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ちょっと神様のノルマに付き合わされまして

作者: トミー戸松

寝付きの良くない夜だった。

気温は高くなく、寝苦しいわけではなかったが、なかなか寝付けずに寝返りを何度も打った。翌日が休みなので焦る必要はなかったが、なるべく時計を見ないようにした。

それでもなんとか外が明るくなる前に、俺の意識は闇へと吸い込まれていった。


「オメデトウゴザイマース!」

何語とも形容しにくい、けど明るいだけで人を心底不快にさせる声で俺は目が覚めた。

「おめでたいってそれはお前の声だろ!」

と寝ぼけ眼で周りを見渡すと、テレビのバラエティー番組を彷彿とさせる、原色と照明が眩しいセットの中に「やつ」はいた。

南国を思わせる明るい色のシャツは意気揚々と開けていて、胸毛が押しつけがましく主張してくる。頭頂はきれいに禿げているが、サイドからの髪の毛は白く、肩まで伸びていた。大きなカラーのサングラスを掛けていたが、ウスターソースを煮しめたような濃い顔立ちは隠せていない。極めつけに背中に羽根なんて生やせている。一言で表わすと“サンバ・ダンサー”。

俺は呆れた様子でそいつを見つめるが、そんなことは全く意に介せず、陽気な笑みを絶やさない。

「ユーは、選ばれましたのじゃ!」

「選ばれたって、何に?」

「その、だから・・・オメデトウゴザイマース!」

しばし逡巡した挙げ句、最初に戻ってしまった。

「キャラ、バラバラじゃねえか!」

「オー、シミマセンデゴザイマスデスネ」

「・・・本当は普通に喋れるんだろう?」

「・・・はい、恥ずかしながら・・・」

こちらの圧に押されたのか、やつが肩を竦んで小さくなってしまった。その格好のまま落ち込まれると、こっちが気まずいんだが。

気を取り直して聞いてみる。

「んで、なんなんだ、お前は?」

「はい、森羅万象を司るものです。言うなれば神様?」

「・・・とてつもなく胡散臭い神様だな。これは夢なのか?」

「その指摘は強ち間違っていません。私があなたの意識に介入しているのです」

なんか分かったような、分からないような。けどこの状況が普通でないことは納得しないといけないようだ。

「よく分からねぇけど、その、神様?が俺に何のようだ?」

「はい、突然ですがあなたに能力を授けましょう」

「そりゃまた唐突だな」

「いやー、そろそろ期限なので、ここらで実績を稼いでおかないと大変なんですよー」

「すーぐ調子に乗るな。それで、期限って何なんだ?なんで俺が選ばれたんだ?」

「一気に色々と質問されましても・・・」

「一つずつで構わない」

「えとですね、神様には超常現象を行使できる権限がありまして、ただそれもあまり使わないと、権利を剥奪されてしまうんですよ。なので期限中に使おうかと」

「なんか店のポイントみたいな制度だな」

あまりの話に頭を抱える。

「能力の授与はそんなに稼げないんですよ。稼ごうと思ったら天変地異が手っ取り早いんですが、不景気な世の中、迷惑かけちゃうじゃないですか」

「もしかして、地震や異常気象が固まって起きるのって・・・」

「それは企業秘密です♡」

お前の姿でウィンクされても不快感しか残らないんだが・・・人類が不文でならなくなった。

「まあいい・・・良くないけど、そんでなんで俺が選ばれたんだ?」

「それは、その・・・フラッと回っていたら、目について・・・」

「つまりは“適当”ってことか?」

「違いますよぉ!ちゃんと統計的に社会的に感覚的に選んでいるんです!」

「やっぱ適当じゃないか」

「まあさておき、あなたに能力を授けましょう。時間があまりないので、手短に説明しますね。あなたの能力は・・・」


ジリリリリ!!!


目覚まし時計の爆音で俺は目を覚ました。一週間前に買ったが、5分も鳴らしておけば向こう三軒両隣から苦情が来ること受け合いな爆音度合いだ。

俺は慌てて目覚まし時計を止める。設定を解除するのを忘れてしまい、休日なのに思いのほか早く目覚めてしまった。まだ瞼は重いが、二度寝はできそうになさそうだ。爆音で響いた頭をすっきりさせるため、顔を洗う。ようやく頭の中で色々なことが整理されていく。変な夢を見たような・・・


「能力ってなんだ?」


思わず独りごち、その言葉を発した自分に驚いた。


家事をあらかた片付けて10時ちょっと前。お昼までは自由な時間だ。夢か現か分からないが、「能力」とやらを確かめるのに時間を費やしても無駄にはならないだろう。

「能力って、どういうのがあるんだ?」

自分の中で整理してみる。アニメとかであるのは、手に届かないものを動かせる“念動力”や、火や水を出せたりするもの。「むん!」とティッシュに向かって力を入れてみるものの、何の反応も無い。ティッシュが動かせないのだから、重いものはもっと無理だろう。ということで念動力は×。

次は安全を考慮して、風呂場で実験してみる。火をイメージ。何も出ない。水をイメージ。これまた何も出ない。風や電気もイメージしたが、何も出ないでチュウ。(すみません)「何かを出せる」系ではないようだ。

