茉乃だけの力
それから茉乃は、柊に連れられて三階の別の部屋に案内された。一度玄関を出て庭のような廊下部分に出ると、左手にもう一枚ドアがあるのが見えた。レンガの道を歩いてそこに向かうと、柊はさっきと同じように、四角い何かに手を当ててドアを開く。
「それって静脈認証とかそういうアレですか?」
柊がドアを開けたまま振り向く。
「いや、これも魔法だよ。入り口の仕組みと同じ。本人や登録者以外は反応しない鍵みたいなものだね。魔法の質はひとそれぞれみんな違うから。」
「でも魔法を使えない人もいるんですよね?・・・あれ、私も使えないと思うんですけど・・・」
自分で言っておいて悩み始める茉乃を見て、柊は真面目な顔でその質問に答えた。
「君は立派な『魔女』だよ。まあ、こっちではそうは呼ばないけどさ。あと佳乃さんも魔女だね。」
「おばあちゃんが!?まさか〜!」
「あ、信じてないね?まあいいさ、後でその件についてはゆっくり話そう。まずは入って。君の部屋を案内するよ。」
そう言って柊はスリッパを出して電気をつけ、さっきの部屋とは違う間取りの部屋に入っていく。
廊下は一人が通れる位の広さになっていて、つきあたりのドアを開けるとやはり部屋があった。だが今度のそこは八畳ほど広さで奥に大きな窓とベランダがあり、その横に仕切りで区切れる小さなキッチンがついていた。さらに狭い階段のような所を上がると、エアコンと窓のついたロフトが付いていて、その下は収納になっていた。
「廊下の方にはトイレとお風呂がついてる。そんなに広くはないけど、収納も十分あるし、なんなら荷物は僕の部屋に置いてもいいから、ここは好きなように使って!」
そう言って茉乃に輝くような笑顔を向けた。
(慣れないと、慣れないと・・・)
―――茉乃が顔がいい男性が苦手になったのは中学生の頃のことだ。
小学生の頃は普通にふざけて話していた男の子達が、中学に入るとちょっと話しづらくなり、距離をおいて接することが増えた。そんな中、周囲の女の子達の中では「あの人かっこいい!」「告った!告られた!」なんて話が増え、そんな同級生に全くついていけず、でも別にそれでいいやと思って過ごしていた。
それなのになぜかある時、嫌がらせのような告白ゲームの対象に選ばれ、学年で一番人気のあった男子が罰ゲームで自分に告白をしてくるというベタな展開に巻き込まれた。
当時から恋愛にはたいして興味もなかったので、本気だろうとゲームだろうと告白自体を深刻に捉えず、「はあありがとうございますそれで?」と言ったらその男子にキレられて、あらぬ噂を流された。その挙句、以前よりさらにボッチになってしまったのだ。
(いや、ひとりぼっちは問題はなかったけど、変な噂が広まったのは本当に嫌だったな・・・)
それ以来、かっこいいと言われる人、美形、イケメンなんでもいいが、とにかく顔がいい男性は苦手、嫌いと一括りにしてしまった。アイドルにも俳優にも、学校の陽キャにも全く興味も関心もないまま、イケメンどころか恋愛にも縁がないまま気がつけば二十歳を迎えてしまったなあと、異世界に来た今、しみじみと感じていた―――
「おーい、マノちゃん?起きてる?」
柊が不思議そうな表情で茉乃に顔を近付けていた。
「うっわ近いです!はあ、びっくりした!」
茉乃は驚きすぎて後ろに飛び退き、持っていたバッグで顔をガードした。
「え、そんなにダメ?別に顔がいいのなんて個性の一つなのに。」
「その個性が性格の歪みを生み出したりはしないんですか?」
「・・・変、とは言われるけど歪んでる、とは言われたことないよ?」
柊はちょっとだけショックを受けたように悲しい顔をしたが、まあいいやと気を取り直し、再び茉乃を連れその部屋を出て、さっきの広いリビングに戻った。
「じゃあ早速だけど、買い物に行く前に君の魔女の力、試してみよっか?」
茉乃はしまい込んですっかり忘れていた、柊から渡された本をバッグから取り出した。表紙の一部が擦り切れたようになってはいたが、黄緑や黄色をベースにした抽象画のような柄のその本は、とても大切にされてきたんだろうなと感じさせるものだった。
そっと、壊れそうなものに触れるように本の表紙を撫でる茉乃の姿に、柊はなぜか見入ってしまう。
(単に本が好きなのか、それとも・・・)
「それで、この本を声に出して読んだらいいんですか?」
茉乃の質問に我に返り、柊は頷く。
「題名から読んで欲しい。これはそこまで長いものではないはずなんだ。疲れているところ悪いんだけど、今、最後まで読んでもらえるかな?」
「・・・わかりました。やってみます。」
茉乃が読み始めたその本は、『春の夜の月』というタイトルの短編集だった。どの話も二人か三人ほどしか登場人物がいないお話で、友情、小さな裏切り、妬み、愛、そして死についてを題材とした話になっていた。
茉乃が読み終えると、柊はソファーの上に胡座をかいて座り、両手を組んで下を向いたまま動かない。
(寝ちゃったのかな?それとも失敗した?)
不安になりかけたその時、柊がゆっくりと顔を上げた。そこには何の感情も読み取れなかったけれど、彼が知りたかった答えがあったのかもしれないと、茉乃は何となくそう感じた。
「マノちゃん、ありがとう。その本は僕の大切な人が書いた本なんだ。その人は当時なんとかして本が書きたくて、音声入力みたいな魔法術で作成してどうにか印刷してみたんだけど、やっぱり文字が崩れちゃって結局誰も読めなかった。でも僕はどうしてもこれを残しておきたくて、こうして本の形にしておいたんだ。君のお陰でその本は命を取り戻したよ。ありがとう。」
茉乃が本を再び開くと、そこにはいつも見慣れた日本語で文章が書かれていた。読み始める前はあんなに訳の分からない文字だったというのに。
「これが私の力なんですか?」
「そうだよ。この世界では君しか持っていない。古い本も最近無理やり作られた新しい本も、全部君の口を通して読まれれば命を吹き返す。数字と魔法による音声や映像データしかないこの世界で、君が文字を少しでも多く取り戻してくれたら本当に嬉しい。それと、こっちにいる間に君のその力を研究するチームと研究を進めて欲しいんだ。彼らと共に、君がいなくなってからも文字を読めるような仕組みを何とか完成させたい。ぜひ協力して欲しい!」
柊の真剣な眼差しは、痛いほどだった。こんなの断れっていう方が無理だよ、と茉乃はため息をついた。
「わ、わかりました!でも約束してください。私本当に顔がいい男性はどうしても苦手なんです。鈴村さんは悪い人ではなさそうですけど、どうかあんまり近くには寄らないでもらっていいですか?」
茉乃の必死のお願いに、一瞬キョトンとした顔を向けたが、うーんとひとしきり悩んだ後口を開いた。
「マノちゃんが苦手を克服できるように、むしろ僕は近くにいた方がいいと思うんだよね!ほらまだマノちゃん若いんだし、これからイケメン彼氏ができちゃうかもしれないよ?そしたら顔がいいからって何もできなくて困っちゃうかもよ?だから練習練習!ね?」
・・・ね?じゃないよと思いつつ、この人にこの手のお願いを聞いてもらうのは無理だと気付いて、茉乃はできるだけ自分から彼と距離を置こう、と決意を固めていった。