1917年春 北フランス某所
はじめまして。黒地 雲と申します。この度は私の作品を選んでくださり、誠にありがとうございます。これはプロフィールにも書くことと思うのですが、私は世に言うヒーローや能力者といった特殊で、非凡で、何かに突出した個人というよりも、時代の流れや、運命、そういった抗いきれない巨大な力に呑み込まれながらも、そのなかでなんとか力を振り絞って自分の足で立とうとする個人が好きです。傷だらけになりながらも不安や葛藤を乗り越えていこうとする。そんなキャラクターの姿を描きたいと考えたときに、私の作った世界ではその要素を書き出せないと感じたため、思い切って史実をもとに書くことにしました。
この作品はもちろん小説なのですが、人物の感情や思考回路は私が普段から考えていたりすることが表出してしまっている一面もあります。なので、つい考えすぎちゃったり、小さなことがいろいろ気になっちゃう人はもしかしたら共感していただけるところがあるかもしれません。(私自身がそういう人間なので(笑))
そうでない方も、登場人物の心情を探るように読んでいただけたら嬉しいです。
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春はその足音を消して、いつの間にか去っていた。少し前まではとっくに日が暮れていたであろう西の空は、砲弾の雨で禿げ上がった大地を焼き尽くす炎のようだ。穴ぼこだらけで焦げた黒土の戦場は、今日はめずらしく静かであった。通常であればフランス軍が日の入りまで撃つことになっていたが、やつら今日は勝手が違うらしい。
砲弾や銃弾が飛んでくる気配がないので、掩壕から恐る恐る顔を出して目の前に広がる荒廃した大地を眺めてみた。久々にまじまじと見ると砲弾穴が増えていて、どこか新鮮な光景にも思えた。
眺めていると、先程の突撃の帰りに背中を撃たれてそのまま倒れたやつが、ひゅーひゅーと撃ち抜かれたのであろう肺を鳴らして呼吸ををしているのが目に入った。あの突撃からどれほど経ったかはよくわからないが、肺を撃たれた割にはなかなかしぶとい。よく目を凝らしてみると、そいつの後方数マイルの地点の霧のなかに、低くうめく声がした。耳を凝らすと
「だれか。なぜか足に力が入らないんだ。お願いだ。だれか。」
と言っているように思える。ぼやけててよく見えないが、足を機関銃で吹っ飛ばされたか、腰をやられたかのどちらかだろう。撃たれてからしばらくの間はその痛みをもろに感じることは無いが、ああいうのは意識が戻ってくると逆に言葉では言い表せないような激痛に襲われるのだ。そして大抵のやつは五六時間、長いやつは数日間叫び続けて死んでいく。最後の方になると叫ぶ気力もなくしてただ口をぱくぱくと動かすだけなのだが。どちらにせよあの二人は助かる見込みはなさそうだ。後方じゃあ人命第一の看護卒も、この鋼鉄の雨が降り注ぐ前線においては各人ある程度見捨てるという選択肢が存在することに薄々気付き始めているようだ。
看護卒じゃない俺だってはじめは負傷者をよく回収しに行ったが、同じようにして拾いに行ったやつが次々と斃れていったからやめた。しかも間一髪塹壕まで引っ張れて来れたとしても、まともに口もきけなくなっているやつは大抵その晩には息をしなくなった。
そんな不条理な現実に振り回されるうちに、いつしか戦争前には当たり前のように感じていた「時間」というものが、この前線においてはどこかへ隠れてしまった。ミュンヘンにいたころは日曜から土曜まで、月初めから月末まで、ましてや午前、午後といった様々な時間の区切りがそれぞれが独立し、色を持っているようにも感じられた。
しかし、ここに存在する「時間」はミュンヘンのそれとはまるで違った。
戦場においては懐中時計を持ってるやつもいるが、そんなものは次第に必要ないものに思われてくるのだ。なぜなら日曜が来たからといって教会に行くことはないし、月末だからといって収穫祭や大量の腸詰やビールが待っているわけでもない。来る日も来る日も砲弾の行き交う下で耐え忍ぶ毎日。耐え忍んだ先に待っているのは数日おきに訪れる後方の塹壕の部隊との交代くらいで、またすぐに前線に戻ってくるのだ。そんな危険かつ退屈極まりない時間を過ごしているうちに、気がどうかして突然塹壕を飛び出そうとするやつが後を絶たない。そんなやつらはきっと、この終わりなき「今」の堆積に耐えられなくなったのだろう。ここには意味を持った独立した過去がなければ、「今」の延長線上にあるはずの未来もない。ただただその一瞬一瞬目の前に現れては戦場の暗闇へと落下していく「今」があるだけなのだ。
ここにいる者なら大抵一日に一度はこの思考のスパイラルに巻き込まれそうになる瞬間が訪れるが、決してその哲学的な思考の波に身を任せてはならない。この生や死という永遠に証明されることのない命題であふれかえるこの荒野において、深淵を覗こうとする行為は、かろうじて保ち続けている「正気」の糸を切断しかねないからだ。だから俺たち兵士は沈黙が運んでくる不安から逃げるために、常にどうでもいい言葉を交わしている。それは女の話でも、実家の話でも、はたまた服についたシラミの数だろうが何だっていい。軍歌なんてのも気を紛らわすにはちょうどいい代物だ。
それでもどうかしちまったやつが出た場合には、数人で抑え込んで正気を戻させるのが掟だが、中にはそれをも振り切り、フランスの陣地の方へ奇声を上げて突っ走って行ってしまったやつもいた。そいつは南部の農家の出で、なかなかユーモアがあって面白い奴だったが、砲弾穴で一人で夜を明かした翌朝に壊れた。そいつがどうなったかを考えると、自分も同じ蟻地獄に引きずり込まれるような気がしたので、あえて気にしないようにしたが、先日、こちら側の塹壕をうろうろしていたスイス兵のスパイが着ていた軍服から、そいつの手帳が出てきたと聞いた。
ああ、俺たちは一体どんな時を、何のために生きているのか。何のために銃を持ち、何のために戦い、そして何のために死ぬのか。祖国のためか。カイゼルのためか。それとも故郷に置いてきた父、母、兄弟たちのためか。何が俺たちをここに運び、何が俺たちを死に向かわせるのか。
考え始めると、分からないことばかりだ。
俺たちはまだ、この状況を心の棚に整理できるほど長生きしていない。