身体能力が向上する、ってのも定番だな。書類の詰まった鞄を持ち上げてみるが、重たいものは重たい。これもなし。思いっきりジャンプしてみても、天井をぶち破ることはないし、体がふわりと浮くこともない。空、飛んでみたかったなぁ。

後は視力に関係するもの。“透視”や他人の思いや寿命が分かっちゃう系。近所のコンビニに行き、さり気なく、本当にさり気なく意識的に他人を見つめる。服は透けないようだ。買い物をしてコンビニ店員と会話してみるが、何も伝わってこない。頭の上に数字も見えないし、ちょっと変なことを考えてみたが、バレている様子もない。

ということで、“透視”や“思念系”もなし。実験とは言え「どんな下着付けているんだろう」なんて思考が読み取られなくて本当に良かった。お気に入りの店員なので、絶対に嫌われたくない。いやらしいことは想像の中だけ!

他に何があるだろう?自分の体が透明になる、というのもあるが、どう意識すればなれるのか皆目見当が付かない。ぐぬぬを考えていたら、急にトイレに行きたくなった。歩いてすぐだが、頭の中で自宅のトイレの映像が浮かぶ。あそこに立って・・・と具体的に思った瞬間、俺の体はトイレの前にあった。

「これか!」

と思わず声に出していた。ちょうど人通りが少なくて良かった。あの道路から俺が消えたことには誰も気付いていないだろう。本当に出来た興奮と感動と当惑が入り交じったが、ともかく用を足して落ち着いた。


さて、この能力。どこまで移動できるのだろう?回数制限とかあるのか?いざという時に使えるように、色々と実験をしてみようと思った。

靴を履いて、スマホの充電を確認して、ICカードを持って、財布の中身を確かめて、玄関から実験に挑む。もし回数制限があって片道切符になっても、日本国内なら帰ってこられるだろう。さすがに海外はリスクが高いので、想定からは外す。

トイレに行こうと思ったとき、イメージが頭に浮かんだ。気持ちが先かイメージが先かは分からないが、“頭に浮かぶ”のが大事なんだろう。まずは自分が思い浮かべられる一番遠い場所・北海道をイメージする。北海道は10年以上前に家族旅行で行った以来で、イメージも10年前だ。しかもかなりおぼろげになっている。

「帰りは飛行機になるけど、まあ何とかなるでしょ」

楽天的になって実験開始。頑張ってイメージするが・・・頭の中に何も出てこない。もちろん移動もできず、玄関から一歩も出ていない。距離の問題かも知れないが、頭の中に映像が出てこないところは移動は無理なようだ。

続いて距離を確認する。今さっきは歩いても2分とかからないところからの移動だったが、電車に乗って30分以上の場所・職場をイメージする。これは簡単に頭に映像が浮かんだ。休み明けには嫌でも行かなきゃいけないところだが、「行きたくないなぁ・・・」という自分の思いとは裏腹に、瞬きした瞬間に職場に移動していた。

今度は自宅をイメージする。今さっきいた場所だし、イメージも容易だ。眼を軽く閉じただけで映像が浮かび、難なく成功。コツを掴んできたようで楽しくなってきた。

次の目的地は、たまに遊びに行くA駅。人通りが多く、ちょいちょい変っている中央通り口ではなく、あまり変化のない裏通りをイメージする。ここなら人通りも少ないし、驚かれる心配も少ないという打算もあった。

眼を閉じてイメージするが、頭に明確な映像が浮かんでこない。ネットで写真を見て、イメージを新たにしても変らない。イメージははっきりしているのに移動できないのは今までと違う。職場と違って定期券がないとダメとか?

今まで移動した回数を数えてみる。近所の道路から自宅のトイレが1回、そして自宅と職場の往復で2回の計3回。残機3とは昔のゲームかよ。

時間が関係するのかと考えて、A駅にわざわざ行って、そこから自宅をイメージしてみるが、これも不発。どうやら回数制限は3回っぽい。


それから数日、更に色々と試してみた。

やはりイメージできて、頭の中に映像が浮かべば自分の気持ちに関係なく移動する。移動する時間は本当に一瞬で、1秒もかからない。

また、イメージするところはある程度具体的な必要があるが、そんなにイメージが最新である必要はない。看板が変っていたり、30年前から工事していて導線がしょっちゅう変る駅でも問題ない。線引きが気になるところだ。

回数制限は1日3回のようだ。スマホのパケットのように繰り越しがあるかと考えて、何日か使わずに溜めて使ってみたが、3回の制限は変らなかった。


「さて、この能力をどうしたものか・・・」

帰宅して一息つき、ボーッと天井を見ながら考える。

回数制限があるので、あまり頻繁には使えない。瞬間で移動するので、周りに人がいたら驚かれる。人混みの中は意外と気付かれないが、人のいない路地は、たまたま誰かと遭遇すると取り繕うのが非常に難しい。(一度見つかったときは、脱兎のごとく走って逃げた)

気を付けないといけないことは、出入を管理しているところだ。例えば職場だったり、電車だったり。入場の情報がないのに出ようとすると引っかかる。休日の職場は対面だからなんとでもなるが、鉄道は確実に改札で引っかかる。そういうときは素直に乗って来た距離を言うが、乗り越しで超過料金を取られたらバカバカしい。イメージするのは改札の外。それ大事。

