新しい世界、新しい暮らし
そのマンションは、中に入ると小さなロビーと管理人が常駐しているような部屋の窓が見えた。実際にはそこに誰も見えなかったが、奥に小さな机や休憩するスペースが取られているようだ。
ロビーだけでなく建物の造り自体もデザイナーズマンションといった様相で、大理石風の床と白い壁、一部高くなっている壁だけはアクセントウォールとしてグレーのレンガ調のゴツゴツとした風合いになっている。よくわからないながらも茉乃にはオシャレな感じに見えた。
「高級そうなマンションですけど、入り口にオートロックとかついて無いんですね。」
茉乃は後ろを振り返りながら疑問を口にした。柊は「ああ」と言って彼女の顔の近くまで少し屈んでから「ほら」と言いながら手をかざす。
そこには何か透明の膜のようなものが揺れている。柊が手でさらに触れると、ほんの微かに弾けるような音がして、その膜らしきものが消えた。
「これがこちらの世界のオートロック代わりかな。住民や登録した人だけが通れるように魔法がかけられている。君は僕と一緒だから通れたんだよ。明日一緒に登録に行くから、それまでは家を出ないように、ね?」
そう言って真横であの美しい顔を見せて微笑む。
(うう、でも目を逸らすとまた顔を挟まれるから我慢!)
唇をキュッと結んで目を開いて耐えていると、柊はププっと噴き出し、笑いを堪えるように腕で口元を覆った。
「マノちゃんてほんと面白いね!見てて飽きないよ。さ、エレベーターに乗って乗って!」
そう言いながら背中を押されてエレベーターに乗り込む。三階のボタンを押して上まで上がると、ドアが開いた瞬間にそこに別世界が広がっていた。
「え、何ここ・・・」
そこはよくあるマンションの廊下ではなく、普通に小さな庭のようなスペースになっていた。廊下の天井部分は光がたくさん入るように、格子状のガラス屋根となっているようだ。
床はレンガが敷き詰められて歩ける部分と芝生が植えられた部分があり、さらにその周りには小さな花を咲かせている植物がいくつも植えられていた。近代的な建物の中になぜこんなメルヘンチックな場所が・・・と、茉乃はさらに頭を混乱させていった。
「ここ、マンションの廊下じゃないんですか!?」
唖然としながらそこを見渡してそう尋ねると、
「だって三階のフロアは全部僕の家だから。」
と言って、柊はさっさとレンガの上を歩き玄関に向かった。
鍵はなく、ドアノブの横にあった四角い何かに手をかざすと、ガチャ、という音が響いた。
「さあ、どうぞ。我が家だよ。」
柊に促されるまま、不思議な光景についていけない頭のまま、茉乃の足は部屋の中に吸い寄せられていった。
「うわあ、広い!」
玄関を開けて幅の広い廊下を通り、突き当たりのドアを開ける。すると薄暗いが驚くほど広いリビングが見えてきた。ここは先ほどの廊下部分のメルヘンさからはほど遠く、物がほとんどない、いや、大きなグレーのソファーしか置いていない、ずいぶんとスッキリした部屋だった。
だが、茉乃は物が少ないことで余計広々と感じる空間に少しワクワクして、カーテンを開いてもっとよく見てみたいなとキョロキョロしていると、柊は手を振って何かを唱えた。
すると、シャーという音と共に閉まっていたカーテンが全て開かれ、思わず眩しくて目を閉じる。
「すごい!全面窓!!しかも目の前は川なんですね!いい景色・・・」
窓に顔をくっつけそうになる程近付けて、茉乃は嬉しそうに外を眺める。柊は何も言わずにキッチンに入っていった。しばらくしてから戻ってきた彼は、その両手に白いマグカップを持ち、そのうちの一つを茉乃に手渡す。
「紅茶。佳乃さんからミルクティーが好きって聞いてたから。甘い方がいいかな?」
茉乃は嬉しそうにカップを受け取り、このままで大丈夫ですと答える。柊は笑顔のままリビング唯一の家具である巨大なソファーに腰掛けた。
柊は片手にカップを持ったまま、もう片方の手でポンポンとソファーの座面を叩き、こっちにおいでと手招きする。茉乃は指定された柊の隣ではなく、L字型に置かれたソファーの、彼がいる反対側の端にちょこんと腰を下ろすと、カップの紅茶に口をつけた。
「おいしい・・・」
「良かった。僕料理は全然だけど紅茶を淹れるのは上手なんだよね。」
本当に美味しいそのミルクティーを味わいながら、もう一度部屋の中を見回してみる。
「何にも物が無いんですね。」
柊は紅茶を飲みながら足を組むと、自身も部屋を見渡した。
「うん。あちこち飛び回っていることが多いからさ。あんまり部屋に興味がないんだよね。玄関前の庭みたいなやつは、母が勝手に趣味で育ててる。たまに来ては何かゴソゴソやってるから任せっきりなんだ。」
「へえ。」
「でもここでマノちゃんと暮らすとなると、もうちょっと何か買いたいな。そうだ、後で買い物に行こうか?マノちゃん荷物少ないもんね。あ、でも佳乃さんにお願いして、いくつか必要そうな荷物はもう預かってきてるよ!」
「・・・ゴフッ、はい!?」
茉乃は咽せそうになりながら驚きの声を上げた。
「おばあちゃん、ここに来るの知ってたんですか!?」
「え、もちろん!保護者の許可は必要でしょ?あ、でももうマノちゃんは大人か!」
「そういうことを言っているのではなくてですね、え、何がどうなってそんなことに・・・おばあちゃん・・・」
再び混乱してきた茉乃はカップを手にしたまま、ニコニコと微笑むハーフのイケメンをじっとりと睨んでいた。