の闘志を己の刀剣に注ぎ立ち向かっている。その気迫により坂東の刀は少しずつ動きを進めていた。

 信じられないといった表情で、首領は切り刻むのをやめた。短刀は投げ捨て、押し返そうと腕を振り向けた。

 絶対に仕留める──。坂東は持てる最後の力を振り絞った。全身から血を噴き出し、体中の骨という骨が悲鳴を上げている。

 ──ぐうううっ!

 鬼気迫る捨て身の力技に首領は圧倒された。耐えきれず遂に刀身が額に届いた。その冷たい感触に首領は青ざめた。

「よっ、よせ……おいっ、や、やめろおー!」

 かまわず坂東は心の中で念じた。

 ──押し斬ってやる!

 入魂の一刀は、真っ二つに首領の脳天を撃ち砕いた。

 

 坂東は物陰に潜む視線を感じていた。逃げ出した一人だろう。こちらにやって来る。だが血の海に倒れたまま、坂東は刀を握る力すら残っていない。もう目もほとんど見えなくなっていた。





 村人は、川のなかあいまで来て舟をとめた。


 聞けば、命を脅されアヘンの栽培を余儀なくされていた近くの集落に住む漁師だという。誤って斬らず、坂東は同心としての面目が保てたことに心を休めた。


 それから、頼む、川に葬ってくれ、と言い残し坂東は息を引き取った。


 村人は坂東の亡骸を水の中に沈めた。

 ふと見渡すと、時季にない揺曳な霞が舟を取り巻いている。その川霧はいつまでも晴れない。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 使われている言葉や描写が時代劇らしくて、読んでて楽しかったです。 [一言] 他の作品も読んでみて「ちゃんと小説書ける人だ!」と思いました。一方で、こういった文章を書ける人が、可愛いキャラク…
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