それらを考慮して出た結論は・・・

「そんなに便利でもないなぁ」

油断して移動しないように気を張ってないといけないし、帰ってこられなくなった時を想定して、お金は多めに持つようにしている。寝ながらの移動は今のところ無いが、たまたまかもしれないし、終始気を許せない。もっと気楽に生きていたいのに。

時計を見るといい時間になっていた。後はシャワーを浴びて、寝るだけ。寝間着とパンツを手に取り、「ふう」と一息ついて風呂場に歩みを進めようとしたとき、移動していた。歩数にして2歩の省略。

「なんだかなー」

思わず大きい独り言が出てしまった。今が一日の終わりで助かった。


さらに数日後。

移動にキャンセルが効くことが分かったので、かなり楽になった。方法は簡単だ。頭に映像が浮かんだ瞬間に「キャンセル!」と強く念じるだけだ。言葉は「キャンセル」ではなく「違う!」「今の無し!」でもいい。ともかく否定的なことを思い浮かべればいい。

カタカタとパソコンに向かって事務文書を作っていると、自分の正面で電話越しにペコペコと頭を下げる姿が見えた。

彼女の名前は久寿米木佳子くすめぎよしこ。この会社に入ってきて3年目の24歳。中学生くらいの身長しか無いのを気にしてて、肩までかかる髪にストレートパーマを当てて、スラッとした印象にしようと試みているが、油断すると“こけし”に見える。

そんなに太っていない割に出るところは出ていて、女性としての魅力はあるはずなのだが、童顔なこともあってマスコットのような存在だ。職場では俺の後輩になる。

チン、と受話器を置き、「はぁぁ~~~」と彼女は大きく溜め息をつく。

「お疲れさま、また何かやらかした?」

「はい~、先週に提出した見積書の年月日を間違えまして~」

彼女は机にぐでーんと身を預けながら、力なく答える。

「相手先は・・・ああ、山本さんか。いいよ、俺からフォロー入れておくよ」

「あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛~~~」

「その代わり、早く直すんだぞ」

「いえっさー!」

びしっと右手で敬礼をして彼女が答える。学生ノリというわけではないが、彼女はちょっと抜けているところがある。それでも許せてしまうのが彼女の強みだろう。

迅速に先方へ電話をかける。山本さんもそんなに怒っていなかった。これならダメージはないようだ。電話を終えて、久寿米木に頼んでいた仕事で、締め切りが近くなっているものがあることを思い出す。先輩として念のためチェックしておこう。書類の保存場所は大体分かるので、こうやって前もって見ておくことが多い。

そうこうしている内にいい時間になり、職場も閑散としてきた。久寿米木はまだ一心不乱に画面に向かっているが、考え事をしている時間が長くなったようだ。あまり根を詰めてもミスが多くなるだけなので、今日はここら辺が潮時のようだ。

「そろそろ、帰るか」

久寿米木に声を掛ける。

「先輩は先に帰っていいですよ~。もうちょっとでなんとかなりそうなんで・・・」

「といって、効率落ちてんじゃないの?ほら、そこの番号間違ってるぞ」

「あ、本当だ・・・」

「明日できることは今日するな。トルコの格言だ」

「随分都合のいい格言ですね。分かりました。今日は私も帰ります」

久寿米木はパタパタと足音を立てて更衣室に向かう。ちゃんと彼女のことを指導できているだろうか?久寿米木は俺にとって初めての後輩なので、あんまり自信がない。

「仕事の姿勢はちゃんとしているし、ミスも明らかに少なくなった。成長は感じられるのだが・・・」

こういうとき、部活で後輩の面倒を見たことのある人はいいだろうが、俺は基本的に帰宅部だったし、唯一所属した体育会系も陸上部で、みんな個人練習ばかりしていた。つまりは人生初の後輩育成なわけだ。周りからは過保護じゃない?と思われるかも知れないが、できる限りフォローできればと思う。


「お待たせしました~」

パタパタという足音と共に彼女がやって来た。ただでさえ柔和な雰囲気が、仕事を終えて焼きたてのパンのように柔らかくなっていた。押したら気持ちよさそうだ。

「どうかしました?」

「いや、別に。よし、帰るか」

「はい!」

まだ残っている人たちに挨拶をして、職場を後にする。まだ寒くなる季節ではないが、朝晩はめっきり涼しくなったものだ。久寿米木も職場と違い、薄いレースの上着を羽織っている。透けて見えるだけでなんでこんなに人を魅了するんだろう・・・なんかおかしいな、今日の俺は。

「?どうしました?疲れ残ってます?」

「いや、本当に何でもないんだ。久寿米木がここに来てもう2年半が経つな。仕事は慣れた?」

「はい、先輩のおかげで、順風満帆です!」

「それにしてはケアレスミスを少なくしような」

「はい~、それは可能な限り善処させていただきます~」

「いっぱしに大人っぽい言葉を使いやがって」

ははは、と彼女は明るい顔をこちらに見せる。元々人当たりのいい久寿米木だが、この表情を見ると不安な要素はないようだ。

「本当に、小日向さんが私の先輩で良かったな、って心から思っているんですよ」

駅までの道すがら、しばらく歩いてから久寿米木が独り言のように話し出す。

「私、こんな性格だから、本当にお仕事できるのかな?って不安だったんです。そしたら配属された先に小日向さんがいて・・・」

「なんだ、クーリングオフなら期間は終わってるぞ」

「いえいえいえ!・・・でも、先輩の第一印象は、その・・・」

「怖かっただろう?」

「いえ!その・・・・・・・・・はい」

目は一重で細く、髪は短髪。180cm近い身長から見下ろされれば誰だって怖がるだろう。

「今だから言えますけど、第一印象は怖かったです。ひぇっ!って思いました。あんまり喋ってくれませんし。でも頑張らなきゃ、頑張らなきゃ!って肩肘張っていた私のことを一番心配して、一番親身になって見てくれていたのは、いつだって先輩でした」

