深呼吸
「本当に変わった依頼主だなあ」
大手玩具メーカーの部長にして、仲間内で一番の出世頭、大谷が首を傾げている。
「まあな」
「こんなにたくさんのひらがな積み木、どうするんだ?」
購入したエアリアルルームをひらがな積み木を使って日記にするんです、何てわけの分からないことを言ったら、さらに首をひねるだろう。
「それは言えねえ、依頼内容は秘密だからな」
「しかもアイちゃんがキッカケを作ったんだろ? なんだそりゃ!」
「まあな。俺もびっくりしてる。それより、おまえが紹介してくれた下請けだがな。定価に近い卸値ふっかけられて困ってんだ。一応、おまえの名前も出したんだが全然効果なかったぞ。ちゃんと仕事してんのかー?」
意地悪な言い方に、大谷がちっと舌打ちをした。
「あそこの社長なあ。俺らに対しても、そうなんだよ。足元見てくんだよなあ。悪かった、一番クセのあるところ紹介しちまった。実は、おまえとあちらさんの商談が上手くいきゃ、今後、俺らも使いやすくなるかもって算段だったんだけどな」
そう言って舌打ちした舌を、ぺろっと出す。
「そういうのでも別に構わんけど……でも今回は悪いが、断らせてくれ。いくらなんでもあれは法外過ぎる」
「わかった。別の下請け紹介するから、ちょっと時間くれ」
大谷の会社を出てから、スマホを取り出した。
「はあぁ、ちょっと待ってくれよー。まずは深呼吸だ。すーはーすーはー……」
深呼吸を二回。そして夜爪の電話番号を呼び出しタップした。
納品が予定より遅くなると伝えるためということもあったが、実はその他にもミッションはある。
ルルルルとの音を聞きながら、北川はもう一度、深く息を吸った。
『はい、夜爪です』
「北川です。お世話になってます。今、お時間大丈夫ですか?」
提示された金額に納得できず、下請けを替えることを伝えると、返ってきた夜爪の予想外の反応に、北川は狼狽えてしまった。
『その値段で別に良いですよ。おもちゃ屋さんで普通に買うくらいの値段ですね? それで構いませんが』
「けれど、積み木をいくつ使うか、現時点でまったく見当もつきません。数は抑え気味に発注するつもりでも後で追加となると、結構な金額になってしまうかも知れませんから、やはり価格は少しでも安い方が良いと思いますけど」
『確かにそうですね。では北川さんの仰る通りにします。請求書ができましたら教えてください。ご迷惑が掛からないように、直ぐにお金を用意しますので』
「一応概算では金額が出ていますが……」
北川が金額を伝えると、『承知しました。明日、すぐにお振込み致します』と言う。
「請求書ができてからで結構ですよ」
手元にある、まあまあ法外な価格の見積書。すぐにもその金額の現金を用意できると言われて、驚きを隠せない。
詳しくは知らないが、夜爪には不動産収入があり、その収入で小さなアパレル事業を展開していると聞いてはいた。
弟の元CEOは現在、新会社を興し、成功を収めている。姉弟揃って、商才はあるということだ。
「では、ひらがな積み木を購入できましたら、またご連絡差し上げます」
『はい、よろしくお願いします』
「夜爪さん、あのっっ!」
電話が切られる前にと思ったら、言葉が跳ねてしまった。羞恥心を覚えながらも、北川は通話を繋げた。
「あのですね、えっとその……」
『はい……?』
怪訝そうに窺う声。その線の細さと心許なさに、北川の心臓も跳ねた。
「その、……アイが……今度の日曜日にアイがケーキを焼くんです。良かったら食べに来ませんか?」
『え、アイちゃんが、ですか?』
「もちろん、僕と一緒にです!」
スマホのスピーカーが割れるほどに声を上げてしまった。さらに恥ずかしさにまみれたが、北川はそれでも話を先に進めた。
「アイが、夜爪さんに先日いただいたケーキのお礼をしたいって言ってるんです。もし良かったらですけど……もし都合が合ったらでいいんですけど!」
『……あ、ありがとうございます。アイちゃんがそう言ってくれているなら……ご馳走になります』
時間を決め、通話を切る。スマホを持つ手が微かに震えて、北川は天を仰いだ。
「やっべ、めっちゃ緊張したあぁぁぁ」
まだドキドキしている心臓を右手で押さえる。もちろんこのお誘いに関してはアイにも確認し賛同を得ているとはいえ、アイをダシに使ったことに多少の罪悪感はある。
けれど、次の日曜には彼女に会える。
北川は軽くなった足取りで駐車場へと向かう。
その時、スマホが鳴った。
まだ胸の中に夜爪との会話の余韻があったためか、さらに心臓が跳ね上がった。慌てて画面を見る。はああと大きなため息をついてから電話に出た。
「なんだよ。何の用だ?」
『北川、おまえ俺の会社の敷地内で、なに小躍りしてるんだよ? なにかあったのか? なあ、なにかあったのかよ?』
北川が周りを見渡す。すると、トマツトイの看板がまだ目の前に。そして振り返ってビルを見上げると、二階の窓際に大谷がスマホを耳に当てながら手を振る姿が目に入った。
北川は苦く笑いながら、手を振ってから駐車場へと向かう。
「別になんでもないよ。とにかく、下請け紹介してくれてありがとな」
そして、スマホを切った。耳まで真っ赤な自覚はある。車に乗れば、これ以上醜態を晒さずに済むと、足早に車へと向かった。




