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短編小説(異世界恋愛)

恋を知らない聖女は婚約者からの溺愛には気づけない

作者: 三羽高明

「ハインツさん、何故そんなに私を見るのですか?」


 教会の調合室で水薬を作りながら、私は向かいの席に座っている婚約者に声をかけた。


「君に見とれていたんだよ、アンネ」

「手際がいいということですか?」


 鍋をかき混ぜながら、私は首をかしげた。


「でも、私よりもお薬を作るのが上手い人はたくさんいますよ。それに……」


 私は長机や薬品棚が並んだ室内を見回す。


「ハインツさんはよく教会に遊びに来てくださいますけど、何が楽しいのですか? いつも何をするでもなく、私の様子をニコニコしながら眺めているだけですし……」


「アンネってば相変わらずね!」


 近くから声がして振り向くと、私たちの会話が聞こえていたらしい同僚の聖女たちが肩を竦めていた。


「好きな人とはいつも一緒にいたいもんなのよ」

「愛よね、愛! 見せつけてくれちゃって!」

「まあ、アンネは鈍いからそんなこと分かんないでしょうけど!」


 ズバズバと意見を言われ、私は少しショックを受ける。特に「愛が分からない」と言われたことに関しては、自分でも驚くくらいに動揺してしまった。


 何とかしないといけないと思った私は、とっさに婚約者の手を取る。


「ハインツさん! あなたからの愛を私に気付かせて下さい!」

「……?」

「私はあなたからの愛に気付きたいのです!」

「な、何で?」


 ハインツさんは同僚にチラリと視線を向ける。


「外野なんか気にしなくていいんだよ?」


「皆さんは関係ありません! 私が愛を知りたいのは、私が聖女だからです! 聖女は皆を愛する存在! だから、愛について私が知らないことがあるなんていけないんです!」


「そ、そういうものなのかな……」


 どうやら私はよっぽどおかしなことを言っているらしく、ハインツさんは目を白黒させている。周りでは「アンネったら天然ね!」と爆笑の渦が巻き起こっていた。


「……ちょっと場所を変えようか」


 ハインツさんが促してくる。私は作っていた薬を手早く完成させ、彼の後に従った。背後からは、同僚たちの好奇心いっぱいの視線が追いかけてくる。


 やって来たのは、今は物置と化している小さな空き部屋だった。


「上手くできるかは分からないけど、やれるだけはやってみるよ。他でもないアンネの頼みだしね」


 どうやらハインツさんは私の願いを聞き届けてくれるようだ。私は声を弾ませながら「ご指導のほど、よろしくお願いします!」と頭を下げた。


 そんな私に対し、ハインツさんが「こっち向いて」と声をかける。


「たとえば、こういうのはどうかな?」


 顔を上げた私が見たのは、煌めくハインツさんの瞳だった。彼の手が額を撫でる。そして、触られた場所に唇が降ってきた。


「……やりすぎた?」


 半歩後ろに下がりながら、ハインツさんがはにかむ。けれど、私にはその表情の意味がよく分からなかった。


「……これが愛なのですか?」


 私は額を押さえながら困惑する。これのどこが「やりすぎ」なんだろう。


「私、おでこにキスなんて毎日してあげてますよ? 教会へお祈りに来た人とか、病気の治療に励んでいる人たちに対して。そんなありふれた行為が、何故ハインツさんにとっては特別となるのでしょう?」


「いや、それは……」


 ハインツさんは目を泳がせる。何だか今日の私は彼を困らせてばかりだ。


「君が皆にしてあげているキスは博愛的なものでしょう? でも、僕のは違うんだよ。君が好きだから口付けたんだ。つまり……恋してるからってことかな?」


「ハインツさんは、恋をしているから私にキスをした……」


 キスに種類があるなんて思ってもみなかったから、私は少し混乱した。


 それを見たハインツさんが、少し寂しそうに笑う。


「アンネが分からないのは、愛っていうより恋の方だったのかもしれないね」


 ハインツさんの遣る瀬なさそうな表情に、私は何も言えなくなってしまった。私が人の心の機微を理解できないせいで、彼を傷付けてしまったのだ。


「ごめんなさい、ハインツさん。私……今は一人で考える時間が必要かもしれません」


 いたたまれなくなってその場を後にした。けれど、ハインツさんといても出せなかった答えを、自分の力だけで見つけるのは簡単なことじゃない。


 恋やら愛やらについて教会の敷地内をブラブラしながらぼんやりと考えている内に、いつの間にか日が陰っていく。


 何だか太陽が沈むのと連動して、気分まで落ち込んでいくような気がした。もしこのまま、一生愛も恋も理解できなかったらどうしよう。聖女の地位を辞した方がいいのかも……。