「そりゃ、まあ、俺の後輩だから、な」

褒められ慣れてないので、かなり照れくさい。夜は人を語らせるのだろうか。

「先輩って仕事はすごいできて、それでも私なんかをずっと、そっと支えてくれて。先輩を誤解している人は職場に何人もいますが、本当は・・・」

「よせよ、いくら本当のことだからと言っても、照れくさいぞ?」

「あ!私ったらなんてことを・・・」

茶化して会話を終わらせてみた。これ以上は照れくさすぎて聞くに堪えない。

「でも、本当にありがとうございます。これからも・・・」

「こちらこそ、よろしくな。」

「はい!」

気が付くと駅に着いていた。乗る電車は別なので、久寿米木とはここでお別れだ。

「それではお先に失礼します」

「おう、お疲れ~」

一人になって電車の中で思いに耽る。今日は色々なことが聞けたな。後輩が無事に育っているようで、肩の荷が一つ下りたようだ。

そういえば、確か久寿米木の誕生日は来月だったよな?折角だから何かプレゼントでも贈ってみるか。女性ものはとにかく疎いので、化粧品やアクセサリー系はパス。服は無理でも、今日みたいにちょっと羽織る系ならありか?

と彼女の姿を思い浮かべていると、それがイメージとなって頭の中に浮かんだ。次の瞬間、俺は彼女の目の前にいた。

「・・・こんばんは」

「・・・こんばんは」

お互いに間の抜けた挨拶を交わした。


「なるほど、なるほど」

久寿米木は帰宅した矢先だったようだ。本当に突然の来訪に嫌な顔一つせず、彼女は俺を迎え入れてくれた。「散らかってますけど」と彼女は言ったが、全然片付けられていた。自分も見習わなければ。彼女の部屋は白が基本だが、パステルカラーがアクセントとして効いていて、「これぞ女子!」という装飾だった。

これまでの経緯を久寿米木に話すと、彼女は確認するように何度も力強く頷いた。

「で、今日は「私」のことを考えていたら、移動したってことですよね?」

「ああ、まあ、そうだな。年度末までの仕事のことを考えていたら、スケジュール合わせなきゃな、と思い立ってな。言っとくけど、お前の家はおろか、住所すら知らなかったからな?」

