トランプ
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今日も定刻どおりフランス側の砲撃が始まった。
わがドイツも相当ではあるが、敵がほぼ毎日休みなく砲弾を撃ち続けているのを見ると、その製造ラインや補給方法が一体どうなっているのかが気になってくる。
あれ程まで無尽蔵に弾を撃ちだすために、フランス中、いや世界中から砲弾をかき集めてるのではないかと思うこともあるくらいだ。
普段なら敵の砲撃が始まったのと同時に皆、暗い海の井戸の底の二枚貝のように口をつぐみ、悪魔の断末魔のようなおっかない音を立ててふりそそぐ砲弾に当たらないように祈りながらじーっと身をかがめているのだが、今日は少し違った。
今日は砲撃が始まると同時に、新たにコンクリートの天井がつけられた掩壕の中でトランプ大会が始まった。
トランプ自体はこの世界一危険な暇つぶしによく登場するのだが、今日は何よりプレイヤーたちの顔が明るかった。
なぜなら早朝、消耗の激しい俺たちの部隊は明日、予定より二日早く後方に下がって部隊再編を行うことになったと命令を受けたからである。
塹壕はかなり細長く伸びているため、前線に立つ自分たち自身はその死傷者数を把握できないが、ヴェルダンからの中隊長が四日前に目の前で腰から下を吹き飛ばされて死んでいたので、その補填も理由の一つだろう。
ただ理由はどうであれ、この地獄からほんのひと時だが、開放されるのは純粋に嬉しかった。
後方に行ってもベッドなぞは空いていないため、徴発した民家の床にそのまま横たわるが、泥とシラミにまみれたこの地獄に比べれば数千倍マシである。
白い歯を見せながらカードが配られてくるのをまっているやつらも、きっと俺と同じようなことを考えているに違いない。
俺は戦友たちの輪から少しだけ外れたところに腰を下ろし、制作中の薬きょうアートを背嚢から取り出した。
掩壕の外では砲弾の雨が降り注ぐ中、トランプの捨て札を囲んで座る若者たちの雰囲気は世界がとっくに忘れてしまった「平和」そのものであった。
ゲームが進むうちに、パンをかけて戦うというルールが作られた。
俺としては数少ない食料を取られるのは、たとえ明日後方へ行けるとわかっていてもあんまりいい気がしなかったので、耳に入ってないふりをして薬きょうにナイフを立てていると
「おいフェリックス。水くさいじゃあないか。さあこっちへ来いよ。」
と、まくしたてられた。どうやら敵前逃亡はトランプにも適応されるらしかった。
渋々ながらその円に入ると、俺を呼んだ張本人であるエーリヒのやつがニタニタしながらこちらを見てくる。
このエーリヒ=エルンストという男は練兵所の時から一緒だが、こいつは人一倍観察力に長けているように思われた。
常に上官や仲間の言動、表情に意識を傾けており、その心情の微妙な変化などを察知するのが得意なのは実家が代々商人であったことも影響しているはずだ。
そんなエーリヒは手札を受け取るや否や、舐め回すような目つきで相手プレイヤーたちを観察し始めた。
俺は幾度となくこのひょろっとしていて鼻筋の通ったやつに煮え湯を飲まされてきたので、その苦い敗戦の中で無表情でいる技術を体得していた。
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轟音の中、ゲームは進んだ。
たしかに轟音は聞こえるのだが、皆あまりにも集中していたので気になった様子はちっともなかった。
それに、掩壕も場合によっては直撃によって破壊されかねないが、トランプで遊ぶ間は運がいいことに至近弾すらなかったようである。
ところが、ゲームが終わり、敗者となった一人を全員でからかっていた時突然エーリヒが
「伏せろ!」
と叫んだ。
するとその場にいた全員が反射的にその場にうずくまり、甲羅に入った亀のようになった。
そして砲弾が落雷のように掩壕からほんの二、三マイルの地点に落ちてさく裂した。
かなり近かったため、爆風によって飛ばされた土が掩壕の中に大量に入ってきて、一瞬呼吸をすることが困難になった。
やっとの思いで土から這い出すと、まだ埋まっているやつが二人いたので、エーリヒやほかのやつらと協力して引きずり出した。
みな一瞬のうちに泥人形のような風貌へと様変わりしたがなんとか無事であった。
それからはさすがに危険だと思い始めたのか、トランプは一度中断され、砲撃が収まるのを待った。
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それからどれくらい時がたったのだろう。
砲撃が徐々に弱まり始め、一発一発撃ちだされる音が聞き分けられるようになってきた。
弾が跳ぶたび、
「こりゃあ迫撃砲だ」
とか
「この音なら九マイル離れたところだね。」
といった具合で皆砲弾の種類や着弾点をあてはじめた。
前線に来たばかりの時は分からなかったが、俺たちはもう音だけである程度のことは分かるようになっていた。
だから仮に遮蔽物のない場所で自分の方へ砲弾が落ちてくるとなったらきっとわかるはずだ。
ただ分かったところでどうしようもないのだが。
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そんな調子で掩壕の中で過ごしていると先程のゲームの敗者が隣の掩壕に行って自分のパンを持ってくると言った。
砲撃も気まぐれ程度のものになってきたので他のやつらも特にそれを止めたりはしなかった。
それからそいつが帰ってくるまで特に話すこともなかったので、残りのやつらはタバコをふかし始めた。
ところが、俺が隣のやつに火をつけてやっているときだった。
今度はエーリヒではないやつが
「伏せろ!」
と叫んだ。
俺たちは無我夢中に耳をふさいで丸くなった。
直後、地の底から俺たちを突き上げるかのような衝撃が来た。
適当に撃ったものがたまたま近くに落ちたのであった。
衝撃の後顔を上げると、エーリヒと目が合った。
「これまた近くに落ちたもんだ。なぁフェリックスよ。」
たしかに、土は入ってこなかったとはいえかなりの衝撃だった。
幸い、先程とは異なり泥に埋もれることはなかったので皆胸をなでおろした。
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結局それがその日の最後の砲撃であった。
だが、あの時パンを取りに掩壕を出ていったあいつは待てども待てども帰ってこなかった。