 教会の中庭でハインツさんの姿を見かけたのは、そんな不安に打ちひしがれている時のことだった。


 彼に声をかけ、「やっぱり一人では答えなんか見つかりそうもない」と言って、再び協力を取り付けた方がいいのかもしれない。


 そう思った私は、彼に近づこうとする。けれど、ハインツさんが一人ではないことに気付いて、はたと足が止まった。


 そこにいたのは私の同僚だ。しかも、二人ともすごく楽しそうに会話している。私はモヤモヤした気分になった。


 ハインツさんは教会にいる時は大抵私と一緒で、他の人になんか目もくれないのに……。


 ふと、先ほど見たハインツさんの寂しげな顔が脳裏に蘇ってくる。


 もしかして、あの一件でハインツさんは私に呆れてしまったんだろうか。愛も恋も分からない間抜けな私なんかよりも、もっと自分にふさわしい相手を見つけてしまったのかもしれない。


 嫌な想像が頭の中を駆け巡る。ハインツさんが手を伸ばし、同僚の額に触れた。先ほどキスされた時に、彼が自分にまったく同じことをしていたと思い出し、息が止まりそうになる。


 何も考えずに、私は彼らの前に飛び出した。


「ダメです!」


 私は同僚をハインツさんから引き剥がした。


「ハインツさんがキスしていいのは私だけなんですよ! 他の人とそんなことをするなんて、絶対にダメです!」


「……アンネ?」


「ダメ、ダメ、ダメです! 私、認めませんから!」


「ねえ……」


「他の誰が許したって、この私が許しません! 本当に本当ですよ! 私、私……!」


「分かったから!」


 同僚が、「もうたくさんだ」とでも言いたげな甲高い声を上げ、乱暴に私の手を振り解いた。


「何勘違いしてんのよ、このバカップル! 彼は私の前髪にゴミがついてたから取ろうとしてくれただけよ! まったく、心配して損したわ!」


 そう言い捨てて、同僚は足音も荒く立ち去ってしまう。私は呆けながらその後ろ姿を見送った。ゴミを取ろうとしただけ? キスじゃなくて?


「アンネ……」


 ハインツさんは何と言っていいのか分からないような顔になっていた。恥ずかしさのあまり、私は「すみませんでした……」と小声で謝るしかない。


「何だか二人が楽しそうにお話していたので、ちょっと……勘違いを……」

「君のことを話してたんだよ」


 ハインツさんは苦笑いだ。


「彼女に言われたんだ。『アンネは抜けてるんだから、一筋縄じゃいかないわよ』って」


「ほ、本当にごめんなさい……」


 婚約者が他の女の子とイチャついていると勘違いするのは、「抜けている」の範疇に含まれるのかは分からなかったけれど、私は狼狽えずにはいられない。


「何であんな見当違いなことを考えてしまったのか、自分でもよく分からないんです……。やっぱり抜けてるんですかね……」


「……もしくは、恋は人を狂わせるから、とか?」


「え……」


 意外なことを言われ、私は戸惑う。


「それはつまり……私がハインツさんに恋をしている……と?」

「僕はそう思いたいけど」


 ハインツさんはいたずらっぽく笑った。


「分からないなら分からないでいいんじゃないかな? そういうちょっと鈍いところも君の魅力なんだろうし。でもね、『キスしていいのは私だけ』って君が言った時、嬉しかったよ」


 ハインツさんが私の頬に顔を近づけ、軽く口付けた。


「まあ、言われなくてもそうするつもりだけどね」


 胸をきゅうっと絞られるような感覚がした。


 鈍感な私が愛だの恋だのをきちんと理解するには、まだまだ時間がかかりそうだ。皆を愛する聖女としては、それってどうなのだろうと思う気持ちはやっぱり消えない。


 けれどハインツさんの傍にいれば、少なくとも「恋」については何かが掴めそうな気がしていた。


 そう思うと何故かとても嬉しくて、私はもう一度婚約者にキスをねだったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後半でハインツさんが他の同僚と一緒にいるのを見て、いてもたってもいられなくなかったアンネが、恋とは何かに少し気づくところがとても印象的でした。 皆を愛する聖女として、それってどうなんだろう…
[良い点] 聖女のウブな恋心が良かったです!
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