何で久寿米木のことを考えていたかは伏せておいた。「なんで」かはそれほど重要なことではないだろう。ちょっと照れくさいし。

「ということは、“想い”が原因なのかも知れませんね」

「“想い”?」

「はい。今までは場所の記憶、つまりその場所での“想い”を強くしたわけですが、今回はその対象が人になったわけです」

「それは一理あるかもな・・・」

だから子供の頃の家族旅行レベルでは移動できなかったわけか。確かにあの旅行に強い“想い”ってないからな。

「それにしても、お前は驚かないんだな?」

「はい?」

「ほらだって、いきなり知らないやつが現われたんだよ?少しは驚いたり、わけ分からなかったりしない?」

「ああ、だって小日向先輩は“知らないやつ”じゃないですよ」

彼女は人当たりのいい笑顔をこちらに向けて、話を続ける。

「私、そういうお話好きですし。それに少し前から先輩の帰りを見ていたら、スッといなくなるのに疑問を抱いていましたから」

確かに本棚をチラッと見ると、俺でも知っているレベルのSF系の作品が多めだ。

「ん?でもなんでお前が俺の帰りを見ているんだ?」

「!?・・・いや、それは、その・・・色々とあるんでしゅ・・・」

久寿米木は顔を真っ赤にして俯いてしまった。困っているようだから話題を変えるか。

「ところでこのことは、みんなには内緒な?」

「はい、もちろんです!私、口は硬い方なんですよ?」

久寿米木は理由も聞かず快諾した。具体的に何が困るか分かっているわけではないが、あまり多くの人に知られると面倒なことになりそうな気がする。

彼女はVサインを向けて自身満面の顔をこちらに向けるが、失礼ながらこちらは100%安心したわけではない。しばらくは慎重に行動しよう。

ふと時計を見ると、いい時間になっていた。

「あんまり女の子の家に長居するわけにもいかないな。そろそろ帰るわ。本当にありがとな」

「いえいえ!なんならいつでもウェルカムオープンでドンと来いです!」

いきなり立ち上がったと思ったら、日本語がかなり怪しいことになっているぞ。

「あ、でも管理人さんには怪しまれるかも・・・」

「そういうことなら、ここで自分の家まで移動してみるよ。回数は残っているし、日付もそろそろで変るし、一番問題ないだろ?」

「そうですね、今日はありがとうございました」

「お礼はこちらが言う方だよ。本当にありがとな。じゃ」

ニコニコと笑顔で手を振る彼女に送られながら、俺は自宅へと移動した。目を開けると、狭いながらもいつもの落ち着く光景だ。


一度状況を整理しよう。

今回はかなり焦ったが、彼女に理解があって助かった。これが気心の知れない人、例えば上司の高橋さんだっと思うと・・・思うだけで変な汗が出てくる。

とは言え久寿米木だって誰にも話さないとは限らない。ひょんなことから疑いを向けられる恐れがあるから、しばらくは慎重に行動しよう。

今までは「頭の中にイメージが浮かぶ」ことが能力の発動と思っていたが、知らずに“場所”と思考を固定していた。

この考え方は間違いではなかったが、全てでもなかった。「イメージに浮かぶ」のは場所でも人間でも良かったのだ。何なら動物でも可能な気がする。飼い猫がどこに行っているか興味はあるが、生憎俺は猫も犬もトカゲも、ペットというものは何も飼っていない。

さて、これで移動できる場所の選択肢が広がったわけだが、逆に危険性も増した。救いはキャンセル技を既に身につけていることか。これからは考え事をするにも注意が必要だろう。


それから数週間が過ぎた。

俺は当初の予定通り、能力の発動は可能な限り止めた。職場の周りに探りを入れてみたが、久寿米木は誰にも言ってないようだ。確かに口は硬かったようだ。感謝と共にほっと胸をなで下ろす。

そんな折、職場でちょっとした飲み会があった。外見に反して下戸な俺としてはとっとと帰りたいところだが、これも仕事だと思って諦める。そこに久寿米木が来ることも、参加の一つの理由だろう。

「あ、せぇんぱぁい!ちょっとこっち来てくださいよ。おれの酒が飲めないのかー!へへへ」

「はいはい、すぐ向かわせていただきます」

「よく来たねー。いいこいいこ。そーんな澄ました顔してますけど、楽しんでる?楽しんでる?」

「楽しんでます、楽しませてもらっています」

お酒の強い久寿米木はビール5杯、サワー3杯、ワイン3杯を飲み干し、今は2本目の熱燗を手にしている。そしてとてもご機嫌だ。お酒の飲めない人間がお酒の席でやるべきことは、場の空気を悪くしないこと。なので後輩の久寿米木にも敬語で答えるようにしている。

ただ、ご機嫌な酔っ払いほど怖いものはない。何を口走るか分からないからだ。久寿米木のお酒は基本的に絡み酒だが、今回の絡みはちょっと度を超していると思った。

「いーっつも渋い顔してるけどねぇ!大事なのは・・・笑顔!そう私みたいな笑顔!満点笑顔!」

「久寿米木さんの笑顔は素敵ですよ」

「ほぉんとうに?ほぉんとうのほぉんとう?・・・うっれしーっい!!!」

と久寿米木は勝ち誇ったように両手を上に上げ、そのまま後ろに倒れてしまった。彼女の笑顔には癒やされているので、本当のことを言ったまでだ。

このまま寝るかなー、寝て欲しいなーと思っていたら、すぐにむくりと起き上がってしまった。

「せぇんぱぁいに言われるのが、いちばん、いっちばーんうれしいっ!」

とギュッと抱きついてきた。勘弁してくれ。

「いよっ、ご両人!うらやましいねぇ」

トイレ帰りに通りがかった同僚の佐藤にからかわれる。

「この表情見て、よくそんなこと言えるな・・・」

「ごめん、ごめん。これも先輩のお仕事。ふぁいとー!」

「・・・おー・・・」

掛け声に合わせて力なく右手を挙げてみる。久寿米木はマークしていたが、この嵐は早く過ぎ去ってくれないかと心の底から祈る。

「逃げないでくださいね?この間みたいにシュッ!と消えないでくださいね?」

「おいおい、急に何を言い出すんだ」

急に話が核心に触れ、つい返答がいつものようになってしまった。久寿米木は気分を害するかと思ったが、都合良く聞いてなかったようだ。

「あ、これはせぇんぱぁいとよしこのひ・み・つ・でしたね。きゃー、2人だけの秘密!きゃー!きゃー!」

「おいおい、2人だけの秘密なんて穏やかじゃないなぁ」

正面に座っている佐藤が割り込んで来た。ここは来なくていいのに。

「そりゃ一緒に仕事をしてれば、守秘義務の1つや2つあるって。それを秘密だなんて言うから」

「いいよぉ。俺はいいんだよぉ。仕事上の仲を越え、燃え上がる2人!秘密を共有することで、その中は更に強く!激しく!くーっ!!!」

「そうでぇす!わたしたちはぁ、激しく燃え上がっているんでぇす!!!」

「バーニング!」

「ばーにんぐ!」

「バーニング!!」

「ばーにんぐ!!ばーにんぐ!!!」

「お前ら勝手にしろよ・・・」

俺の心配を他所に、2人で盛り上がっている。酒飲みのテンションに付いていくのはいつもながら辛い。けど今日はこの変なテンションのおかげで、この場を上手く乗り切れたようだ。酒の席の戯れ言なんてまともに捉える人は少ないだろうが、俺と久寿米木が2人だけの何かを持っていることを、佐藤に伝えられたことは逆に良かった。何かある方が逆にごまかしやすいだろう。


その夜の帰りは閉店時間ギリギリになってしまった。俺はまだ電車で帰れる時間だったが、床に転がって寝ている久寿米木と佐藤は駅までまともに歩けないだろう。タクシーを呼ぶくらいはいつものこと。何とか意識を取り戻した佐藤は「らいじょーぶ、らいいじょーぶ」と言いつつタクシーに乗ったので大丈夫だろう。「まだまだ夜は長いぜ、ご両人!」と去り際に残したが、聞かなかったことにしよう。

さて久寿米木は肩を担いでタクシーに乗せるも、まだ「むにゃむにゃ・・・」と夢見心地だ。腹を括って彼女の家に行くことにする。住所を聞き出せる状態ではなかったが、前回行った時におおよその場所は分かっている。

「ほら、着いたぞ」

「んん・・・え、次のお店れすかぁ?」

「今日はもうお開き。お前の家まで着いたって言ってるの」

「あ、ほんとらぁ・・・れはせぇんぱぁい、お疲れさまでした!」

と勢いよく頭を下げたかと思うと、おもむろにその場で服を脱ごうとする。

「おいおいおい!まだ部屋に入ってないだろ!あっち!お前の家はあっち!」

「もう、らいじょうぶれすって。ひんぱいひょうだなぁ。にひひ」

「ともかく早く寝ろ。明日があるんだからな」

「せぇんぱぁいってお父さんみたいれす。おとうさん♡」

「はいはい、おやすみ」

「おやふみなはーい」

右へ左へと心配な足取りだったが、方向は何とか間違ってないようだ。オートロックの扉が閉まるまで久寿米木の姿を見送った。

「手慣れてますねぇ。そのまま彼女のところに泊まっても良かったんじゃないですか?」

「そんなんじゃないですって。ともかく家までお願いします」

ふうと溜め息を付き、車の座席に身を委ねる。今日はとんだ出費になってしまった。

「お父さん、ねぇ・・・」

まだ車内に残る久寿米木の仄かな香りを感じつつ、ビルの灯りを眩しく見た。


その日はすぐにシャワーを浴びると早々に横になった。疲れたこととホッとしたことと、あとまとまらない気持ちがごちゃ混ぜになって、なかなか寝付けなかった。ともかくひたすら眼を閉じていると、意識はなくなっていた。

チャーチャーチャーチャー!

スーパーの安売りが始まったかのような音楽が耳に入る。目覚ましのアラームとは異なるし、これは、まさか・・・

「オヒサシブリなのデスよー!」

「やっぱりお前か・・・」

呆れたように体を起こすと、“ヤツ”がいた。今回も派手派手しいが、今日はレイを首に提げ、背中に三重の電飾を背負っていて、はた迷惑度が上がっている。

「今回はなんなんだ」

「話が早いことは、いいことデース!会議と夜のアレは早い方がいいっていいマスしねー!」

「下ネタか!・・・もうどうでもいいや。勿体付けずに話そうぜ」

「プライム・ウィークに入ったお知らせなのデース!」

「なんだその、Ama○onのパクりみたいな名称は」

「こっちの方が本家なのデース!プライム・ウィークというのは・・・」


ジリリリリ!!


耳慣れた爆音に目が覚める。あいつの話は長いからいっつも核心に入る前に終わるな。今はともかくこのやかましい目覚まし時計を止めねば・・・と体を起こそうと思ったら、目覚まし時計の横に立っていた。

「しまったなぁ・・・」

無意識に能力が発動してしまったらしい。たまにやってしまう失敗だ。悔いても仕方ないので、アラームを止めて、顔を洗うことにする。体を洗面台に向けようとすると・・・洗面台の前に移動していた。

「!?」

これはおかしい。早く冷静になろう。顔を洗った後はトイレに・・・とトイレに移動してした。用を足して手を洗うと次の瞬間、俺の体は今に戻っていた。

目覚まし時計を止めるところから数えて4回目。もしかしてプライム・ウィークっていうのは・・・

「回数無制限ってことか!?」


「おはようございまーす・・・」

「ああ、おはよう」

カタカタとパソコンを打っている9時過ぎ、髪の毛ボサボサ状態で<B>が自分の席に着いた。

「昨日はすみませんでしたー・・・」

「いつものことだ。それより二日酔いとかは大丈夫か?」

「ちょっと、無理そうです・・・」

「分かった。なるべく大きな声を出さないようにしよう。今日は打ち合わせもないし、のんびりやれ」

「あ゛り゛か゛と゛う゛こ゛さ゛い゛ま゛す゛~」

久寿米木が半泣きで机に突っ伏した。ここまでは想定通り。さて、これからが本題。言いにくいので、つい小声になる。

「そんなお前にお願いしたいことがある」

「?先輩がお願いなんて珍しいですね?」

久寿米木も調子を合わせて小声で答える。

「あの・・・ちょっと今日一日、俺を見張っててもらえないか?」

「うひっ!?」

「声が大きいって」

「あ、すみません・・・で、何ですか、“見張る”って」

「それなんだがな・・・後で話す」

しばらく時間が経ったところで、俺は久寿米木をリフレッシュスペースに誘った。


「お前は俺の“秘密”を知ってるだろ」

「あ、はい・・・」

「それなんだがな・・・どうやら、回数制限がなくなったっぽいんだ」

「いいことじゃないですか!」

「それがいいことばかりでもなくて、な・・・」

「はぁ」

「発動の条件が甘くなってる」

「甘い、ですか・・・」

「普通は集中して強く思い浮かべることが必要なんだが、今日はふと頭に浮かんだ瞬間に発動してる」

「へ?」

「今朝は目覚まし時計を止めるに一回、顔を洗いに行くに一回、トイレに行くに一回。そんな感じだ」

「それは、目まぐるしいですねぇ・・・」

「職場に行くまでもヒヤヒヤだった。目を向けた先に発動するから、なるべく下を向くようにしている」

「なるほど・・・だから“見張る”ってことですね」

「こんなこと頼めるの、お前しかいないんだ」

「先輩の頼みとあれば、火の中水の中!フォローも任せてください!」

とん、と胸に握りこぶしを当てて立ち上がる久寿米木がとても頼もしく思える。

「よし、早く職場に戻るか」

と椅子から立った瞬間、リフレッシュスペースの出口に移動していた。

「先輩、あんまり早く行かないでくださいよ」

「ああ、すまん」

ホッとしたのか、能力が発動してしまった。数メートルの距離だけど、怪しまれるかもしれない。見事なフォローだ。

それ以降は気を引き締めたことも立って、問題なく自分の席に着くことが出来た。お昼休みまでは1時間ちょっと。まずはここまでだ。

「先輩、電話です」

「はい、お電話変りました小日向です。はい、先日の議事録の件ですね・・・」

それからは電話が2件、あとは書類作りに没頭することが出来た。久寿米木もこちらをチラチラと見てくれている。“見張って”と頼んだ以上、あまり文句は言えないが、そんな俺のことをジッと見ていなくてもいいんだぞ。

キーンコーンカーンコーン。

お昼休みのチャイムが鳴る。はぁっと思わず心からの声が出る。

「お疲れさまです、先輩。・・・お、お昼いっしょにどうですか!」

いつもはコンビニ弁当で済ませるのだが、状況が状況なので、フォロー要員は必要だろう。

「そうだな、たまにはいっしょに行こうか」

ぱあっと笑顔が明るくなる久寿米木。その後ろで佐藤がキラキラ・・・いや、ギラギラした目で俺たちのことを見ている。なんなんだ。変な噂が立たなければいいが。

俺への見張りを忘れて、久寿米木がぴょんぴょんと跳ねながら俺の前を歩く。ふわふわと上下に揺れる髪から、女の子特有の甘い香りがする。そういえば、先日のタクシーでもこんな香りがしたっけ。

ドンッ!

その瞬間、久寿米木の後頭部が俺の背中に当たった。

「す、すみません!」

「俺の方こそすまん。ちゃんと前を注意するよ」

背の低い久寿米木に合わせて歩調は気を付けていたはずだが、ちょっと注意力が散漫になっていたようだ。よくあることだが、彼女が悪いわけではない。

「いえ!私がはしゃいでいるから・・・この失態はどのようにして回復すればいいか・・・ぐぬぬ・・・」

「そんなに悩まなくていいから」

「でも、でも!」

「そうだな・・・じゃあ、食後のコーヒーを奢ってもらおうか」

「はい!」

どちらが一方的に悪いわけではないが、良心の呵責に苛まれんでいる久寿米木を説得するのは容易ではない。ここは軽いところで手を打っていた方がいいだろう。

「さて、食堂は人が多いよな」

「それなら私、いいところを知っているんです!」


久寿米木に連れられた居酒屋は、お昼時というのにいい感じに空いていた。

「職場から5分も歩かないところに、こんな穴場があるなんてな」

「私も先月知ったのですが、なかなかいいところだと思います!」

居酒屋のお昼ということでメニューは3つしかないが、どれも美味しそうに見えた。しかもリーズナブルと来ている。

「それにしても、なんでここはそんなに混んでいないんだ?」

「まだオープンして間がないですし、ちょっと・・・」

「ご注文は?」

と目の前に壁が現われた。よく見ると白いエプロンを着けた店員だった。縦も横もでかく、尚且つ表情に愛想がない。注文を取りに来ているだけなのに、圧迫面接を受けている気分だ。

「ああ、俺は日替わりを。こっちは・・・」

「はい、私はアジフライ定食を!」

「・・・」

ずかずかと大きな足音を立てて壁は消えた。

「ちょっと、というのは・・・」

「はい、彼のことです。なんでも泣きながら食べた人もいるとか」

「なるほどな・・・」

リフレッシュするはずの昼休みに精神を削られては元も子もないからな。

「彼、今日は機嫌がいいようですね」

「お前、分かるのか?」

「いえ、なんとなくです!」

あんなぶっきらぼうでは、機嫌の善し悪しもないと思うが・・・次に現われた彼は、その体躯に似合わず音もなく丁寧にトレイを置いた。久寿米木に言われたので彼を注視していると、逆に見返された。

「なにか?」

「いえ、なんでも」

「・・・」

うむ、やっぱりわからん。これからは俺も表情に気を付けることとしよう。久寿米木はありがとうございます、と丁寧に礼を言っている。


味は満足できるものだった。ご飯、お味噌汁のおかわりは自由だったが、そのままでも十分なボリュームがあった。

「さて、ちょっとトイレに行こうかな。どこにあるんだ?」

「トイレでしたら、先輩の後ろの、奥の所にありますよ」

振り向くとトイレのマークがあった。さて、と腰を上げようとした瞬間に体が移動していた。体の準備ができず、思わず転んでしまう。

「大丈夫ですか!ここ、段差がありますから」

「ああ、ちょっと暗くて気付かなかったよ」

大きな音がしたが、俺が転んだのを段差と暗さのせいにして、何とかごまかせた。厨房の奥から彼が顔を出したが、特に不審そうな気もなく、すぐに奥へ消えた。客が少なかったが、こっちを向いていたとしても、音の方に気を取られるだろう。

「油断するとダメだな」

「先輩、中ではフォローできませんよ」

「そこまでしろとは言ってない!」

くすくすと笑われて、トイレに向かう。なんか先輩としての威厳がなくなっている気がするぞ。早くこの状況を解決せねば。

会計を終え、店を後にする。「美味しかったです」と言うと、「ありがとうございます」という小さな声が彼から聞こえた。少しだけ彼のことが理解出来た気がする。

「あまり時間の余裕は無さそうだな」

「あの・・・」

「そうだな、ちょっとコンビニに寄るか。コーヒーはその時でいいぞ」

「はい!」

上手くリードすることで、先輩の威厳5ポイントアップ!(多分)さて、ここから近いコンビニは、と頭の中で地図を思い浮かべるのは危険だったので、キャンセル!キャンセル!とひたすら頭に念じていた。

その甲斐あって、近くのコンビニが見えてきた。ここのコンビニのコーヒーは・・・と思った瞬間に移動。パタパタと久寿米木が追っかけてくるも次はコーヒーメーカーの前に移動。え?と振り向いたら久寿米木の元に移動。「ちょっと・・・」と言おうとしたところ、30センチほど右に移動していた。

それなら!と久寿米木が意を決して俺の手首を掴もうとするが、その瞬間を狙ったように移動連発。すかっと彼女の手が空を切った。

「すごいですね先輩、もう実体なんだか残像なんだか分かりませんよ」

呆れたように久寿米木が言う。確かに今はヒュンヒュンとその場を移動し続けている。言葉を発することすらままならない状態だ。あまりにも酷すぎる。

こんな状況を作ったのは誰だ!ふつふつと怒りが沸いてきて、1人の顔が頭に浮かんだ。

「ごめん、ちょっと行ってくる!」

「せ・・・!」

久寿米木の声の欠片を耳に残し、俺はあの場所にいた。

電飾の点いていないこの場所は、ひどく暗く静かな気がした。彼の姿は見えないが、近くにいることは間違いない。周囲を見回すと、扉の向こうからテレビの音が聞こえた。

「ここかぁ!」

バァン!と威嚇を込めて、わざと大きな音を立てて扉を開けると、彼=“神様”があぐらを組んでテレビを見ていた。

「うわ、びっくりした。いきなり来るなんて迷惑でしょ」

「迷惑なのはこっちだぁ!」

いつもは派手派手しい格好の神様だが、今はちゃぶ台を前にジャージ姿ですっかり好々爺だ。

「プライム・ウィーク、楽しんでる?」

「楽しむどころか、なんなんだ、あれは!その場でヒュンヒュン移動して!」

ずず、と音を立てて彼はお茶を飲む。

「ふむ、暴走しちゃったかなぁ。やっぱりいきなり実践は難しかったかなぁ」

「やっぱりって、予感はあったんじゃねぇか」

「てへ☆」

片目をつぶって舌を出し、グーを自分の頭にコツンと当てても、可愛くもなんともない。

「もういい加減にしてくれよ・・・」

怒りを通り越して哀しくなってきた。

「“いい加減”って難しいのよ。分かる?」

「加減の難しさは分かるけど・・・」

ふむ、としばし考えた後、彼があっけらかんとこう伝えた。

「それならいっそのこと、なくしてしまう?」

「出来るのか?」

「そりゃもちろん。後悔しない?」

「むしろ俺には分不相応な能力だったんだ。後悔しない」

「慎重な君なら使いこなしてくれると思ったんだけど・・・仕方ない、代わりはなんとか見つけるとしよう。・・・はい!今から無し!」

パンと彼が手を叩くが、特に変ったことはなかった。

「・・・本当に大丈夫か?」

「ワタシヲシンジナサーイ。今の君じゃ元の世界に戻れないから、僕が送ってあげるよ。ほら」

彼がパチッと指を弾くのを見ると、次の瞬間、俺の体はコンビニの前に戻っていた。

「先輩!行くってどこへ?」

「どこへって・・・」

時間はほとんど経っていないようだ。どうやら俺が対峙していた“彼”は思っていたよりすごい存在なのかも知れない。


午後の仕事が始まる前に職場に戻り、俺はトイレで一息ついていた。ここ一ヶ月くらいの出来事だったが、色々あったな。

「ほんと、散々な目に遭ったな」

「全くです」

ふと横を見ると久寿米木がいた。今さっきまで誰もいなかったはずなのに。というかここは男子トイレだぞ?

そんな俺の疑問を他所に、久寿米木はニッコリとこちらに微笑んだ。




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